2019年度ゲンロンSF創作講座第9回「ファースト・コンタクト(最初の接触)」実作の感想、その2。それと文フリに参加してきたくなってきた。

 文学フリマに参加してみたいなあ。なんてことを、ふと思った。

 というか、講座をやめても何らかの形で創作コミュニティに所属しておきたい。なんでかっていうと、単純にやる気が出てくるし、自分と同時代のものを書く人間が、いったいどんなことを考えつつどんなものをアウトプットしているかってのを、知りたいからだ。もちろん新人賞を追うだけでもある程度できるけれど、実際に顔を知っている人間がアウトプットしている、その実感が欲しいのである。

 最近は、適当に課題が与えられないと、何を書くべきかわからなくなっているんじゃないかという不安に襲われているので、自分にとっての一番大切なテーマはそもそもなんであったのか、を思い出そうとしている。

 

 あと、まだ終わっていないのに結論めいたことをと述べるのはどうかとも思うのだが、SFは論文ではなく小説だという実感は日に日に強くなり、できることなら説明は物語の中に巧みに埋め込まないといけないのであるな、と煩悶している。

 それから、もしかしたら自分の文体は、もう少し力を抜いたものにしたほうが、より多くの人に読んでもらえるんじゃないかって気がしてきた。今度、大森氏に会ったら、「枯木伝」の文体のうち、大学院生の女性の語りと、童話のような語りと、どちらのリーダビリティを評価していただいたのかを、ぜひ尋ねようと思う。

 

 以下本題。

 

■今野あきひろ「火を熾す」

 今までで一番リーダビリティが高い。最初の怒涛のような作品からかけ離れている。だからと言って、エネルギーが枯渇したわけではないし、個性が死んでしまったわけでもない。ただ、少しずつ自分の物語を語るうえで、自分をコントロールする力が身についてきているのだ。

 事実、これってどういう話? かと尋ねれば、プロメテウス神話の変奏だ、とすぐに言える。これは今までになかったことで、今まではかなり要約困難というか、要素を詰め込みすぎていた。一つの物語という器にどれくらい盛ればいいのか、体感を会得しつつあるのだろう。神話的素朴さと雄大さが共存できている。ただ、もう少し狂っていてもいいかも。贅沢な悩みか。

 

■藤 琉「宣誓、なかよくなりたい」

 不幸な先住民との出会いという基本パターンを踏襲している。子どもの小さな悪意から、避けようのない不幸な関係へと落ち込んでいくのもいい。ただ、実際に戦争に流れ込んでいくところや、先頭の場面は描写されているのにもかかわらず、それでは具体的にどのように仲直りしていくのか、がほとんど出てこない。そこがこの作品の面白いところになるはずなのに。つまり、殺しあう以外のコミュニケーションが成り立つためには、何をどのようにするのか、それを考える場面が盛り上がるところではないか。お母さんを守るという誓い以上に、それを現実のものとするところを描写することで、子供の成長も現実感をもって読者に感じられるんじゃないだろうか。

 また、入植者が犯罪者やその家族という設定、別にダメだというわけではないけれど、彼らの粗暴さのエクスキューズとして使っているのではないか、という不安もないではない。

 あとは些事を。一日が18時間と明言されているのに、朝7時という地球での単位がそのまま使えるのだろうか。それと、オニキスの人口が30年で8億人にまで増えたというのは、通常の人口増加にしては、初期入植者がよほど多くないと早すぎるのではないか。

 この作品も、リアリティの解像度を落として、児童文学的というか寓話的にしたほうがいい可能性がある。

 

■甘木 零「鹿鳴館の人魚」

 自分の得意とする分野の中で楽しげにすいすいと泳いでいるような文章だ。

 キャラクターもしっかり立っているし、説明的な挿話も魅力的な語り口で、説明パートにありがちな不自然さがない。言い換えるなら、語りのテクニックがしっかりと生きていて、さっさと続きを読ませてくれ、ってなる。さりげなく間宮林蔵がカワウソの子孫だという設定をさらりと混ぜていて*1、ああ、こういう世界のお話なんだ、ってのが、きっちりと伝わってくる。要するに話を盛り上げつつ情報もきっちりと読者に流し込む、それがうまい。だって、説明に必要なお父さんの話を引き出すのが、主人公のキャラクターを端的に示す行動でしょう、それがうまいんだよ。

 もう一人の主人公の異能も無茶過ぎない範囲だ。これで妖怪退治(?)に話が進んだらきっと盛り上がるだろう。

 無理にケチをつけるとすれば、明治時代の日本人がギリシア語を使いこなせたかな、ってことだろうか。ドイツ語風にして「クリユプトビオゼエ」にしたらもっと明治っぽい雰囲気が出るんじゃないか*2

 

■夢想 真「雨滴」

 読みやすい。これはいい意味と悪い意味がある。いい意味では、文章に変な飾りがなくて、物語に比較的容易に入っていけるということ。悪い意味では、物語がよくあるパターンで珍しくないこと。男性が見知らぬ美しい女性に出会い、別世界に行き、無事に帰ってくる。それから、閉ざされた集落に、人身御供の奇習と、怨霊。要素だけ抜き出すと、本当によくある話なのだ。もちろん、王道だからいけないというわけではない。王道だからこそ感動できるケースもある。けれども、もう一つか二つほど設定か物語にひねりが欲しい。このままだと読後感が、ふーん、帰ってこれてよかったね、で終わる危険がある。

 女性がどうして雨滴になったと感じられたのか、もやや弱い。

 

■古川桃流「シェアさせていただきます

 現代社会をテーマにすることに挑戦している。ただ、説明的に過ぎるんじゃないか。

 炎上を鎮火させていく手段が、SFではなくリアルに寄りすぎている。確かに、クリティカルマスについての話は勉強になるのだけれど、それをSF小説にするには、現実で使われているテクニック以上のものが要求されるはずだ。

 反原発と反化石燃料みたいに、両立しにくそうなもの*3がバズるってのは、定期的にとんでもないものがバズるのを見るので、ありえない話じゃないとは思うのだけれど、それが急に暴徒化するってのは結構無理がある。しかも、それを操っていたのが電波を出す魔法の石*4ってのは、これもかなり無理がある気がする。さらに言うと、統合失調症で苦しんでいる人が、電波攻撃を受けているって訴えることがあるんだけれど、そういう病気の人やちょっと「変な」人が、「電波」を防ぐために頭にアルミホイルをまいているっていう描写が、一昔前にやや好奇のまなざしを伴って流行したような覚えがあって*5、あまり印象がよろしくない。

 話を、石に操られた暴徒ではなくて、この石の正体や、鉱物生命とはどんなコミュニケーションができるだろうか、的な方向にもっていったほうが、面白くできるんじゃなかろうか。インフルエンサーがただの軽薄な人という印象で終わっちゃうし。

 

 以上。

*1:しかも「置いてけ堀」のカワウソかい! 楽しすぎるぞ! どっから思いついたんだ!

*2:クソリプ

*3:絶対にしないとは言わない。

*4:作中ではそんな言い方をしていないけれど、アルミホイルをまいて電波を遮断する描写を見るとそういう印象を受ける。

*5:要出典