最終実作、ダールグレンラジオ、それから松山氏の感想

■謝礼

 皆様、いつも励みになるコメント、ありがとうございます。毎度参考にさせていただいております。

 

■ダールグレンラジオでいただいた感想

 いつものことだけれども、どなたの発言かを聞き取ることが難しいので、とったメモから大意を拾う。ここの15:00くらいから。

 毎回ハードな設定が多く、 SFというものにしっかり取り組んでいる。アラビアン・ナイト風の舞台なのはテッド・チャンに影響を受けたのだろうか。お話そのものはチャーミングにできていて、人形というテーマに貫かれている。

 雰囲気は近代小説っぽいところがあり、芥川龍之介太宰治の奇跡譚を思わせる。「奉教人の死」「おぎん」など。他にもユルスナール「燕の聖母」にも似ていて、おすすめ。ただ、作品を書く前に読んでしまうとノイズになってしまうかも。

 先ほど、芥川・太宰について述べたが、劇中劇の扱いも似ている。太宰の作品に物語を書いている作者の日常が入ってくるものがあり、それがとても好き。

 ただし、ドラマが浮かびにくいという欠点もある(梗概は視覚的なのがいいのかもしれない)。

 それと、ネーミングはダビデとソロモンそのままなので*1、そこは変えたほうがいい。

 それとは別に、ダールグレンラジオの中から最終実作に役立つと感じたことは次の通り。

お話を観念的にしすぎないほうがいい。自分にとっての理想の、イデア的な小説を書いている、という気分で執筆するのがいい。世界観よりも、主人公が何をしてどうなったかを書くのがずっと大事。講座やラジオで指摘を受けることもあるが、そこは反映するといい。ただし、守りに入りすぎない範囲で。

各人には得意なジャンルがあると思うが、毎回そればかり書いていると飽きられてしまうし、評価もされにくい。得意な分野は残しつつ、毎回新しいことにチャレンジするといい。得意技を使いつつ、毎回ちょっとずつ新しいことを試すと、講座という形式を活かすことができる。

■松山氏の感想

 こちらから引用。

様々な物語を書いている青年は落ち込んでいる様子ですね。救いを求めて書いた物語に、どんな影響を受けるのでしょうか。砂漠に点在する街で、夜の風を受けながらオレンジ色の蝋燭の元で一人筆を走らせているイメージです。青年の物語も、青年が書く物語も、比較的静かなのに色鮮やかな印象なのが不思議です。

 ■雑感

 よく読み込んでくださったコメントをいただくだけで励みになるのだけれど、今回とても腑に落ちることがあった。自分の小説は現代小説というよりも近代小説なのだ。言われてみればテーマも文章のリズムも色濃く影響を受けている。自分の長所と短所をこの一言で説明できてしまう。

 学生時代に読んでいたのは大体そのあたりの時代のものばかりだったし、確かにその通りなのだろう。

 国内海外を問わず、近代の小説のどこに惹かれていたのか、その理由はわからない。それこそドストエフスキーのように、神は実在するのかどうかで呻吟する、その大仰な身振りが好きなのだろうか。時代が下るにつれて神の存在を信じられなくなり、あるいはそもそも神に呼び掛けることさえしなくなっていくのだけれど。それとも、まだ教養なるものに価値が見いだされていたからなのだろうか、たとえエリート主義であると批判されようとも。

 わからない。現代が近代の作品を批評するときに指摘する様々な物事、それは確かに正しいのだし、自分も当時の価値観は批判すべきであるとも思うのだけれども、それでもなお、正しさを超えたところにある魅力があるのだし、その源泉はいったい何なのだろう、と気になっている。

 梗概とはただあらすじを書くのではなく、ヴィジョンを示すものなのだなあ、とラジオを聞いてやっと理解した感じがある。それでも、松山氏は視覚的なイメージを思い浮かべてくださったので、企画書としてまったく不出来というわけではない感じがして、うれしい。

 具体的にどこを直そうか、あるいは次回の講座ではどの点でアドバイスをもらおうか、いろいろと検討はしているのだけれども、もう遅いのでまた今度。

 

 以上。

*1:ここの講座の読者のレベルが高いってこと忘れてた。実作では変えるつもり。