■謎のアクセス件数増加
このブログ、SF創作講座の実作感想の記事を書いたときには、大体50から60ほどのアクセスがあるのだけれど、記事を書いていたわけでもないのに、なぜか4月30日に40件ほどのアクセスがあった。どこかにリンクを貼られたのかな? 謎である。
■妹のラムカレーがおいしい
自分も妹のテレワークをしている。さいわい、昼休みの時間が重ならないので、台所の取り合いになることもなく、それぞれで昼をさっと作って食べている。ただ、自分の場合ありあわせの肉と野菜を炒めるか、レトルトに野菜を投入するという程度の手間しかかけていないのだが、妹はきちんと料理をしている。そのうえ、妹の勤めている会社の工場が操業を停止したとのことで、長い休みになってしまったそうだ。おかげで、最近は妹の作ったクランベリークッキーだとか胚芽スコーンだとかをごちそうになっている。この間は誕生日だったので、ベリータルトを作ってもらったし*1、今日のラムカレーは絶品だった。スパイスからきちんと作っていて、生涯で食べたうちの上位3位には間違いなく入る味だった。
妹の自慢をしてどうする、という声はさておいて*2、確かにうれしくはあったのだけれど、自分も小説を書くよりは、何か料理を作ったほうがずっとクリエイティブで、人を喜ばせるのではなかろうか、とちょっとだけ思ってしまうのである。
でも、これだけ料理が上手な人がいると、きっとその腕前に甘えてしまって、僕はまた明日も手抜き料理を作ってしまうに違いない。
■散歩の話の続き
前も書いたかもしれないが、原則として曜日ごとにどの散歩コースにするかを決めている。毎朝どこに行くのかを考えるのは面倒だし、決めておけば曜日感覚を失わないで済む。そういうわけで、同じ花壇や植木の前を一週間ごとに通るのだが、花開いたり色褪せたりするのがわかって楽しい。毎日見ていてその違いを見分けるにはそれなりの観察力が必要だが、一週間ほどあけてみれば、幾分ぼんやりしている自分でも、さすがにこの花は元気がなくなってきたな、と気づくのである。
そういえば、花でふと思い出したのだけれど、誕生日と母の日に花束を贈る。その時にいつも行く花屋さんは年に二度しか行かないのに、顔を覚えられていたのには驚いた。接客業とはそういうものなのか、花を買う自分と同年代の男性が少ないのか、自分の顔立ちや挙動がよほど印象的であったのか。どれなのかは謎だ。
さて、近所を歩いていると、かなりの家庭で園芸を楽しんでいることが見受けられるのだけれど、先日近所のお寺を久しぶりに尋ねたら、中に花壇ができていて驚いた。ほかにも、急な石段の下には登れない人のための遥拝所があったり、庚申塚があったりと、幼少の頃には気づいていなかったものがたくさんあり、大変面白い。
自分の近所は古い街道沿いの山を切り開いて作ったニュータウンなので、駅から離れるとそうした歴史をうかがわせるものが結構ある。江戸時代に近隣の村の人々が建てた碑であるとか、時代は下るが日露戦争や太平洋戦争での戦没者を祀った慰霊碑だとか、昭和天皇の歌碑だとか、歴史の浅い地域に見せかけて意外と歩いていて退屈しない。
ところで、今日はいい天気だったので近所の公園まで読書をしに行ったのだが、思いのほか遊んでいる家族の姿が多く、心温まる光景ではあったのだけれど、早めに撤退した。平日もそうだったのだが、最近はごみ収集車からも「不要不急の外出は避けてください」との放送がずっと流れていて、平時ではないのだなあ、と当たり前のことを実感しているのである。
■civilization 6の話の続き
こういうゲームでは、大抵敵が攻めてくるので撃退しないといけないのだけれど、敵ユニットを撃破するよりも、内政でちまちましたことをするほうがやっていて楽しい。どういう都市計画をしたら一番スコアが稼げるかとか、どの政策を選んだら生産力にブーストがかかるかとか、美術品から出る文化力を最大化するためにほかのプレイヤーと美術品を交換するとか、そういう地味な作業をするのが好きだ。
箱庭的なものが好きなのだろう。
■疑問:外に出られないし、小説を書いていないから文章が長くなるのではないか?
たぶんその通りだ。
以下、感想。
■天王丸景虎「皿の外」
二つの極端な社会を比べて、どちらが幸せかを選択するタイプのストーリー。僕もこういうの好き。
ただし、人食いをSFとして成り立たせるための設定を練る必要がある。そもそも、どうして人食いたちは人間を食べないといけないのか。クローンを作れるのだったら、人間の肉を培養して食べればいいのであって、わざわざ生きた人間と交渉して肉体をもらう必要がよくわからない。梗概は書ける量が短いので省いている可能性があるが、その設定はしっかりしておかないと、大きなプロットの穴になる。
人間を食べる理由は何だろう。また、わざわざアップロードさせる優しさもどこから来ているのだろう。宗教上の理由? 作者の、誰からも干渉されずに隠遁したいという願望がそのまま漏れているのだとしたら、その願望を切り分けて、個人的な空想から普遍的な物語にすることが求められる。
■稲田一声「おねえちゃんのハンマースペース」
姉SF。
ギャグテイストのマンガ物理学から、自分が複製されたものであるというホラーの落差が面白い。序盤の姉との仲良しぶり、父親からの暴力に由来する姉弟相互の依存へのステップを丁寧に書いていけば、弟が姉をハッキングしてしまう執着心や、姉の気持ちを救うためだけに全人類を一度分解して再構成してしまう妄念に、説得力が与えられる気がする。
あとは、このハンマースペースにどの程度説明を与えるかだろう。面白い理由が思いつかなかったら、変に理屈を考えないほうがいい。
【追記】なんでも生み出すスペースを子宮としてとらえ、姉らしさと女性らしさを(場合によっては皮肉を込めて)テーマにすると、また違った面白さになるかもしれない。万物を飲み込む恐ろしい母としての姉。原始的な神話っぽい。
■今野あきひろ「受戒」
梗概段階では、これどうやって作品にするんだ、的なものを多く見せていた今野氏だが、当梗概は当人の別れの挨拶で結ばれており、まるで現実と作品をリンクさせようとしている試みのようにも見える。とはいえ、ツイッターは本当に削除してしまっているようで、いったいどうしてしまったのか、と心配にもなる。
しかし、いずれどこかで、という風に終わっているので、きっとどこかで会うこともあるのだろう、と前向きに考えておきたいのだ。
【追記】ツイッター復活してた。良かった。
■藤 琉「螺旋のどん底」
すごいネタのてんこ盛りだ。楽しみだが、原稿用紙120枚で終わるだろうか。
遺伝子による差別、人肉食、テーマとしてはとてもキャッチ―だが、まじめに扱うと長くなる。そして、中でも特に天皇が難しい。
たとえば「日本沈没」では皇室の避難先として、確かスイスと南米とアフリカが挙げられるけれど、天皇に関する言及はそのくらいだ。というのも、まじめに天皇制度について扱うならば、文庫本二冊程度では収まらないからだ*3。
同じ問題はゴジラでも出てくる。なぜゴジラは皇居を襲わないのか、監督の政治的な判断なのか、という話になるだけれど、単純に天皇を扱うとプロットが複雑化し、二時間で終わる脚本が書けない、という単純な理由なのではないか、と僕は疑っている。僕らは天皇について多くの意見を持ち、それなりに長く話すことができるからだ。
つまり、天皇制についてどのような立場をとるものであれ、日本人と天皇制度の結びつきが深すぎて、短い話としておさめるは難しいのだ。例えば歴史小説を通じて天皇について語ろうとしても、生真面目に一生涯を通して語りたくなってしまうらしい*4。いっそ外国人のほうが、それこそソクーロフ「太陽」みたいに*5 、うまく切り取れるのではないかと思っている*6。
何が言いたいかというと、テーマ詰め込みすぎでは? ってのが心配なのだ。
■甘木 零「開化の空を飛びましょう」
第7回のプロットを第8回の設定を盛り込んで精密化している。キャラクターの設定も細かく魅力的になっている。
あのときは実作がなくて、ちょっと残念だったので楽しみにしている。特に取材するにあたって、書籍ではなく実際に関係者に当たったのは甘木氏くらいで、だから相当にいいものができるじゃないか、って期待している。素晴らしい空想は、細部をどこまで具体的にイメージできるかで決まるのだし、それは直接顔を合わせた人間から受け取るのが一番だからだ。
■夢想真「蘇る悪夢」
誰しも不確かな記憶を持っているもので、その正体は恐らく一生明らかにならないのだろう。そういうもやもやしたものを作品に盛り込めたらいい気がする。
問題は、これをSFでやる意味だ。下手に、最新の記憶の分析装置を持ち出すよりは、カウンセリングを通じて正体不明の男の記憶が鮮明になるにつれて、周囲に怪現象が増えていく、とやったほうがわかりやすいのではないか。カウンセリングのシーンは難しいだろうが、そうやって生の人間のやり取りから化け物が出るほうが、機械を通じて出てくるよりも怖くはないだろうか*7。人間の記憶のライトプロテクトってそもそも何なのか、というかそれは簡単にロックを外せるものなのか、疑問は尽きない。それと、SFで新しい技術を持ち出すときには、その技術の登場によって起きる社会と、人間の意識の在り様の変化が描かれたほうが面白い。
もしかしたら、文字数の制約のせいで書かれていないだけかもしれないので、そうだとしたら申し訳ない。
今日はここまで。
4回記事を書けば終わるかな。最初は数におびえていたけれども、何とかなりそうだ。
以上。