「強く正しいヒーロー、あるいはヒロインの物語を書いてください」実作の感想、その1

 少し前、はてな匿名ダイアリーに投稿したことがある。小説のネタが思いつかないときのちょっとした気晴らしだ。あるいは、自分は小説よりもエッセイの方が向いているのかもしれない、という気の迷いに囚われてしまったときの慰めだ。

 はてな匿名ダイアリーは、やや殺伐としているコミュニティだが、いろいろな人の体験談は面白く、創作や歪曲もかなり紛れ込んではいるだろうが、物を選べば結構楽しめる。

 で、何度か自分の書いた記事がごく小規模にバズったことがある。人によってはツイッターで呟いてくれもした。逆に、「うんこ」みたいにしょうもないリプライしかつかない記事もあったし、「なんかこの文章ナルシストっぽい」などと余計なことを書いてくるのが現れることもあった。

 概して、学術的な考察や自分の今日の気分について綴ったものは評判が悪く、逆に体験談が好評だった。それも、下世話なものの方がずっと受けが取れる。そのあたりの違いが面白かった。ちなみに、知識のひけらかしの割合が増えるほど評判は悪い。この辺は覚えておこう。

 小説を書くことで大切なポイントともよく似ている気がする。自分の内面の描写を延々と続けても許されるのは、ごく高度なテクニックを持った一部の作家に許された特権であり、基本的には誰が何をしたのかを、要するに動きを、読者は求めている。しかも、小説で難しいのは自分の直接体験した面白いできごとではなく、ゼロからそれらをひねりださなければいけないことである。そのうえ、登場人物が十分に魅力的でなければならない。既存のキャラクターを用いた二次創作にはない困難さが一次創作にはある、とつくづく思わされた*1

 まったく、なかなか実作に進むことが許されないと気分は晴れないし、継続していくのもしんどい。とはいえ、目標は目標なので、毎月一作というペースは崩さないようにしたい。気の早い話だが、来年も続けるかどうかは、もう少し時間が経って考えれば済むことだ。

 それにしても、今回も実作は非常にレベルが高かった。正直太刀打ちできない気がする。時折、自分は小説を書くことよりも、あることについて文章で説明することのほうが得意なのではないか、という疑いを持つ。だから、時にライターになりたいと空想することもある。

 

 以下本題。

 

渡邉 清文「歴史学者・楓と、アレクサンドロスの末裔」

 現代的なテーマを、きちんと娯楽に変換している。

 面白いのは途中にナレーションが入ることで、最初これは何なのかと首をかしげたが、実はこの挿入部分が作中で放映されていた劇なのでは、つまり現実が後にドラマ化されたことを表現している、ということに気づくと、面白い仕掛けだと思えるようになった。そうなると、作中でAIを破壊する方法がSF的なロジックではなく、かなり地味な手法であることであることも納得がいく。現に、アクションシーンとの対比が行われているではないか。

 ところで、舞台の片方をマケドニアという実在の国にして、もう一つを架空の小国にしたのには何か明確な意図があるのだろうか?

 

黒田 渚「オール・ワールド・イズ・ア・ヒーロー」

 ショートショートとして面白い。人間がいなくなってしまったのだなあ、ということがしっかり伝わってくる。

 ただし、機械が人間を滅ぼして取って代わるアイディア自体は古くからあるので、これをどこまで現代的にアレンジできたかどうか、評価するのは難しい。人間の後を継ぐロボットや人工知能が、人間を憎むことで滅ぼしてしまったり、フレーム値がずっと安定していたりするような単純な存在であるかどうかは、疑わしい。

 もちろん、こうしたほうが読者にはわかりやすいので、そうした分かりやすさを狙っているのなら正解だと思う。

 

東京 ニトロ「FLIX!!」

 以前の実作「われわれ豚は!」と比べてずっと文章が安定した。過度なスピードで突っ走ることなく、読者に適切なスピードで情報を与えることに成功している。九〇年代の文物を記憶している読者には懐かしく*2、知らない世代にとってもきちんと楽しめるようなアクションシーンの配分だ。「フリクリ」オマージュとして大成功していると言っていいだろう。

 水が弱点ってのはちょっと兵器としてどうなのか、って気もするが、「ドクター・フー」っぽくていい。*3

 

 この三作の中では、金賞「FLIX!!」、銀賞「歴史学者・楓と、アレクサンドロスの末裔」、銅賞「オール・ワールド・イズ・ア・ヒーロー」、と予想する。金と銀は入れ替わるかもしれない。なにせ、自分の生まれた時期を考えるに、九〇年代をえこひいきしている可能性が十分にあるからだ。

 

 以下、続き。

 

稲田一声「女の子から空が降ってくる」

 世の中にはいろいろな好みの人がいて、巨大な女性に対するフェティシズムというのがあるそうだ*4。そうした存在に抱きしめられたり、はなはだしくは踏みつぶされたりする空想が好きらしい。

 なんでこんなことを説明したのかというと、そうしたフェティシズムでぎらぎらした作品に対して、これはとても欲望が薄いということだ。いい意味で水彩画というか、上質なファンタジーが描かれている。読んでいて気持ちがいいし、児童文学の賞に出したいくらいだ。つまり、語り手が創作物を偏愛していない。大事にしているかもしれないが、飲み込まれていない。

 SFじゃなくてファンタジーかもしれないって? どうでもいい。

 

今野あきひろ「おまえたちは、犬のように吠えたのか?」

 相変わらずシロクマか!

 それはさておき、だいぶパワーを制御することに成功している感じだ。なんで殴り合って平和を手に入れるのかがまったくわからないんだけれど、とにかく楽しい。

 ただ、宇宙人は何がしたかったのだ……?

 

藤 琉「ダブル・クリスマス」

 重厚で、しっかりしたSF。古き良き日本のSFという感じがあってよい。しかし、古いと感じるところがいくつかある。パラレルワールドの日本に迷い込んで、少し違う世界を体験し、帰還する、という古典のパターンを忠実にたどりすぎている気がする。もちろん、二人が入れ替わることで違いは出ているが、構造がかなりしっかりしすぎている気がする。

 それと、精神病を扱うには、結構慎重にならざるを得ない。どこが問題だと指摘できるわけではないので、このアドバイスは無視してもらっても構わない。ただ、自分よりも弱い立場の人間を書くときには、かなり調べてからやったほうが、倫理的ではある。

 それよりも大きな難点が、何かの中心地という意味で「メッカ」を使うことだろう。特にネガティブなものに対してはあまりよろしくない。細かくて申し訳ない。

 これは、この方以外全員、そして僕も含めてなんだけれど、表記のガイドラインみたいなのを一冊置いておくといい。

 

式「贄とオロチと」

 面白い。二人が相互依存的になっていくところや、不死による倫理観の崩壊した人物が、淡々とした文章ではありながらしっかりと丁寧に書かれている。

 問題は、少女二人のカップルがあまりにも魅力的すぎて、主役というかテーマであるはずの「強くて正しいヒーロー」に感情移入できないことだ。作品としては〇、テーマ消化という観点からは△かも。

 

 以上。出かける間際なので加筆修正するかも。

*1:二次創作が楽だというわけではない。こっちは逆に既存のキャラクターをしっかりと理解していないとできない。

*2:これ、すごくどうでもいいんだけど、テレクラとブルセラのうちテレクラを選んで正解だった気がする。シャワーを出す必然性があるし。ただ、これだけ細部がしっかりして、当日の天気やドラマが出てくるから、ちょうどブルマが廃止になった、みたいなくだりがあったら、もっとリアルになるかも。ちなみに僕の学校では確か三年生頃に廃止された。以上三十代の回顧。

*3:ほとんど観てないので偏見。要するに映像化したら映える娯楽SFとして好きってこと。

*4:「原色の想像力」シリーズにもそれがテーマの作品が載っている。また、会田誠にもそれがテーマになっているものがあるが、臓物表現があるのでそういうのは苦手な人は検索しないように。