長所と短所

 自分の文章を褒めてくれる人がいるのはとても嬉しいことで、誇らしくも思う。なので、今回は自分の文章の長所と短所をあげることで、今後どこを伸ばし、どこを補うかを考えるヒントとしたい。

 

 第一に、ありがたいことに、文章力が高いと褒めてくれる人が多い。誇らしいが、具体的にどこがいいのかは、自分ではよくわかっていない。できるだけ読みやすくなるように心がけているが、この辺りも言語化して、自分にフィードバックできるようにしたい。

 

 それから、いろいろなことを知っていると褒めてくれる人もいた。たぶん、SFが好きなのに、なぜか純文学を主に扱うサークルに所属していたから、そう見えていたのだろう。なんでそんなことになったかについては、どこかで書くかもしれない。別にSF関係者と喧嘩をしていたわけではなく、部屋を共有していたSF研のメンバーと、旧支配者らしきフィギュアを前に、話をすることもあったくらいだ。純文学の知識を深めたい時期だったのだろう。

 

 少し話がそれる。サークルのメンバーから指摘されたことなのだが、僕の小説は、大まかに分けて三つのパターンにわかれるそうだ。

 

■全くの別世界を舞台にしており、SF的な傾向があるもの

■上記と重なるが、丁寧でゆったりした文章が続く、ロマンティックなもの

■露悪的で性的な描写が延々と続く、現代を舞台にしたもの

 

 個人的には、上の二つを得意分野として磨いていきたいと考えている。最後の一つは、書いていてそれほど楽しいものでもないし、自分と向き合うには、もう少しましな方法がある気がするのだ。ちなみに、最初に最終選考に残ったのは上記二つの傾向が強かった。このことも、こっちに向かって歩いたほうがいいことを示しているようだ。内面ずぶずぶにならないよう気をつけないといけないのだけれど。

 

 ちなみに、何か毛色の違ったものを試してみようとして、政治色の強いものを作って編集の方に見せたことがあるのだが、あまり評判は芳しくなかった。確かに、こと政治的な問題については、わざわざ小説にするよりも、それを直接扱った文章を書く方が、僕の肌に合っているようである。少なくともメインのプロットにするのは、あまり得策ではなさそうだ。未来社会の雰囲気を出すための、ちょっとしたスパイス程度にとどめておこう。

 

 それと、実在する問題をそのまま落ちに使うのも、あまりウケなかった点である。加えて、私はあるがままの存在でありたい、というのは、SFとしては敗北、という意見をいただいている。SFとファンタジーの違いはここにあるのかな、と考えてしまうことがある。今の人間の有り様にとどまり肯定するのがファンタジー、その向こうに飛んで行ってしまおうとするのがSF。つまるところ、科学的な正確さにどこまでこだわるかではないのかもしれない。

 

 話を戻そう。短所としては、やはり、ストーリーが弱いところだろう。起承転結を作るように何度も指導されているが、これがなかなかに難しい。特に、きれいな落ちをつけるのが苦手だ。それに加えて、謎のあるストーリーを求められ、それに応えようとしたときにも、うまくいかなかった。落ちを明かすのがやや早急であったのと、求められていた謎と言うのが、ミステリのものとはやや違ったものだったからだ。

 

 自分の長所と短所を振り返っては見たものの、どんな読者に向けて書けばいいのだろう、という疑問は残る。どのような読者に、僕の文章を喜んでもらえるのだろうか。

 

 「ブラインドサイト」を読んだときのことだ。あれだけ多くの賞を取っただけのことはあって、非常に面白かったのだけれど、言及されるコタール症候群や半側空間無視といった症状そのものが突飛で現実離れしており、脳科学に馴染みのない読者に、すべてピーター・ワッツのほら話なんじゃないかと受け止められる恐れがあるのではないか、と感じられた。言い換えるならば、それなりにフィクションでないサイエンスに親しんでいる読者向けな気がしたのだ。解説パートの比重が大きい割に、その理屈に納得できるためにはきちんとした知識がいる。そのため、あらかじめ知識がないとすいすい読むのは難しい。

 

 ほかにも、グレッグ・イーガン量子テレポーテーションに説明をまったく入れないのが平気だったり、彼の本筋とは関係ないくすぐりで爆笑できる読者も一定数いたりするのだが、そういう読者だけではないのもまた事実だ。

 

 このあたりについても、ゲンロンSF創作講座2019で、明らかにできたらいいとおもっている(梗概が通ればの話だが! いや、梗概が通らなくても自主提出するくらいの勢いを保ちたい、なあ。ネタが切れてもひねり出す、というか)。