『「100年後の未来」の物語を書いてください』実作の感想、その3

 ただいま。

 以下、感想。

 

■藍銅ツバメ「水色ちょうちょストラテキラテス」

 とても幻想的でファンタジー路線としては好き。宇宙を舞う蝶も美しい。少女の複眼もただ異様なだけではなく、別世界の存在っぽくていいなあ、って思う。

 ただ、SFとしてはどうしても言わないといけないのが、蜘蛛もサソリも昆虫ではないってことだ。美しさを求める文学に対して、あまりにも無粋な態度だと言われるのを承知で書くけれど、ファンタジーじゃなくて生物学SFにするのなら、この辺の正確さはとても大事な気がする。クモヒトデにいたっては節足動物ですらなく棘皮動物だ。昆虫学者が飼ったり手下にしたりというのはちょっと厳しい。

 それと、こういう研究を美樹が公開したら、社会にどんなインパクトを与えてしまうだろうか、その辺りはSFならどんどん突っ込んでほしい。いい意味で浮世離れしていくタイプのファンタジーならともかくとして。

 つまるところ、これは進化の系統樹的にあまりにもかけ離れた哺乳類と昆虫のハイブリッドを作るSFにするよりも、完全に幻想文学に持って行った方がいい作品にできると思う。発想は好きなんだけれど、無脊椎動物とつなげるだけで拒否感を示すSFのひとが一定数いるのが心配だ。

 

■東京 ニトロ「われわれ豚は!」

 全体的に勢いがよく、タイトルのかっこよさと相まってクールだ。しかし、展開が少々早すぎてあらすじを読まされている印象も持ってしまった。どこにその原因があるのかを考えたのだけれど、色気や寄り道が少ないというか、荒廃した世界などの描写が短いことに理由がある気がする。それと、腸の神経細胞は非常に多く、独自の思考を持つ、という発想がいきなり投げ出されているので、唐突に感じられる。このオチを準備するにはある程度の伏線が必要であると思われる。どこか自然な形で、腸の神経の数やそれらが意識を持つ可能性について読者に説明しておくパートを作らねばならない。

 

■一徳 元就「シルバーフィッシュ、ひだまり」

 衰退期の人類の雰囲気はそれなりに出ているのだけれど、どうしてこういう構成にしたのだろう、って気になった。つまり、視点を二人の間で交互に移し、一人称と三人称で揺らがせている訳を知りたい。

 片方が片方の作品世界だってことを示したいのは想像がつくのだけれど、じゃあ現実と虚構がよく似ているのはどうしてだろう、みたいに疑問も出てくる。

 単純に人口が減っていって、人類が重要じゃない存在になっていった、みたいな世界が舞台を描写したいのならそこまで複雑な語り口にしなくてもいいはずで、なぜこの表現を選んだのか、をちょっと作者に聞いてみたい。

(なにがやりたいか、を梗概かアピールで書くといいかもしれない)

 

■遠野よあけ「カンティック・ジャンクション」

 講義でもめてた「パラ憲法」の話。作中で登場人物が説明しているように、内面化された価値観を書き換えることによる意識のタイムトラベルの話だと分かった途端、何がやりたいのかが見えてきた。梗概にそう書いたほうが良かったはず。

 こうした価値観を脳内に書きこむことが義務になっている世界を、ただのディストピアとして書いていないところが新しい、のかな。ラストは、名も知らない人々の善意が世界に広がった、みたいな感じだけれど、曲解すれば、世界の善意はパラ憲法、すなわち強制的に(?)内在化させられた価値観にその起源を持つ、と皮肉に読めなくもない。

 ところで、カント野は哲学者から由来しているのだろうか? 確か、カントの形容詞形はカンティアンだった気がする……。

 

 以上。いろいろと勝手なことを呟いてしまったが、こちらもいろいろ突っ込まれることは覚悟のうえである。

 当日はよろしくお願いします。