宇部詠一(ubea1)のブログ

ゲンロンSF創作講座をはじめとする物事の覚え書き。

近況、つかの間の休養、それからオメガバース

■最近どうしてる?

 COVID-19の影響で小説講座が延期になり、ついでに友人との食事会も中止となった。

延期になった分、次回の実作に磨きをかけているかといえばそうでもなく、ゆっくりゆっくりと作業をしている。つまり単純にペースダウンしたわけである。

 時折、純粋に執筆しない日を作ってみた。そこで感じたのは、何もしないでゆっくりと過ごす夜がこれほど気楽なものであるとは長らく忘れていた、ということだ。小説を書くという作業が自分にこれほど負担をかけていたとは知らなかった。同時に、自分がとても疲れていたこともわかった。ぼんやりと過ごしているうちに、体力が回復していくのが実感された。

 にもかかわらず、自分は文章を書いているときのほうが落ち着く面がある。だから、久しぶりにツイッターではなく匿名ブログで日記を綴ってみたり、自分の失敗談をやっぱり匿名ブログに公開してみたりした。驚いたことに、小規模にバズった記事もあった。

 

■バズった自分の日常

 たくさんの人に読んでもらえたのはうれしかったのと同時に、少し皮肉にも感じた。小説家になりたいと思っているのにもかかわらず、単純な自分語りというか、虚構ではなく事実について書くほうが上手だ、と評価されたと読めなくもないからだ。さらに皮肉なことに、そこに「文章がとても上手ですし、書き手の教養も*1感じさせます。人柄もよさそうですね」というコメントがいくつかついたことだ。褒められてとてもうれしい反面、それは作家にとって必須の資質ではないだろう、とも思われたのだ。

 

■小説を書くのって難しい

 ここに、小説を書くことの難しさがある。小説を書くうえでは、いかに読者を楽しませる嘘をつくかが大切だ。嘘と言って悪ければ、愉快な作り話をどんな風に語って読者を魅了するかが肝心だ。果たして自分にはその能力があるだろうか。一読しただけで理解しやすい、論理的に筋の通った文章を書く力はあるのだろう。しかし、だからと言って小説を書く力があるかどうか、そしてそれが商売になるかどうかは、まったく別の、本当に独立した問題だ。先日、高山羽根子氏がゲンロンSF創作講座の受講生向けに全実作の感想を書いてくださったのだが*2、自分に対するコメントとして、「SF的な設定は一番よくできていたが、キャラクターがそれに比して弱い、ストーリーに奉仕しているだけなのでは?」という趣旨の言葉をいただいた*3。本当に、魅力的な嘘をつくのは難しい。自分はキャラクターを作ることに、本当に苦しんでいる。それに、おそらく恋愛描写もところどころ破綻しているのだろう。自分が得意でないことをテーマにするのは本当にやめよう。もともと、この講座の実作では、大人の恋愛をテーマにするのはやめようと思っていたのだが、今回は含めてしまった。実は時間がなかった中でひねり出したアイディアであったのだが、やはりいい結果にはならなかった。

 アイディアを小説にすることの何が難しいか、それはそのアイディアの説明のために物語を利用してしまわないようにすることを回避しなければならない点だ。主役はあくまでも物語だ。そして、その中核のアイディアもまた新しく考えないといけない。いっそのこと、それを単に説明する文章を書くほうがずっと楽なのではないか、とまで思われてくる。

 

■だからと言ってライターになれるか?

 小説を書くことに(あるいは職場で勤務することに)疲れたときには時折、自分はサイエンスライターかエッセイストのほうが向いているのではないか、と空想することがある。現実的には、サイエンスライターは膨大な書籍を読み、しかも様々な人と対談しなければならない。後者は僕の苦手なことだ。加えて、現職以上に様々な人との折衝、日程の調整もある。考えただけで頭が重くなってくる。エッセイにしたって、目の付け所が凡庸であってはどうしようもない。

 凡庸にならないために、ノンフィクションとか他の人の小説とかを読んでも、どんどんぶっ飛んだアイディアを出す人がいるのがすごい。ぶっ飛んでいるだけでなく、理解可能であるように書かれているのもすごい。

 

オメガバース、女性の感性と僕の男性としての感性と

 そういえば、最近やっとのことでオメガバースについて調べる気になった。時間ができたからかもしれない。概略しか読んでいないが、ここまで複雑なSF的設定を、特にSFのコアなファンでもない人たちが受け入れているのを見て、日本や世界の読者のSFリテラシーがとても高くなってきているように思われてうれしかった*4

 でも、これは完全に僕の問題なのだけれど、女性の感覚で書かれたSF的設定を、素直に読める時期と猛烈に反発してしまう時期が交互に来る。例えば、アルファとオメガのつがいは、女性の喜びがちな*5運命の相手というテーマの変奏なのではないか、と。で、この猛烈な反発な時期には強い嫌悪の情が伴っていたのだけれど、最近になってこれは嫌悪ではなく、畏怖だとわかってきた。女性として生まれなければ書けなかった文章、自分には絶対にアウトプットできない文章、得られない感覚、そこに対する強い尊敬のあまり、自分にはそれができないことを悟って悲しくなるのではないか、と。だが、ここまで質の高いものを書かれてしまっては、とても勝てないし、気にしてもしょうがない。別の軸で勝負するしかない。これも過去の話だが、どうして女性の書いたジェンダーSFばかり評価されて、自分のが読んでもらえないのか、アファーマティブアクションのせいではないか、とふてくされていた時期があるのだが、これも克服した。僕の書くものは、単純に僕がモテないことに対する不満に起因しており*6、そこから人間とは違う生殖手段を描こうとするだけなのだが、多くの女性作家はもっと動機が複雑で、それ故に描かれる世界観も必然的に複雑、プロットも複雑になるのだ。つまり僕の書いたものは単に面白くない。やるならウエルベックくらい極めないとダメだ。素直に負けを認められると、こんなにも気持ちが楽になる。とはいえ、今後もまたへんてこな生殖を書くかもしれないけれどね。楽しいし。

 

■負けることの楽しさと意味

 結局のところ、この講座で自分はこの程度だ、とわかったのが収穫だ。とはいえ、それも悪い経験ではない。大学をはじめとした高等教育の意味というのは、自分よりも圧倒的に頭のいい人間に出会い、十代特有の万能感を打ち砕くにある、と僕は考えているのだけれど、この講座はそれと同じことを僕に対して与えてくれた。この講座の強い競争的な方法が、自分と合っているかどうかはわからなくなっている。来年も参加するかどうかは本当にわからない。イラストを描いている友人が、一日に一枚仕上げることを心掛けていた時期よりも、一枚を丁寧に描くことしてからのほうがうまくなった、と述べているのを見て、一か月に一作というペースが正しいのかどうかも、わからなくなっている。でも、自分と同じくらいの意識の高さを持った人々と顔を直接合わせられることは、それだけで楽しいことだ。小説が書けなくなっても、高いレベルの読書家の友人を得られるというのは、得難い経験だ。

 

■さーて

 大量に買い込んだ本を読むぞー。

 

■いただいたコメントなど

SF創作講座 第8回 梗概感想(30/30)|松山 徳子|note

ゲンロン大森望SF創作講座第四期:第8回実作感想②|遠野よあけ|note

 ありがとうございます。 

 

以上。

*1:前提知識を必要とする内容など一言も書いていないのに、なぜだろう?

*2:ありがとうございます!

*3:優しく穏やかな表現の骨子を抜き出すとこうなります。

*4:村田沙耶香がきちんと評価されているのもその辺が理由だと思う。

*5:要出典

*6: ()