最終課題:ゲンロンSF新人賞【実作】感想、その3

■いただいた感想。

 

 ありがとうございます。やっぱり力抜いて書いたほうがいいんだなあ。

 それと、やっぱり私小説的な要素を混ぜたほうがよくなるっぽい。どこまで自分を削り続けることができるかはわからないけれど*1

 それか、ある程度登場人物と当事者性を共有するってことだろうか。このあたりについてはもう少し突き詰めて考えたい。

 

■式宮 志貴「わが東京ドームは永久に不滅です」

 またアホなことしてる、と見せかけて、実はきっちり計算しているのがよくわかる。

 というのも、物語のどの時点で見せ場を作るかの波が、きっちりとエンタメの骨格をなぞっているからだ。作者は、かなりちゃらんぽらんな作品を書いているようでいて、実はかなり配慮して書けるタイプなのではないだろうか。少なくとも、講座前半の作品と比べるとリーダビリティはどんどん上がっている。しょうもないネタも多数あるのだが、その姿勢は作品全体を貫いており、読者をちょっとくすぐったらすぐに退場する。何が言いたいのかというと、「NO SUMOKING DIMENSION」のときのように、ネタありきでストーリーを作るのではなく*2、ネタはストーリーを彩る脇役として抑えめになっているのだ。アホなのは間違いない、しかしそのアホらしさがただのアホらしさで終わっていないのがすごい。

 とはいえ、「NO SUMOKING DIMENSION」のときもそうだったのだが、とりあえず因果律の果てとか特異点とか濫用しすぎる傾向があるので、今度そのネタを封じるのはどうだろう。

 そうそう、書いていて気付いたのだけれど、これ、ただの関西人によるアンチ巨人小説じゃないのが、阪神タイガースSF*3のなかで特筆すべきポイントなんじゃなかろうか。むしろ、ライバルの本拠地である東京ドームを、野球にとどまらないエンタメの殿堂として讃えているこの姿勢、とても立派である。

 希代のアホ小説に、まじめなことを書くのはそれこそアホらしいかもしれないが。

 

■武見 倉森「ある証言たち」

 タイトルは変えたほうがいい。それ以外は、自分はうまく欠点を見つけることができなかった。せいぜい、ニーチェという名前のわざとらしさくらいか*4

 集団で行う競技の何が面白いのかさっぱりわからないぼっち充の僕が、サッカーについて書かれた文章が面白いと感じることがそもそも非常に珍しいのだが、つまり興味がない相手にも面白さを伝えるのに成功しているので、非常に高い筆力の証左である。また、登場人物もきちんと感情を持ちながらも筆致は抑制されており、まったくうるさくないのも僕の好みだった。それぞれの登場人物の行いがただの悪としてではなく、自分にとって大切なものを守るために道を誤ってしまった結果であることも、静かでありながらも緊張感をはらんだ作風ともぴったりだ。

 もう一つ特筆すべきは、精神疾患というテーマに真摯に取り組んだことだ。うつ状態からその回復期にある人間が、果たして人間を刺すという行為に及ぶかどうかには疑問符が付くが*5離人感をもたらす無茶な治療*6をされた人間の抵抗や、判断力の低下と考えれば、理解できなくはない。明確なうつ病と書くことをやめるなど、微細な修正で対応できる気がする。

 そしてまた、強い人間であることを要請され続けるスポーツ選手のメンタルヘルスという、現実の問題と地続きであることも見逃せない。過度に男らしさが求められる男性選手の精神的なプレッシャーも扱われている*7

 確かに、もっと〈アレグリア〉の技術について深く知りたいうらみもあるが、短編なのでこれが適切だろう。それに、この作品はアーノルドの物語だ。それ以外の要素は余計であり、この作品に余計な要素は見当たらない。

 

■渡邉 清文「鏡の盾」

 ギリシア神話オールスターズ。こういうの大好き。

 神話の登場人物が、原典にある程度は忠実でありながら、それにとどまらない個性を持っている。ほぼ無個性であったはずのゴルゴン、グライアイの三姉妹がきちんと書き分けられているし、ナルシスも単純な自己愛だけに終わっていない。鏡に映った自分の姿を見てばかりという意味ではそのままなのだけれど、他人とあまりかかわろうとしない、興味がないという要素は新しい。これもナルシスのキャラクターを、そもそも他人が見えていない、というものへと再解釈したことによる成功だろう。そうすることで、メデューサとの化学反応が非常に面白いものになっている。原典では鏡越しに見ればメデューサの魔力は無効化された気もするが*8、それだけヘファイストスの鏡が精巧だったということなのだろう。何度も言うが、自分は古典をベースにしながらも、設定を深読みしたり意図的に解釈を変えたりすることで、全体の相貌を大きく変えるタイプの作品が大好きなのだ。それに、無数の鏡による光学攻撃は絵的に格好がいい。

 もちろん、オールスターズにしたことの欠点もあって、ミロのヴィーナスをテーマにしたときの課題を混ぜたので、焦点がゴルゴンとグライアイからちょっとずれてしまった感じもしないではない。しかし、魅力的なサブプロットではあるので、削るのも何か違う気がする。なんだろう、長さが足りないのだろうか。しかし、神話なので語り口はこれくらいの密度でちょうどいい気もする。適切なアドバイスができず申し訳ない。

 それにしても誰もいないパリの街、図らずも現代を描いたものになってしまった*9

 

■九きゅあ「デスブンキ ヌーフのダム」

 作者の中では明確なルールがあり、それに則って話が機械的に進んでいるのだが、情報量があまりにも多すぎて、理解するのに非常に手間がかかった。というか、作者の意図を半分も理解できている気がしない*10

 まず、冒頭で「1.世の中には分岐を持った人間、フォーカーが1パーセント未満の割合で潜在する」云々と、ルールがいきなり六つも紹介されるが、それを理解する間もなく、どんどん新しいルールが追加されていくので、とりあえず何が起きたのかを追うのが精一杯になる。漫画「DEATH NOTE」などでも、やたらと細かいルールがたくさんあるが、それはそれなりの長さの中で少しずつ紹介されていくし、頭脳戦の中で明らかになっていくので、それらは自然に読者の頭に入る。また、正確に理解していなくても楽しめるように工夫されている。たぶんこれだけの数のルール、長編にしないと収まらない。

 ここでは作者が表現したい壮大な世界があり、思い切り背伸びをしてチャレンジはしたものの、どこかうまくいっていない感じが伴う。例えば、どうして人が死んだら分岐ができるのか、そもそもノアの箱舟がどうして出てくるのか、何でそこでカリフ制が出てくるのか、沖縄と何の関係があるのか、それは単純にノアとヌーフという人名と沖縄の地名を絡めた言葉遊びに過ぎないのではないか、と疑問がたくさん出てくるが、作中の説明からだけでは、自分に知識が足りないせいで、まったく理解できなかった*11

 正直、作中に複雑すぎるゲームのルールを導入する前の、講座前半の作品のほうがずっとリーダビリティが高く、読んでいて素直に楽しめていた。小説というのは新しいゲームのルールの説明をする場ではなく、基本的には読者がリラックスした状態でも何が起きているかを理解できるようにしておく必要がある。小手先のテクニックかもしれないが、読者の頭にいかにストレスなく情報を流し込むかは、とても大切なことだ。あと、90階以降のフロアを全部順番に書いていると、正直だれる。

 それでも、難しいことにチャレンジしたその意気は買いたい。背伸びをしないと前に進むことはできないからだ。自分としてはかなり厳しいことを書いてしまったが、これを初稿として、どうやったらもっとわかりやすくなるのかを考えつつ、何度も書き直すのがとてもいい練習になると思う。僕も、数週間置いて自分の小説を読みなおすと、この説明は複雑すぎるからカットしようとか、この設定はただの自分の趣味だから延々と説明をするのはやめようとか、いろいろと気づくことは多い。どのルールが本質的で、どのルールは省略可能か、検討してみてはいかがだろうか*12

 

■宇露 倫「国桜」

 自分が過去に要求してきたことをきちんと乗り越えてくれたので、個人的にとてもうれしい作品。悪役がしっかり存在しているし、だからと言ってそのキャラクターが悪のための悪になっていない。物語に強烈な推進力を与えてくれるこういうキャラクターが、まさに足りていなかった。また、本人が表現したいモチーフが物語の中心になっていながら、決して物語の自然な展開を阻害しておらず、むしろストーリーを後押ししている。作者がやりたいことと書きたいことが調和している。

 作者がやりたいのは、おそらくは非常にアクティブな肉体や、動けなくてもどこまでもつれて行ってくれる存在を表現することなのだろう。これは、第一回の作品とも共通しているし、それらは一年間丁寧に引き継がれてきたが、ここまで自然になったのは今作が初めてだ。話の筋は第一作をなぞるが、ゼロから書き直されて設定が非常に受け入れやすくなっている。作者と対面して言葉を交わした身としては、作者の個人的事情や思い入れも、しっかり伝わってくるが、ストーリーそのものを決して邪魔していない。

 読者というのはある意味では残酷で、小説には単体での面白さしか求めていないことが多い。たとえば作者が失恋で、精神疾患で、家族の喪失で、どれほど苦しんでいたとしても、物語として面白くなければ小説は見捨てられるし、それどころか安易な自分語りとして同情してもらえないことも多い。仮に、作者の苦しい事情を知らずに読んでもらえたとしても、作者個人の苦しみはしばしば気づかれずに黒子のままだ。でも、作者はそれをよくわかっている感じがある。読者を楽しませることを第一義としている。昇華とはこういうことを言うのだ。

 会話も気が利いている。時々やりすぎるし、あまり脈絡のないカラードという言葉は、使いどころが適切だったかどうかは疑わしいが、それでも造語センスだとか会話の応酬だとかは、自分に一番欠けているものなので、個人的には大変うらやましい。

 全く紋切り型ではないかといえばそうであるかもしれないが、短編だとこれくらいでちょうどいい気がするし、変化球を常に投げればいいとも限らないのである。

 それにしてもいいよね、時間で引き裂かれる家族もの。

 

以上。

*1:「枯木伝」は私小説ではないが、淡路島に行ったこと自体は現実のことであった。

*2:神曲」の天国を全部めぐるみたいなあれ。

*3:なんじゃそりゃ?

*4:あだ名なのかな?

*5:SSRIの副作用で衝動性が強まることは指摘されてはいる。

*6:虐殺器官」の痛覚マスキングがモデルだろうか?

*7:ただでさえ相手との深い信頼関係が必要なLGBTのカミングアウトは、男性のスポーツ選手の場合、古典的な男性像のイメージを求められるため、さらに困難だという記事をどこかで読んだ覚えがある。

*8:記憶が曖昧……。

*9:狙っていた?

*10:すみません、単純にこの作品と自分との相性があまりよくないか、氏とは文学観が異なっている可能性があります。そのため、以下の文章は話半分に聞いてください。

*11:この理由を明確に言語化できていると、作品はずっとよりよくなると思う。

*12:一度初稿は読ませていただいたし、初稿と比べて補足された箇所もあるのだが、そういう部分的な改良ではなく、大手術をお勧めする。