最終課題:ゲンロンSF新人賞【実作】感想、その2

■近況

 さっき真夏の服を買った。

 で、新型コロナウイルスについてだが、やはり感染症について理解を深めないと、議論の細部を追えない。というか、そもそも感染症について直感的な理解ができていない。

 原発事故のときは、自分には幾分放射線の知識があったので、何をどうすればどのくらい危ないかは肌で理解できていたし、リスク感覚もそこまで的外れではなかった、と自分では思っている。大学院ではX線を使う装置を操作する関係で放射性物質を扱う研修に出席したし、実際に微量の放射性物質を目の当たりにすることができた。博物館に行けば霧箱も置いてあるので、目の前で宇宙線が自分の身体を通り抜けていることを実感できた。

 しかしウイルスの場合、病原性には変異があり、リスクの変動が速い。中でも最も予測できないのが人間の動きだ。どれほど知識を身に着けても、大学の教養レベルの生物では、なかなかに厳しいものがあるな、と実感している。一応大腸菌の遺伝子組み換えの実験はやったことはあるが、感染症とはだいぶ別の話だ。

 

■いただいた感想

SF創作講座の最終実作を読んでみたので、勝手にオススメするよ、という回|香野わたる|note

 香野わたる氏から。ありがとうございます。

私小説的なSF。技術の拡張により世界中の文化が隣における社会に生きる凡夫の物語という意味ではSFなのですが、どう判断されるでしょうか。

 確かにその通りだ。それにしても、自分は何を書いても私小説になってしまうし、そうでなくなったら地に足がつかなくなる。どうしたもんだろう。ゆっくり考えていこう。

 

 以下感想。

 

■夢想 真「蘇る悪夢」

 ホラーを読むほうではないので、怖いか怖くないかの判断は控えさせてもらう。その代わり、どうすればこの小説がよりよくなるか、について書きたい。

 まず、主人公のアキオが登場するまでに時間がかかりすぎているので、最初の他人の悪夢の描写はカットする。それから、視点を終始アキオからにする。アキオが主人公だと理解するまでに、自分はかなり時間がかかってしまったからだ。

 また、視点を終始アキオからにすれば、初対面の富樫警部補とサナエが敵か味方かわからず、読者の興味も引き付けられる。今のままでは、この二人が最初から敵か味方かはっきりしすぎている割には行動原理が謎で、焦点がぼやけている。そして、二人のキャラクターを深めるというか、印象的にしてほしい。二人がどんな人物なのか、もう少し情報がないと、物語を進めるための道具になってしまう。

 ぼやけているといえば、そもそもこの小説をホラーにしたいのかSFにしたいのかも揺らいでいる。読者を怖がらせたいのなら、ラストのバクに食われるシーンは軽妙すぎるし、黒い服の怪物をもっと正体不明にしたほうが怖い。自分の正体を語るお化けって、あまり怖くないんじゃなかろうか。逆にSFにするんだったら、もうちょっと他人の夢の世界がつながっている仕組みとか、サナエが無意識を読める理由とかを知りたいし、なんだったら怪物の正体をかなり論理的にしてもいい。今のままだと、夢から怪物を実体化させる技術が、何となくかっこいいから出しただけ、になってしまう。SF風味を強めるなら、「風牙」が参考になるかもしれない*1

 あとは、説明しなくてもわかる個所に描写を割き過ぎているので、もうちょっと文章を刈り込む必要がある。

 ところで、実のところ怖い夢を怖く書くというのはとても難しい。というのも、個人にとって一番怖い夢がどうしてそこまで怖いのかといえば、それは個人的な記憶に根差しているからで、それを第三者に伝えるためには、相手の過去の人生について知ってもらう必要がある。誰にとっても怖い、高所からの落下だとか大爆発かならともかく、個別の夢の恐ろしさを書くのは、かなりの難題だ。

 加えて、あくまでも夢であるがゆえに、どこか茫洋とした感じが欲しい。あまり明確だと夢らしくないのだ。つまり、アキオが過去を思い出すシーンの斜体の部分、「熱い陽射しが降りそそぐ山道の、むせ返えるような草いきれの中を、親子が歩いている」から始まる個所は、夢にしてはあまりにも論理的で、説明的に過ぎる。それに、これをアキオが一人称で思い出しているというよりも、作者が説明しているように読めてしまって、没入感が失われるのではないか。

 ただ、改稿すればもっと良くなる気配がする。個人的におすすめなのは、初稿を書いたらそれを原稿用紙数枚の梗概にし、初稿を読みなおす方法だ。そうすることで、小説のどの要素が根本的なもので、どこが枝葉なのかがわかり、削ったり逆に足したりすべきところが、はっきりしてくる。

 

■古川桃流「ファントム・プロパゲーション」

 アイディアの源泉はこちらの記事だろうか。ここでは、キャプチャを利用して古書の文章を解読させようとしている。

https://srad.jp/story/07/10/02/2339225/

BBC NEWS | Technology | Spam weapon helps preserve books

 さて、小説としてはしっかりしていると思う。おじいちゃんのキャラが立っているし、印象付けることには成功している。論理的にも破綻は見られない。

 とはいえ、少し地味かもしれない。どこが地味なのかといえば、ポイントは複数ある。

 たとえば、主人公の開発場面。一年くらいを通してソースコードアウトソーシングしながら書き換えていくのだけれども、そこは主人公が何をどうした、といった描写が淡々と続き、読み飛ばしそうになってしまった。主人公が在宅で作業をしているので人との接点が少なく、必然的に会話も少なくなり、結果的に掛け合いからキャラクターを印象付ける機会が減ってしまう*2。動きが少ない場面を、興味を持ってもらったまま読んでもらう個所、僕も苦労する。

 技術的な細部についても、扱いが難しい。逆関数を使って云々のあたり、個人的はとても面白かったのだけれど、微分積分という言葉が出てきただけで混乱する読者というのは確実にいるので、もう少し嚙み砕くといいかもしれない*3

 もう一つは悪事の地味さだ。確かに、親の人格がアプリで変わってしまうというのは、かなり怖い話なのだけれど、変化がゆっくりすぎるというか、アプリのせいで人格が変化したのか、単純に認知症が重くなったのかが、読み取れない。だからと言って突然狂暴化する、ってのも、作風と違う気もするし、しかも、暴れるのも認知症の症状であると読まれる可能性があり、難しい。うまくアドバイスできなくてすみません。

 それと、高齢者にデータ入力をさせていたというのは、誤読していたら申し訳ないのだが、意図的に儲けようとしていたというよりは、巨大システムを作っていたら結果的にそうなった、という読みでいいのだろうか。そうだとしたら、無意識に行われる悪という意味では面白いのだが、結果がそれに比して地味な感じがする。意図的にやっていたのしたならばそれもやっぱり地味で、儲けるにはもっとうまい方法があるだろう、と思う。

 それと根本的なところを突っ込んで申し訳ないのだが、幻肢痛とこの現象の共通点がわからなかった。ファントム・プロパゲーションという言葉の響きはかっこいいけれど。

 ただ、老化SF、高齢者SF、身体障害SFってのは、高齢化社会パラリンピックへの注目が高まっている現代で、どんどん伸びていく分野だと思うので、もっとパワーアップしたのを是非読みたい。

 

■榛見あきる「踊るつまさきと虹の都市」

 完成度が極めて高い。登場人物の数を厳しく絞り、無駄がない。SF的な説明の個所も、例えば移動しながらだったり、抽象的な概念の後にすぐに具体例が出たりと、非常に親切。登場人物全員が何らかの秘密を抱えており、それが適切なタイミングで明かされることで、物語が驚きとともに進んでいく。悪役のように見えたキャラクターでさえきちんと過去があり、納得できるだけの行動原理に支えられている。そのため、主人公が自分のアバターを奪還することに失敗する結末であるにもかかわらず、読者にとっては納得できるものになっており、読後感がよい。

 また、情報量が膨大であるにもかかわらず、読者にはそれほとんどストレスに感じない。説明がスムーズだし、物語上必要にして十分な量で、知識のひけらかしになっていない。鳥葬などの風習も、ただのエキゾチズムではなく、主人公たちの精神の基礎にある仏教的な考えを示すものとして、有効に機能している。

 なによりも、SFとして新しいヴィジョンを持っている*4。自分の身体をいかに扱うか、そもそも身体とは何か、という哲学上の重大な問題がエンターテインメントに昇華され、片腕をなくした欠落のある身体が、肯定的に語られる。障害のある身体が、ただの慰めやきれいごととしてではなく、唯一無二の表現を行う媒体として称揚される。つまるところ、障害論にまで議論が拡張されているが、そこにお説教はなく、単純なかっこよさがある。この人には限らないが、第1回実作で扱われていたテーマが、見事に結実した形である。

 ただし、タイトルはもっとかっこいいものがつけられたと思う。それと、誤解だったら申し訳ないのだが、「嫋嫋」は「じゃくじゃく」ではなく「じょうじょう」と読むのではないだろうか? 逆に言えば、自分の指摘できる欠点は、それくらいしかない。

 

■よよ「うつろね」

 僕はこういう方向性の作品がとても好きだ。しかしながら、好きだからと言って、それをうまく読解できるかどうかはまた別問題だ。これが「女性の、女性に対する嫌悪」なのだろうか、と他人の心情に疎い僕などは、首をかしげている*5

 嫌悪というか違和感は読み取れたのだけれど、それを嫌悪と呼ぶのならきっとそうなのだろう、と思う。で、梗概を読んだ時点で、自分は女性の角を般若の角や男性原理にたとえたのだけれど、もしかしたらこれは(男性社会への?)過剰適応も含んでいるのではないか、という気もした。考えてみれば、琴やギターをつま弾けば指先は硬く爪のようになる。皮膚というのは、自分の心と外界を隔てる膜であり、それが角のように硬くなるほどに心がざらざらした現実に傷ついていた、ということなのか。ならば、本音を押し殺すことで作り上げてしまった角に貫かれるというのは、痛烈な皮肉だろう。

 あとは、こういう作品でどこまで現実の過去を厳密に再現するかは、とても迷ってしまうテーマだ。古典だと登場人物の本名はめったに呼ばれないので、こうして固有名詞が出てくるのは不思議な感じだけれど、あくまでも平安風で現実の過去ではないとすれば、それで構わない気もする*6

 それと、古い日本語はきれいだったけれど、ところどころ連体形ではなく終止形で名詞を修飾している個所があった気がする。あれって大丈夫なんだっけ?

 いろいろ細かいところをねちねち指摘してしまったが、著者が書いていてすっきりしたと聞いてこっちも嬉しい。大体、創作っていうのは書いているうちに救済されるものであってほしい。それから読者も救済されればなお素晴らしい。

 

■品川必需「ムキムキ回転SFおじさん」

 これはどの辺がSFなのかなあ、と思いつつ、世間にハードSFの良さを伝道しようとしているおじさんは応援したくなる。

 ただ、これだけの長さで人の生き死にをやってしまうのは、ちょっと軽すぎやしないかな、とも思われて、でも作者もわかっているんだろうな、とも感じられる。1か月って本当に短い。

 これ、どういう方向に広げたら面白い作品になるのだろう。SF方面にもっていくんだったら、ドタバタSFにしてエイリアンみたいなどんどん変な奴らが出てきて、そいつらはみんな筋トレマニアで、持っている道具が本当に段ボールみたいな外見のタイムマシーンだとかパワードスーツだとか、みたいにしていくんだろうか。それか、泣けるSFにして亡くなったお母さんとの関係を軸にもっていくか……。僕がここで言うべきことじゃないな。続き待っています。

 

 以上。1日に1作以上のペースで読んだけれども、連休は他にも用事があるので、土日はさぼっていいですか……。

 

*1:すでに参考にしていたらごめんなさい。

*2:テレワークによるお仕事小説をどうやったら面白くするか、ってのが今後のエンターテインメントの大きな課題になるはずだ。

*3:個人的にはすごく面白かったが。

*4:これができている作品は、プロでも本当に少ない!

*5:作者ではなく読者の問題なので気にしなくて大丈夫です。後でもう一遍読んでみます。

*6:この講座では近過去SFの可能性に言及されていた。