第2回の講座(7月18日)受講後の覚書

 昨晩は楽しかった。前回と比べて緊張しなかったし、何人かのメンバーとも一言二言だけだが話ができた。純粋に自分の好きなこと、つまり文章を書くことや読むことについてほぼブレーキをかけずに話すことができる環境から遠ざかっていたのだが、やはり何かを作ろうとする場には安心感と適度な刺激があるようだ。

 

 今回の実作審査についても、とても面白く聞くことができた。特に、自分が首をかしげたところが講師陣から軒並み指摘されていたのが、自分の小説の読み方に問題があるわけではないのだ、と感じさせられて嬉しかった。もちろん、自分がやり過ごしていた箇所で議論が白熱することも多く、大いに勉強になった。

 点数にさほど差がつかなかったのも、個人的にはかなり納得のいく結果だった。

 

 さて、ダールグレンラジオ及び講座でいただいたコメントをメモしておこう。手書きの乱雑なメモなので、誰が発言したのか正確に再現できないのはご容赦いただきたい。

 

 ダールグレンラジオでのコメントは次の通り。

 麦原遼 「逆数宇宙」を意識したのだろうか。他の梗概ではあまり見ない圧倒的なスケールの大きさで、そのスケールのとても大きな話と、親子喧嘩の小さな話を対比させるのが面白い。観測がどうとかいう話と叙述を組み合わせると良さそう。第1回の梗概と比べてとても読みやすくなっている。

 ビッグクランチやビッグリップがほぼ説明無いのが初心者お断り感があるが、読みたいと思わせる。梗概の時点でそれは伝わってくる。難解な部分とすいすい読める部分を交互に出すのを期待。

 以上。  

 

 一方、講座ではこうだ。

 ハードSFと家族の話の組み合わせは、高島雄哉「ランドスケープと夏の定理」を思わせる。話は面白そうで、ヒートアップしている。おそらく今作の梗概の中では一番温度が物理的にも高い。無限の主観時間を高温でなら取り出せるというアイディアも良い。ただし、背景設定や描かれているシーンそのものはよくわかるのだが、その中の人間の動きがよくわからない。ハードなアイディアに比べてお話が弱い。最低限の配慮は必要。

 いっぱい説明するときにはストーリーの中に説明を埋め込んでいく。説明とドラマを融合させる。これをエンタメとしてやっているのが今話題の「三体」で、エンタメでやっちゃいけないはずの長い説明パートがあるのにベストセラーになっている。参考になるだろう。

 忘れないでほしいのは、読者が求めているのはお話であり、説明ではない。その上で、どのような語り手がどのような語り口でお話を作っていくのかを考えてほしい。

   以上。

 

 まず、ダールグレンラジオのコメントについてだ。個人的には専門的にするつもりはなかったのだが、難易度が高いと受け止められてしまったので、できるだけややこしくしないようにするつもりだ。どうも、SF読者なら自然科学方面のことは大体知っている、と錯覚していた節があるので、その認識は改めなければならない気がする*1

 我が身を振り返ってみると、僕自身も最先端の技術を扱ったSFを読むときに、その背景となる理論を正確に理解しているというよりは、作者の手のひらの上で踊らされつつわかったつもりになっている、というのが実情に近いのだろう。難解な理論あるいは正確な議論を含めるとしても、大抵はどこかに説明パートがあり、読者が楽しめるようにサービス、おもてなししてくれている。

 

 続いて講座でのコメントだ。これはまったくおっしゃる通りだと思う。どのような話を考えているか、と尋ねられ、思わず背景設定を答えてしまったのだが、求められていたのは人物造形や動きであり、相手の求めていることとは違っていた。居心地の悪い会話となってしまったのが悔やまれるが、一つ学習したので良しとしたい。

 あとは、説明パートが入るとどうしてもドラマが止まってしまう。なので、読者の立場に立ち、どのペースで情報を配分するか、を考える必要がある。この辺は伏線の回収の仕方ともつながるテーマだ。

 それと、SFネタそのものよりもドラマを示した方が受けはよさそうだ。特に今回梗概の評価が高かったのは藍銅ツバメ氏の「蛇女の舌の熱さを」で、これは僕も好きだったのだけれど、これだけでどんな話かが目に浮かぶし、いくつか台詞も入っている。奇しくも次回講師の藤井太洋氏はかつて「スキットがなきゃ意味がない」というテーマで講義をしている。この辺りにヒントがあるのではなかろうか。

 

 というわけで、今回も選外ではあったけれど、井出氏から○マイナスをいただいたのと、今後の梗概の方向性がわかったので収穫はあった。次回は二人以上の講師から△以上のマークを手に入れることを目標としたい。ハードルをあまりあげすぎても苦しいが。あとは東浩紀氏の小説のアドバイス、始まりと終わりで感情の変化が必要、ってことを意識すること。

 

 最後に、ちょっとだけ怖い話をすると、自分はこうして文章を打っているのが、小説を書くのと同じくらい好きなのだ。つまり、物語を書くのと説明をするのとに同じだけ関心がある。小説家としての資質を生かすには、この部分に手綱をつけることが必要だろう。それと、小説と同じくらいのレベルでノンフィクションが好きなので*2、やはりこっち方面に暴走しないように心せねばならない。

 

 ……ところで、これだけたくさんハードなネタを投入してしまったせいで、50枚でおさまる気がしない。

*1:ほかならぬ僕も分類学の知識はあやふやで、ちょっと前にウサギがいつの間にか齧歯類から外されていると知って面食らったし、無脊椎動物の分類などまったくのお手上げだ。

*2:だからメルヴィル「白鯨」の脱線もそんなに気にならない。