違っていたら大変申し訳無いのですが、「審査員受けする作品」を意識しすぎて「自分の書きたいものを書けていないのではないか」という疑念があります。
— 11011式 (@11011_11010) September 15, 2019
宇部詠一 - アーカーシャの – 超・SF作家育成サイト https://t.co/z9DoUZxOl7 #SF創作講座 @genronschoolから
宇部さんが書きたいの第2回目のようなハードSFだと思いますが、思いの外その作品が講師陣に酷評されて悩んでいる「という印象」を受けます。
— 11011式 (@11011_11010) September 15, 2019
初回から突き放している今野さん、2回目から早くも吹っ切った藍銅さん、端から書きたいものを書く自分と違い、宇部さんの作品は「保守的な」感じがします。
個人的には普通に書いたつもりだったのに、そういう印象を持たれたので、驚きつつも、ここは真摯に受け止めたい。
これは以前の記事にも書いたけれど、自分は社会や政治に関することを書くとあまりウケないらしい。これもまた、表現の自由と規制といった社会派の作品で、考えようによっては現実世界で行われている議論から実は一歩も出ていない。舞台をSFチックにしたのは確かだが、舞台がサイバー空間である必然性は、薄いとも言える。単純に社会に対する考察が浅いのかもわからないし、単純に人間を描くのが得意ではない可能性もある。
つまるところ、ぶっちぎりで理論と技術方面に振ってしまったほうがいいのかもしれない。もちろん、読者にわかりやすくなるよう、リーダビリティに配慮しつつ。それにしても保守的か。ふーむ。事実、現代社会でも出せる結論に落ち着いており、理詰めで驚きの倫理観や境地にたどり着いているわけではない。
これは小浜氏にも言われたのだけれど、なまじっか文章の出力ができるので、ある程度は気合で書けてしまい、それが逆説的に弱みになっている、そうした可能性はある。何を書くべきか、焦点が定まっていない。
以下感想。
中野 怜理「ディスオリエント・エクスプレス」
端正な翻訳小説を読んだ気分になる。ポーランドの暗鬱な歴史の上に重ねられた、正義の行いが丁寧に描かれている。ヒーローが悪を暴き、その絶頂を迎えたのち、いつの間にか悪に屈してしまっている、そうしたところもまた重苦しく、良い。最後に自分が正しくあるためには、自分を裁かなければいけないのだろうか。幻想文学としての品位がある。もしかしたら、いっそのことSF的な理屈の部分を、つまり研究所でタイムトラベルの理論が研究されていると言ったくだりを削ってしまって、完全なファンタジー路線にするのも、悪くないかもしれない。
安斉 樹「生きている方が先」
小説とエッセイの中間点にある印象。つまりほとんどが著者の実体験であるのだろう。おもしろい。
ただ、夢をネタにするのは実は難しい。夢では、寝ている間にすべてがわかったような感じがすることがある。それを小説にして成功した例もある。ただ、これは非常に高度なテクニックだ。というのも、夢の中で「わかったぞ!」「なにこれ面白い!」と思った感覚があっても、それは夢見た本人しか存在しない無意識の前提や記憶に支えられていることが多く、それを他人に伝えた途端、因果関係がよくわからないか、ただ当たり前の事実を述べたに過ぎないことになることがしばしばだ。つまり、他人の夢の話が面白いことはまれで、面白くするにはかなりの話術がいる。
それはさておいて、いきなり東南アジアの神話が出てきて解決、というのもやや唐突。出すなら、序盤に何かしら前振りがいる。でないと、なんでも知っている作者が出てきて解決してしまう、そんなタイプの小説になってしまう。
藤田 青土「パノプティコンの中心にいる」
時折、主語がはっきりしなかったり、何が起きたかをあいまいなままの箇所があったりで、実際にその場で何が起こっているのかを読み取るのに苦労する箇所があった。さっと読んで絵が頭に浮かびにくかった。
フーコーの原典に触れたことはないのだが、パノプティコンというアイディア以外に、どこにフーコーのアイディアが生きているか、ちょっと聞いてみたい。
宿禰「世代」
ややクラシックな、よその惑星の資源を採掘するタイプのSF。
自分なりに正しいことを選択した結果、自分は死んでしまうけれど、よその惑星のたった一人の生き残りを救うことができた、という話で、いい話っぽくはあるけれど、最後に生き残った彼女はどうやって生きていくんだろう、まさかまた誰かを吸収したりしないよなあ、という適度な不安がある。
松山 徳子「I meet boy or girl or …」
性別や容姿を選択する自由を持つ世界のなかで、子供時代の終わりというか、卒業間際の慌ただしさと寂しさはよく出ている。心は揺さぶられる。
ただ、この文章からでは梗概にあった豊かな設定が伝わりきらない気がするし、元々あった踊りの場面が削られてしまっている。せっかく美しい場面だったのに。まだ四千字しか書いていないのに終わってしまうのはとてももったいない。こうした動きのあるシーンがないと、小説全体がただの議論みたいになってしまう。ブログで意見を書くのではなく、小説にしたいのだったら、動きがもっと必要な気がする。これは自戒を込めて思う。
遠野よあけ「カンベイ未来事件」
最後に化け物じみたものを読まされてしまった。SF小説としてはともかく、ゲンロンという共同体に最もふさわしいのはこの作品ではあるまいか。特別賞をあげたい。*1
モチーフとなっている出来事について僕は無知であり、これ以上付け加えるべきことはない。ただ、小説の同時代性について非常に自覚的であり、作品の方向性が古いと指摘されることが多い人は、大いに参考になることだろう。彼の作風を真似る必要はない。ただ、たとえば自分の小説を読み返し、十年前にも(三十年前にも)同じ小説を書くことができたのではないか、と自省することは、少なくともこの講座では避けられない、かもしれない。*2
この作品で描かれているヒーローはある意味では作者であり、読者である。正直なところ反則ぎりぎりではあるし、正義の消滅という設定が100%生きているかどうかは気になるが、やっぱりすごい。
以上。もう遅いのでおやすみなさい。