第10回ゲンロンSF創作講座(x月x日)のための覚書

■近況

 新型コロナウイルスの影響で、とうとう講座が行われる日が未定となってしまった。昨今のウイルスの影響はすさまじいものがあり、うちの職場でもテレワークが導入された。自分としては、本当は週に一度というペースで試せればよかったのだが、新型コロナウイルスで非常事態宣言が出たということで、いきなり週に五回の実戦投入だ。偉い人がばたばたする横で、こっちも紙を使わない業務の洗い出しをやっていた。

 この事態にはいろいろと思うことはあるけれど、うがい手洗いマスク、三密を避ける、くらいしかできることはない。自分がこれだけ落ち着いているのは正常性バイアスなのだろうけれど、精神的に消耗したら変な判断をしそうだし、とりあえず毎朝散歩をして業務に入ることにしている。とはいえ、美術館も図書館も市内の大型書店も軒並み閉鎖しているのには、じわじわとダメージが来ている。

 それはさておいて。読書については、最近の作家を改めて読んでいる。あちこちの新人賞受賞作を読んでいると、やっぱりうまいなあと素朴な感想を持つ。別にこの講座の同期をくさすわけではないのだが、新人賞を受賞するにはこのレベルの高い講座でも、さらに頭一つ抜き出さないといけないのだな、と当たり前だが実感する。

 だんだんと疲労感がでてきていて、やっぱり一か月に一作というのはかなり無理やりひねり出しているもので、上達につながるかもしれないが、もっとゆっくりと作品に向き合ったほうがいいという気になっている。

 それとも、単純にやる気をなくし始めているのだろうか。しばらく書きたくないという言い訳のために、講座に合うとか合わないとかそんな言い訳を考え出しているのかもしれない。それだったら、疲れて休みたい、と認めたほうが素直である。

 話を戻すと、ここしばらくノンフィクションを手に取ることが続いていたので、SFを連続して読んでいるのだが、現代の作品をまとめて読むと、よくもまあこんなことを思いついて作品にしたものだというものばかりだ。いったい何を読んだらこんな発想が出てくるんだ。振り返って、自分はインプットを怠って、想像力を貧困にしていないだろうか。

 

■梗概

異教徒の娘とその似姿に恋をした少年スレイマーンの話 – 超・SF作家育成サイト

 この物語のイメージそのものは大学生時代に思い付いたもので、イスラーム世界に対するあこがれからできている。その気持ちの起点は、華美で豪奢な東洋を描いたオリエンタリズムというよりは、東アジアでも欧米でもないもう一つの文化システムに対しての純粋な関心だった。それは欧米の文化と向き合うときの自分の考え方を相対化するためでもあったし、テロとの戦いでいつもイスラームが悪役扱いされることに対する疑問点から、ちょっと調べてみようと思ったのもある。当のイスラーム世界からすれば、極東の人間から妙な同情心を持たれても困惑するとは思うのだけれど、門外漢ながらイスラーム世界の評価はまだまだ低すぎる気がしてならないのだ。

 枠物語を作ることにしたのは、ひとつには「枯木伝」の評価が高かったから調子に乗っているのもあるが、学生という語り手を導入することで、イスラーム世界の細部の描写の不正確さに対する言い訳になるのではないか、と考えたのだ。姑息な手段だが、これによって心置きなく空想に走ることができる。他者の文化をモチーフにすることがそもそも適切かどうかも、メタ的に取り込むことができるかもしれない*1

 講座で確認したいことはいくつかある。一つは、枠物語内部の時代設定を、十字軍時代のイスラエルとかレバノンとかそのあたりにするか、それとも、はるかな未来の同じ場所とするか。そこでは、衛星軌道上に暮らすキリスト教徒と、メッカを中心に地上を支配したムスリムとの対立が描かれる。で、実は未来の世界だったということは作品の後半部分で明かされる。そんな仕掛けはどうだろうか。

 もう一つは、枠物語をどのように設定するかだ。たとえば、内側が十字軍時代で、外側がさっき述べたような未来世界という設定でもいいし、普通にさっき述べたように現代日本の語り手が、自分の片思いと重ねているというのでもいいだろう。ただ、後者を選択した場合、ある種の痛々しさがあるので、それを回避する手段は考えておかないといけない。

 というか、そもそも自分は恋愛描写にこだわる割に実際の駆け引きを書くと下手なのだ。そもそも、もう恋愛描写を中心に話を進めるのはやめたいと思っていたのではなかったか? となると、恋愛以外の枠物語を必要とするはずだ。

 枠物語の外の中を呼応させるのは何だろう? 内側では、人形が一つのモチーフとなっているが、外側でも同じものをテーマにできないだろうか。なにか、人の形をしているもの。外側を未来の日本として、アンドロイドや人工知能。あるいは、政治的なシンボルの存在、それともアイドルと対比するか。あまりに政治的過ぎると話が長くなり、焦点をぼやけないようにするのは大変になるが。

 あとは、枠物語に三つ目の層があるのは、ちょっと多いかもしれない。とはいえ、それは世界観の説明に使える可能性がある。

 

■実作

できることなら、もう一度白夜の下で – 超・SF作家育成サイト

 とりあえず、基本的に梗概段階で提出したラストシーンには基本的に手を入れていないことは自慢したい*2

 さて、以下本題というか課題。

 二万字以内に収めることは失敗した。それだけでなく、自分の作品の欠点を自覚させられる創作だった。基本的に、自分の小説の弱点としてキャラクターが弱いことがある。どこか淡々としてしまう。あるいは、強烈な願望を持っていたとしても、あまりにもまっすぐにゴールに向かっていってしまう。もっとつらい試練を描く必要がある。しかもキャラクターに年齢的な深みがあまりない。これで子どもを描写すれば成功するのかもしれないが*3、それはさておいて、キャラクターが弱いから、当然キャラクターどうしの掛け合いで話を進めていくのも難しくなる。

 今回試みたのは、自分のそうした弱点をSF的な設定でごまかすことだ。つまり、主人公の青年は記憶喪失、というかAIによって自分自身の記憶へのアクセスが制限されており、先輩も人間ではない。舞台となる世界も人工的に再現された東京の一角だ。具体的には御茶ノ水から神保町近辺を想定している。

 そういう作られた世界だから、どこかとぼけた味わいになったとしてもしょうがないのだ、とお茶を濁そうとしている。これが成功しているかどうか、大森氏や同期に尋ねてみたい。

 だが、自分の試みはあまり成功していない気がする。世界の解像度を意図的に落とすというのは、結構難しいことだ。記憶があいまいな世界、というのは前からよく扱ってきたテーマではあるけれど、今作はもっとハードなロジックで攻めるか、はたまたファンタジックな世界にするべきであったのではないか。この講座が通常進行していた頃の、一か月間という猶予は、初稿を書き上げてから細部の矛盾を修正し、次の梗概を考えれば終わってしまう程度の長さで、相当にしんどいのだが、これだけ時間を与えられても、判断しきれないでいる*4

 あと、これは自画自賛ではないのだが、ヒロインの先輩のキャラクターは意図的に少し冷たい感じにした。最初のうちは「子犬が元気をなくしてしっぽを垂らしたような」といった表現を使っていたのだが、着想のもととなったロシアの絵画からは離れていってしまうし、なによりもラストの文章とはうまくつながらない。そんな当たり前のことに何度も読み返すことでやっと気づくことができたのだが、やっぱり時間を置いたとしても、自分で書いた文章にはある種の思い入れと思い込みがあり、辻褄の合わないところを見落としてしまう。

 ついでに、先輩のキャラとは合わないので、御茶ノ水ヴィレッジヴァンガードを訪れるシーンも削除した。学生時代によく立ち寄ったのだが、閉店してしまったとのことで寂しい*5

 恋愛関係の描写は本当に難しい。過去にプライベートでいろいろあったのを、過度に作品に反映したくはないのだが、この講座を通じてもついついやってしまった回がいくつかある。というか、創作に走った理由の一つが「勘弁してくれよ」的な経験を何らかの形で出力しないとやっていけなかったからなのだが、それが今になっても小説にうっかり顔を出してしまうのは、いかがなものか*6

 

■雑感

 この間、エッセイを書きたいとかうそぶいたけれど、ああいうのって、仕事辞めたら日常がますます単調になって、書くことなくなるんじゃないかって思う。

 それと、来期を続けるとしたら、だんだんその確率は下がってきている気がするのだが、全実作を読んでから参加することを考えるだけで気が重い。でも、それをやらないと実際に講座に出席してもあまり面白くないんじゃなかろうか。

 いや、逆に全梗概感想に走ってもいいかもしれない。梗概なら確実に触れられるけれど、実作はそうでもないからだ。講座が盛り上がるのは全実作感想かもしれないし、交流する上で面白いのはそっちなのだけれど、あまりにもしんどい*7

 というか、あまり評価はよくはなかったけれども、実作を創元SF短篇賞に出せばよかったのかな、などとも考える。

 とりあえず、アクションもうまくないし恋愛もうまくない。それならば、どこで勝負しようかな、なんてことをずっと考えている。気力が落ちてきているので、最終実作だけ落した、なんてことにはならないように気を付けたい。

 

 まとまらなくなってきたので以上。

*1:ボルヘスアヴェロエスの探求」にやりたいことが近いのかもしれないが、比較するのは大それたことだし、そもそも読んだのは十年以上前で印象が残っているばかりだ。

*2:他の人が軒並みこれを遵守していたら笑う。

*3:当然のことながら子どもには子どもの難しさがある。

*4:ゼロから書き直すだけの時間と気力がないだけかもしれない。

*5:ちなみに年始に友人と御茶ノ水で食事をする機会があったので、その集合時間の前に足を運んだのだが、残っていたのはほとんどが衣類や雑貨ばかりで、それを友人に話すと、おそらく書籍はとっくに返本していたのだろう、とのことだった。

*6:日記でやれ、とは思う。

*7:このブログでどのくらい講座が盛り上がったかはわからないが……。