2019年度ゲンロンSF創作講座第9回「ファースト・コンタクト(最初の接触)」実作の感想、その3。

 

 

 古川桃流氏から感想をいただいた。ありがとうございます。

 主人公が(三十代にしては?)ナイーブすぎるってのはその通りな気がしてきた。

 でも、一貫していると評価していただいた。うれしい。

 問題は、これをかなり自分の素に近い感覚で書いているってことかなあ……。

 

 以下本題。

 

■よよ「トライポフォビア」

 まずはタイトルから。「トライポフォビア」ってブツブツ恐怖症のことだけれど、作中でエムはそこまで恐怖を感じているようには読み取れなかった。

 次に、梗概を読むと主人公は精神科医ということになっているけれど、あまり医師らしく思えない。精神医学や心理学を習った人間だったら、感情を爆発させようとしたときには、自分に落ち着けと話しかけるなど、何らかのストレス・コーピングで切り抜けようとすると思うのだけれどどうだろう。この設定は破棄したのだろうか。

 あとは、この物語の世界では人間の寿命が延びていて、でも不死に耐えかねて死を選ぶ人間がいる、という設定なのだろうけれど、それが実作だけからでは読み取れなかった。

 最後に、エヴィアンと具体的にどんな心の交流を持てたか、をもっと具体的に描写していたら、もっと良くなると思う。

 

■品川必需「たけのこ太郎」

 投げっぱなしのオチは嫌いじゃない。基本的に変なものを読むのが好きなので。

 だが、梗概とは全然違う内容なのだけれど、いったいどうしてしまったのだろう、と首をかしげているのである。

 あとはギャグが通じる世代じゃない人はどうするか、だなあ。

 

■式くん「ゾンビパニックの論理哲学論考

 タイトルは語り得ぬことについてはなんちゃら、って言いたいだけと違うか。

 冗談はさておき非常に読みやすい。たぶんストーリーが基本的に一直線で分かりやすいからなのだろう。ヒロインも幾分紋切り型なんだがこれは紋切り型にするのが正解のはず。主題はこてこてのサークルクラッシャーと、それによる感染性の意識の消失なんだし。キャラクターを深く掘り下げる意味はあまりない。

 関西弁の語り口がうっとおしいと思う人もいるだろうけれど、これは意識消失後の落差を効果的にする意味がある。それと、もしも関西弁のネイティブだったら、今後も作品に方言を織り交ぜてほしい。方言が使えるってのは、日本語で小説を書く上での大きなアドバンテージで、非常にうらやましいのだ。

 

■岩森 応「コンビニエンス・スタア」

 強烈なB級テイスト。

 個人的には、人間に寄生するエイリアンだとか、ちょっとしたことであっさり全滅しちゃう人類だとか、そういう展開を偏愛していた時期があるので、親近感がある。

 ただ、この話は長すぎる。もっと切り詰めれば二万字以内で収まる。

 この話には次のような流れがある。まず、人間を出荷する生き物の話。つぎに、人間に寄生する生き物の話。それから、人間サイドの話。この三つだ。で、それぞれのサイドで、余計なキャラクターがあるように思われる。たとえば、人間を出荷する側の話では相棒二人で行動しているが、別に一人でもいい。掛け合いで背景を設定するだけの機能しかない。あとはパワハラ気味の上司も、ただ圧力をかけてくるというだけの機能しか有していない。二人して人類に寄生する生き物についてのレクチャーを受ける場面も必要ない。純粋な説明だけの機能しかないうえに、講師が暑苦しいので読む側にもストレスがかかる。もっとざっくり処理できないか。キャラクターを立てるにはもっといい方法がある。

 で、先ほどB級テイストと述べたのにはいい意味と悪い意味があるのだけれど、以下に悪いほうの意味を説明する。まず、いきなり大統領に話しかけて協力を取り付ける展開がやや雑。ただ、B級っぽさを戦略的に演出する上では正解かもしれない。

 それよりも問題となるのは、人間に寄生して人ならざるものを生むというくだり。ホラーとしてはいいのだが、やっぱりSFとしては表現が雑な気がする。それで、気持ち悪いから殺処分するってのもまた、どうなのだろう。そういう描写がいけないわけじゃなくて、もっとパニックというか、社会の反応*1を丁寧に書かないとアウシュヴィッツっぽい。そうなると、隔離政策はゲットーも連想させる。

 過去に行われた蛮行っぽいのを作品に出していけないわけじゃない。ただ、作者からは現実に存在したそれらの類似物を作中に存在させることへのためらいが感じられない。結果として、現代的な人権意識が希薄という意味でのB級テイストが生まれてしまっていて、そこが大きなマイナスになる。

 生まれた子供が自分のものじゃないっていう恐怖も、もっと料理のしかたがあると思う。上手に処理すれば、人間の根源にある、妊娠や出産への不安を表現できるが、このままだと、B級っぽさのせいで男性が女性を寝取られる恐怖だけに堕する恐れがある。

 しかも、殺戮をやめたら人間の子供がちゃんと生まれるよ、ってメッセージを受け取ってからの人類の行動が描かれていない。ここで殺戮をやめるか、それでもやめずに人類が愚かなまま滅ぶか、そこを丁寧にやってほしい。でないと、単に時間がなくなった印象を受けてしまう。

 なんか徹底的に批判してしまって申し訳ないのだが、上手に調理すれば、異質なものへの嫌悪や差別というテーマに正面から取り組んだ良作になると思うので、改稿することをお勧めする。

 

■渡邉 清文「〈死の王・アンブローズ〉雪原の魔界」

 王道ヒロイック・ファンタジー。ひたすらに格好いい。文句なし。

 あえて批判をするとしたら、ファンタジー世界に落下してきたロボットだかナノマシンだかのプログラムを書き換えて遺伝子で繁殖する生命にした、というストーリー、実は現代じゃなくても書ける作品で、十年二十年前の作品でも通ってしまうということか*2

 しかしなあ、現代に作品を書く意味ってのは、自分も問い直さないといけないことだ。

 解決するには、最新の自然科学的知見を入れるか、それとも社会学・人文学の視点を入れるか、ということになるのだろうけれど。要はここ数年の作品を徹底的に読まないといけないってことなんだろうなあ。

 

 以上。京都から帰ってきて疲れたのでおやすみなさい。

*1:中には、気持ち悪くても守ろうとする側や活動家も出てくるんじゃないかな。

*2:人のこと言えない!