「長距離を移動し続けるお話を書いてください」実作の感想、その1

 講座も第七回になり、実作を出したのが十二人と、ぐっと減っている。

 いつもよりも一週間は余裕があったはずなのに、前回の四分の三になってしまった。後半戦に入って息切れを起こしているか、厳しい評価に心が折れているものと思われる。

 かくいう僕も大変にしんどい。ズタボロである。なんでわざわざ実作読破マラソンなんてやってるんだ?*1

 

 そんな中、なぜ小説を書くのか、を改めて考えている。

 何かを創作するときには、次のような誘惑がある。回想録を書きたくなること。こうであったらよかったのに、という理想の過去、特に甘ったるい青春を書きたくなること。自己憐憫の情を切々と訴えるだけのものを書きたくなること。それらを断ち切るには、おそらくはまったく自分と関係ない人物を描く、ゼロからの創造が適している。

 作品のネタにするために、個人的で不快な出来事を回顧したところで、得るところは少ない。ある種の自己愛なのだろうが、自分に対して失礼だった者や、不利益を与えた者のことをわざわざ想起して、そのまま小説に仕立ててやりたいと思うほどに、彼らに時間を割きたいとは思われない。そいつらはもはや、自分の人生の中では端役の地位すら与える気はない。思い出す価値もない。

 娯楽には悪役が必要だが、それらはエンターテインメントの原則に沿わせる必要があり、特定のモデルや事件をベースにしすぎると、普遍性を失う。

 自分の気持ちを延々と述べたいのなら、小説にする必要なんてない。日記で十分だ。違うだろうか。

 なぜ自分が小説という形にしているのか。書き続けるには、それを考えないといけない。反応が欲しいのなら、はてな匿名ダイアリーでも、ツイッターでも構わないではないか。

 それとも、ただ好き、という気持ちだけで、どこまでも走り続けられるのだろうか。

 

 以下本題。

 

■甘木 零「最良の友・たち」

 生き物の描写がすごくいい。海底の生態系も、日本の各地の風土も目の当たりにするかのようだ。鉱物に対する丁寧な描写もいい。犬に元カノの名前を付けるダメっぽさもいい感じ。

 ただ、その壮大さと、ストーリーのおとぼけ具合がミスマッチを起こしている。美しい描写に姿勢を正して読んでいたら、とつぜん膝カックンされた気分だ。

 それと、ライデン瓶一つで作れる電圧はたぶん数万ボルトだけれど、その程度の電圧は自然界で頻繁に発生しており、どうやってそれを人工のものだと判断できたのか、それも数光年のかなたから、なんて野暮ったいことを思ってしまった。いや、探知したのは精神エネルギーかな、この前の「エフェメラの輝き」みたいに。

 

■東京ニトロ「渦を追う」

 前回の講座で大規模災害はやめとけ、って言われてたけれど、こういう証言集にしたのは正解。全貌を書ききれないものはハイライトを示し、後は読者の頭の中で組み立て直すのが適切だろう。

 ただ、冒頭の説明文は不要だ。あそこでページをめくるのをやめる読者は多いだろう。アクションで引っ張るなら、次のドイツ系アメリカ人の証言から始めるほうがいい。それ以降は、大災害の描写が読者を引き付けることだろう。

 問題は、これだけ現実の災害が起きているのに、なぜわざわざ架空の災害を小説として表現する必要があるか、だ。ドキュメンタリーがあれば十分ではないのか。ついでに、なぜ自閉症の子を出したのか、その辺の必然性もほしい。

 弱者を出すときには当事者でない限り、いや、当事者であっても相応の覚悟が必要になる。自分の声を持たない弱者の立場を借りて語ることは、彼らが本来発するべき言葉を塗りつぶしてしまう危険がある。

 それと、中学生がバイトをしているのはミス?

 

 さて、今回の金賞銀賞だが、作品の迫力やぐいぐいと読ませる力では「渦を追う」がぐっと上だ。「最良の友・だち」も読ませるが、主人公が北に向かうのが自分の意志ではなく洗脳されて、というところで動機が弱いし、未知の力に引っ張られて青森まで移動するという最低限のプロットしかない。だが、ゲンロンという場の性質上、なぜ災害をテーマとしたのか、社会に向き合う姿勢は適切か、が厳しく問われると思う。なので、僅差で甘木氏が金賞と予想する。

 

 以下、その他の作品。

 

■今野あきひろ「√チョコレート16」

 この人はいまさら僕が何を言っても突っ走ってくれると思う。

 いや、マヤ文明ではこんなことしないでしょ、中南米文化の描写がアバウトで、最近こういう先住民文化の描写が適当だと叱られるよ、みたいなことを思わないでもないのだが、何を言っても野暮になるというか、間違いなく今野氏が書いたな、的な作風があるので、これをけっして見失わないようにしてほしい。これを持っている人は強い。何がやりたいかを知っている人間は、長く書き続けられる。

 この人は要するにとんでもなくロマンティストなのだろう。運命によって結び付けられた男と女、そして世界の崩壊というクラシカルなテーマを、過剰な音楽と踊りによる引用で飾り付けている。実は、始めからずっと同じ話を書いている。書くべきことがはっきりしているのか、それしか書けないのか、それはわからない。でも、僕は好きだ。

 

■よよ「銀河巡礼」

 まだ始まっていないのでコメントをしづらい。

 先が気になるのにもったいないので、ぜひぜひ完成させてほしい。

 

■NovelJamの波動に目覚めた式さん「魔王城」

 これ小説じゃないだろ、ってツッコミはさておき。

 媒体を変えることで普通に読むよりは面白かったと思う。テーマと一致しているし。絶対にクリアできない人生を生かされているという不条理感もいい。

 ただ、やっぱり世界設定に穴があるというか、主人公が勇者なのになんで攻略本やネットにアクセスできるのか、合理的な説明を意地悪なSF読者としてはどうしても求めてしまう。

 典型的RPGゲームを下書きにしたなろう系なら、こういうのも許容されているのだろうか? あの辺のカルチャーをよく知らないので、判断できない。

 

■岩森応「シテンたち横漂流」

 純文学のほうでは視点というものを大事にしているし、それについて論じた文章も多いので、目の付け所はいいと思う。ただ、各自の空想が現実に見えるものになって以降の展開が早すぎる。早すぎるというか、作者が持っているイメージが先走りすぎて、話に論理的一貫性を感じにくい。ロシアによる軍事的侵攻辺りになると、その結果物語世界の中でどのような事件が必然的に起きるかを熟考せず、勢いだけで書いているのでは、と思わせる*2

 吐瀉物は視点であり、かつ、書かれなかった作品や空想である、といった設定は面白いのだけれど、そもそもなんで視点がうろうろするのかもはっきりしないし、どうしてそれがラストで読者の視点にたどり着くのか、もよくわからない。

 たぶん、やりたいことは漠然とあるのだけれど、それをロジカルに組み立て切れていないのではないか、と思う。でも、今まででは一番独創的で面白かった。

 

 以上。

*1:楽しいからだよ!

*2:特大ブーメランが僕に戻ってくるのを感じるぞ!