■また中野伶理氏から野菜ジュースをいただいた。
ごちそうさまです。今日もおやつにしました。おいしかったです。
野菜ジュースがあるし、ランチはちょっと脂っぽいものにしようかな、と考えたのだけれど、居酒屋に間借りしていた*1担々麺屋さんが営業を取りやめていた。汁なし担々麵好きなのに。なので、職場から少し離れたところにあるスリランカカレーをいただいてから、おやつに野菜ジュースを飲んだ。
別に、野菜ジュースで野菜不足の言い訳にするつもりはないし、現にサラダランチも割と好きなのだけれど、例えば山盛りの豆サラダの後に野菜ジュースを飲むほど野菜が好きというわけでもないのだ。
■宇露倫氏ともまたお話できてよかった。
遠野氏を交えて話したのだけれど、最近来られていなかったのは具合が悪かったわけじゃなくて冬の外出が大変なためらしい。安心した。でもよく考えたら、体調がよくないと毎回執筆できないよね。お疲れ様です。
■小浜氏からブログが面白いって褒められた。
ありがとうございます。
でも、どういうところが面白かったんだろう? 基本的には創作メモと実作の感想しか書いていないので、そのどっちかが良かったのかな。頑張って続けます。
でも、元来自分の勉強のために始めた全実作感想マラソンをあちこちで喜んでいただけているみたいで、こちらとしても嬉しい。もしかしたら自主提出の件数が減らなかったのは、この活動のおかげか? と空想することもある*2。
■梗概についていただいたコメント
できることなら、もう一度白夜の下で – 超・SF作家育成サイト
手ごわい作品を選んでしまったように見受けられる。作品の光景はすっと浮かぶのは確かだが。岩森氏の作品に雰囲気が似ている気がする。けれども、彼の作品くらいの極端さがないと、挿絵のようになってしまう。ここにいたるまでの過程が描かれている必要がある。「作家の禁欲」云々のくだりなどが、実作ではどうなるか。
梗概の書き方について、もっと考えねばならない。
自分としては、描写をするように要求されていたので、ほかの方のように具体的な設定を含めなかった。これが敗因だろう。設定は考えていたのだが、そこを聞かれることはなかった。
梗概段階では、やはりインパクトがないとまずいらしい。今まで、どちらかといえばSF的なロジックがしっかりしていないとダメだということを意識しすぎていたのかも。大学の頃からプレゼンテーションが下手だったのを思い出す。僕はパフォーマンスをやりたいんじゃない、研究内容を知りたかったら文章を読んでくれ! なんもかんも海外の外向的な文化が悪い!*3 って気分だった。懐かしい。
■実作についていただいたコメント
君の声は聞こえる。僕の返事は届いただろうか。 – 超・SF作家育成サイト
講義では触れられず。無念。
代わりに、大森氏からは休み時間にコメントをいただくことができた。正確には、無理して呼び止めてしまった。いつもながら好意にすがってしまいましてすみません。優しく説明してくれるのでついつい。
コメントは次の通りであった。
「枯木伝」では女の子の語りのパートも、いつものような堅苦しさがなくてリーダビリティが高かった。また、ですます調の部分も今までに読んだことのないタイプで新鮮であった。けれども、今回の実作は残念ながらそう印象は受けなかった。物語の内容と文体がミスマッチを起こしていた。こういう話を書くのなら、もっと柔らかい文章で語る必要がある。
これとは別に、揚羽はな氏から、別れ際に「ラストシーンの意味が分からなかった。結局、勇樹と愛華の二人は何を企んでいたのか」という質問をいただいた。その質問をされて最初に思ったのは「やっちまったなあ」ということで、つまり変なシーンを入れてしまったのでオチがわかりにくくなってしまったとわかった。
帰り際のドタバタで手短にしか説明できなかったので、ここで補っておくと、経緯は次のようになる。信介は愛華に高校時代に告白したが、愛華はその思いに応えるつもりはなかった。だが、明確に断るのがかわいそうだということで、あいまいに濁して卒業した。信介はそのまま初恋をこじらせたまま三十代になってしまった。一方の愛華は、それなりに恋愛経験を積んだが、研究一筋の人生のせいかそれとも別の原因かはわからないが、長続きはしなくて現在独身。信介と再会し、彼が自分のことをまだ恋しているのだと知ったのだが、それを憎からず思い、勇樹の協力を得て付き合うことにした。
こうやって文章にしてみると、エイリアンとのドタバタの間で、しかも自分の生涯をかけたファーストコンタクトという夢が実現しそうになっている中で、一方的に片思いをしていた信介にかまってやる時間なんてあったはずもなく、ましてや勇樹と一芝居を打つだけのゆとりもなかったはずで、実はプロットとして破綻している。
そういうわけで、「オチがよくわからなかった」という一言が、プロットの内部にあった大きな問題点に気づくきっかけになった。深く感謝します*4。
■そういうわけで一年を通して梗概は選ばれずに終わりました。
別にいいけどね。楽しかったし。
これだけ書いていればさすがにわかることもあって、単純に自分が間違った方向で勝負をかけていたということだ。今回の実作は講師陣からの評判はよろしくなかったのだが、受講生からの評判は前よりも良くて、要するにできもしないアクションを書こうとしなかったからだろう。それよりも、人間心理や風景描写など、得意なほうを伸ばしていけばいいのである。
以前、講師の方からおすすめのSFを紹介してもらったときに、アクションシーンが優れたものが多かったので、SFを書くにはこの程度はできないといけない、ということにとらわれていたのだけれど、そうした思い込みからは自由になれそうだ。
また、SFだからといって物語を完全にロジカルにする必要もないようである。今回の実作は、かなり論理的整合性を意識して執筆したのだけれど、どうも台詞が説明的になりすぎてしまった。確かに自然な会話というよりは議論であり、小説というよりは自分の空想を説明して展開させたものとなってしまっている。このままでは単純な思想の開陳だ。これは、梗概段階で選ばれない原因とも共通している。
この辺はバランスの問題なのだろうけれども、いっそのこと開き直って自然科学を一切出さない作品を最終課題として提出してみるのも面白いかもわからない。
ついでに文体の硬さだけれども、これも意識して柔らかめでやってみたい。今書いているブログの文章くらいにはゆるくやりたい。たぶん、僕がキャラクターを描写するとおのずとお人好しになってしまうので、そういう文体が合うのではなかろうか。
実のところ、こうやって全実作感想を自分の素の感情のまま書き綴ってきたことには大きなメリットがあって、それは難しい言葉で自己防衛せずに気分的なものを素直に出せるようになったことだ。現に、一年近く前のこのブログの文章を見るとその硬さに驚いてしまう。
それとは全然関係ない話なのだけれど、この時期になってやっとのことでこの講座の雰囲気に慣れてきた気がする。だいたい、転職してもその場に慣れるのに非常に時間がかかるタイプなのだけれど、今回もその例にもれなかったようだ。
で、同じ人の作品をずっと読んでいると、この人はこういうのがやりたいんだろうなってのが見えてくる。それが見えてくると読んでいて楽しいし、評価しやすくなり、どう直せばよくなるかがわかってくる。
でも、それは危険と表裏一体で、一般的な読者はそこまで読んでくれない。面白いか、つまらないかだけだ。だから、自分も含めて講師の方のより厳しい意見にもきっちりと耳を傾けないと、そこで進歩がストップしてしまうんじゃないかってのが怖い。
■さて、自分の強みとは何だろう?
志向するものが似ているのではないかと思いました。
— 甘木零 (@cobol_amaki) 2020年2月18日
私の感想は常に勝手感想ですが、
緻密さを求めて書いてて、衒学趣味を楽しんでいるとこが似ていると思いました。ひけらかしだと嫌味だけれど自分で楽しんでいらっしゃる(と読める)から嫌味じゃないの。
全作感想おつかれさまです。出せるなら宇部さんへ今野賞を贈りたい。わたしは宇部さんの作品は宇部さんの個性が十分出ていると思います。一方ブログで書かれていることも正しいと思いますがブログ実作感想改善とPDCAがきちんと回っている感強い。計画的に生活出来る人は何でも最後には成功できるはず。
— 今野あきひろ (@fanzhong_m) 2020年2月17日
“求められているのは作家ごとの強烈な個性、この人の作品じゃないとえられない感覚というブランドだ。”
— 式くん (@11011_11010) 2020年2月17日
式さんはどんな作品を書いている人と思われているのだろうか。講座だと意図的に毎回作風を変えているから、ある意味没個性なのかも。
https://t.co/GvUQsEBX6P
榛見あきる氏が、どっかで名刺代わりの短編という表現を使っていて、そういうのを目指していきたいな、と思ったのである。
それは自分の特徴を、興味関心を端的に伝えるものに違いない。そして、それを執筆するためには、自分が何を好きか、をどこかに纏めておく必要がある。講座が終わって時間ができたら、ちょっとした自分語りみたいなものを、意図的にやってみるのもいいかもしれない。
そうすることで、課題が与えられなくても自分が何を書くといいのかが見えてくるに違いない。
■来年?
このブログでずっと今年で辞めてやるって延々ぼやいていたのだけれど、方向性が見つかったのにここで辞めてしまうのはとてももったいない。一年申し込むたびにボーナスの何割かが吹っ飛ぶが、もうちょっと頑張りたい。幸い、もう一年頑張るとしても、来期の最初の講座は六月に始まる。確か、最終実作の提出が四月ごろで公表が五月。一か月強の気分転換ができるはずだ*5。
それに、この場には慣れてきたのだから、もう少し受講生による講評会に参加できるようにしたい。今年度はいろいろと予定が重なってしまったのだが、来年は全部とは言わないまでも、半分くらいは顔を出したい*6。
結局うまく書けなくて、何年もここに居座って名物おじさんになっているかもわからない。でも、それはそれで楽しい人生な気がする。日本SFに対する、あるいは創作に対するコミットの方法としては、面白いといえば面白い。
楽しくなけりゃ続かないし、続けたってって意味がないだろう。
以上。
追記。榛見あきる氏の梗概感想を見つけたのでリンクを貼っておく。
*1:ランチだけバーや居酒屋を借りて営業する形態、最近職場近くでよく見かける。
*2:今期のみんなの意識が高いだけです!
*3:ひどい偏見と八つ当たりだ。謹んでお詫び申し上げます。
*4:これとは少しずれるけれど、講義で「ジェンダーに触れるときに取扱いに慎重になってしまうのは、それをテーマにしないと生きていけないレベルのクリエイターを目の前に見ているから」って趣旨の話があって、「なるほどなあ」と思った。これはジェンダーだけじゃなくて、世代だとか政治的右派と左派とか、できるだけいろんな立場の人から作品に突っ込みを入れてもらうってのは大事で、そういう点でも、こういう講座ってのはいいものだと思うのだ。
*5:アイディア出しを延々やらないといけないのかもしれないが……。
*6:言うだけならタダ。