例にないほどの台風が近づいてきており、気圧が急低下したためだろうか、言いようのないけだるさがある。そうした中で文章を読むことはそれなりに大変で、いつもならすらすらと読めるはずの文章なのに、ところどころ引っかかってしまう、そんなことが起きている。
今回は、自分の作品を含めて十六作品しかない。ずいぶん減った。読む方としては楽になったのは確かだが、若干寂しい。
以下本題。
小島夏葵「完熟」
梗概の時点で、比較的単純なストーリーだけれど、面白くなるかな、って若干不安だったが、割と面白かった。キャラクターとその背景設定が若干テンプレっぽかったけれど。
以下、ちょっと気になったところ。毒のヤシを食べた瞬間すぐにレムレースが離れていくっていうのは、若干の疑問がある。なにせ、咀嚼→嚥下→腸で吸収→血液を循環して体中に毒ヤシの成分が浸透、という過程には、秒単位ではなく数時間オーダーの時間がかかるはずだからだ。ヤシをかじって毒の汁をあたりの海水にまき散らし、レムーレスを追い払う、なら納得できる*1。
藍銅ツバメ「ぬっぺっぽうに愛をこめて」
相変わらず文章力が高いので、かなり文字数をオーバーしていても気にならない。ひとつひとつの光景が目に浮かぶようであり、場面同士の接続も自然である。薬売りの薄気味の悪さもあるけれど、子供が親を慕う気持ちよりも、親が子供を思う気持ちのほうがずっと強いのだから、というラストが上品で、奇妙な味を残しながらも、全体としてはハッピーエンドに結び付けている(蛇女のときもそうだけれど、こういう方向性が得意なのかな?)。
さて、今回は一人実作が出せなかったので番狂わせになってしまったのだが、おそらく「ぬっぺっぽうに愛をこめて」が金賞、完熟が銀賞、それで第三位以下の作品に意外とポイントが入る、と予想する。下手をすれば二点以上手に入れる人もいるかも。前回の予測は同率一位が出てしまったが、それ以外はほぼ当たっていたのだが、今回はどうなることやら。
今野あきひろ「ゾンビを育てる」
楽しいのでこの人は最後までこういう方向性で突っ走ってほしい。残念ながら自分はゾンビ映画をほとんど観ないので、作者の意図しているパロディを拾いきれていないはずだ。細部の設定に何となく弐瓶勉「BIOMEGA」の影響を受けている印象を受けたが、違っていたら申し訳ない。それとヒロインがかわいい。
藤 琉「禿鷹ヶ丘でまた会おう」
詩を作る人だから、言葉のチョイスはいいと思うし、文章にも力がこもっている。残念なのは、そのエネルギーが空回りしているところが散見されることだ。たとえば、飼育員が主人公に火をつける場面や、博士の動物への嫌悪を吐き捨てる場面などで、独白で敵の悪だくみを説明してしまっているが、舞台芸術でならともかく、小説ではあまりお勧めできないテクニックな気がする。
小説というのは、作者が一つの謎を隠しつつ語るものである。その謎を登場人物が追い、それが解き明かされる過程を読者は楽しむ。言い換えるなら、作者は読者を常にじらし続けなければならない。しかしながら、僕のようにすれた読者は何が起きるかをかなり予測できてしまう。それに、お話も一本調子で、主人公が能動的に行動して謎を解決するというよりも、シチュエーションに流される時間のほうが長いので、小説というよりも、何が起きたのかという報告書を読んでいる感覚に近くなってしまう*2。
たぶんこの話はもっと短くできるはずで、正直に最初から主人公が獣に変貌していく過程などは描写する必要がない。たぶん、獣のぼんやりした意識の中で、突然人間だったことを思い出す、みたいにした方が盛り上がるし、長さも半分にできる。切り詰められるところはどんどん縮めていったほうが切れ味がよく、読者の印象に残る。主人公級のキャラクターも三人もいらないかもしれない。
演劇の表現方法と小説のテクニックが噛み合っていないのではないか、そんな印象だ。
甘木零「エフェメラの輝き」
ありがちな超能力者、不死者の物語かな、と思わせられるが、起きる現象のひとつひとつが丁寧に考えられており、美しい。不死者が常命の者たちに対して、軽蔑からシンパシーへと態度を変えるのも、珍しいパターンではない。けれども、子どもたちに与えた祝福が戻ってくるあたりが、イーガン「貸金庫」を思わせて、好ましい印象を与えた*3。
以上。