2019年度ゲンロンSF創作講座第10回(6月19日)受講後の感想

■梗概についていただいたコメント

異教徒の娘とその似姿に恋をした少年スレイマーンの話 – 超・SF作家育成サイト

 メタを狙っているのだろうが効果が不明で、何を狙っているのかがわからない。何が言いたいのだろう? フィクションの本質をつこうとしているのだろうが、この梗概だけでは伝わらない。虚構の虚構性、虚構の歴史、二重に語ることをやりたいのだろうが、これだけではわからない。

 

■実作についていただいたコメント

できることなら、もう一度白夜の下で – 超・SF作家育成サイト

 饒舌体が身についておらず、どっちつかずという感じ。とはいえ、自我がはっきりせず離人感のあるところは面白いので、そこを長所として伸ばすのがいいのではないか。実は宇宙船のほうが夢であるとか、非現実のものであるかもしれないというあいまいさがあり、そこに特化したほうがいい作品になる。

 自分が書かれたものかもしれない。自分は存在しているかどうかがわからない。テキスト的なもの、メタ的なものであるという可能性を追求しているが、このままではありきたりである。こういうのはもっと洒脱にやるべきで、ディティールにも魅力が欠けている。

 特に会話に魅力が欠けていて、キャラクターの会話が情報を伝えるだけの機能を担っているだけ、つまり事務的。会話をしなければならないからしている感じがあり、もっとサービスする必要がある。

 これだけだと、ごくありがちな設定なので工夫が必要。

 

→小浜氏より2点。感謝します。感じられた可能性に対する点、ということだった気がする。

 

■揚羽はな氏と九きゅあ氏からの実作に対するコメント

1.青年の妹に対する思いやりがいい。(多分、現実世界で壊れてしまっている)戦艦のAIに、人間がしてあげられることと言えば、たしかにそういう指示しかないよね、と思いました。人間とAIの役割が逆転しているようなストーリーの中で、本来の役割に戻った安心感もあります。

2.憧れの先輩と対等になろうとする青年の、自分の成長に対する確たる自信が現れていて、読後感はとてもよかったです。

3.(ここからちょっとな点)青年と先輩を「学園」でであわせると、ちょっとギャップがありすぎのような気がしました。戦場ー学園の間と、想定年齢がマッチしていないような

4.絵画に合わせてコートを出してきたのだと思うのですが、このストーリーの中で特に重要視するものではないと思います。前半の記述は不要かもしれません。ラストでは、青年も成長しているし、先輩も大人になっているので、特に違和感はありません。

 

勝手な感想を書かせていただきましたが、宇部さんのお話はとても読みやすく、読後感がよいのが特徴ですね。

いつも感想を書いてくださっているのに、こんな程度のフィードバックですみません。

残るは最終実作ですけど、講座が終わっても、宇部さんの作品は読みたいです!

あ、そうそう。

私、宇部さんってエッセイが似合うんじゃないかと思っています。ブログとかも、自然体でいい感じです。

 

 講座が終わっても読みたいと評価していただけるのは、本当にうれしいことだ。感謝します。

(それと、九きゅあ氏からは梗概について、日本編を入れると方向性がかすむので、イスラーム世界のほうがいいのではないか、ともコメントをいただいた)

 

■雑感

 思うに、ゲンロンSF創作講座に向いているのは、梗概が選ばれなくてもある程度提出できて、作風にある程度の幅があり、毎回傾向を変えることで自分の伸ばすべき方向を探ることができる人、なのではないだろうか。毎月作品を書き上げることは、時間の制約上個々の作品を高レベルに仕上げることには適さないが、何を目指すべきかが見えてくる。この講座でデビューできなくても、非常に有意義な講座であると思う。毎年受講すればいいかどうかは別として。

 さて、これだけ多くの人に指摘されているけれど、変に文章に気合を入れず、普段日記を書くような文体であっさりと綴ったほうが、自分が好きな物事をねちねちと描写するよりもいいらしい。それと、会話が情報を与えるだけの機能しかないということも、言われてみればまったくその通りだった。読者を楽しませるというよりも、ストーリーを進めるための情報提供だけの場になっている。雑談をしろとまではいわないが、軽い雑学を取り混ぜるなり、キャラクター同士の関係が浮かび上がるような描写をするなりしないと、本当に義務で会話することになってしまう。言われてみれば、過去の作品のほとんどにそういう傾向がみられ、だから作品に硬い印象が生まれてしまっていたのだろう。

 エッセイが向いているというのも、複数の人から言われており、はてな匿名ダイアリーでもときどき文章が読みやすいという評価をいただくことがある。喜ばしく思う。ただし、エッセイを綴るには非凡な着眼点が必要であり、安易にエッセイの公募に出せばそれでいいわけではないだろう。

 さて、いよいよ最終実作。変に気負わず、ちまちまと書いていこう。そして楽しむこと。自分が楽しくなかったら、きっと読者も楽しめない。

 

 以上。