ダールグレンラジオがいつになるかはわからないが*1、それまでにいただいた感想をまとめておきたい。今日は用事があり、急いで書いたのだが、大まかな方向性はつかめるはずだ。
■ネット経由でいただいた感想
めっちゃ面白かった#SF創作講座https://t.co/6eX0m4grG7
— 伊藤元晴(イトウモ)/LOCUST所属 (@gomzo__i) 2020年8月14日
めっちゃいい。おお~ゲンロンSF創作講座からこういう作品も出てくるんだ~という驚きがありました(素朴な感想であり、他意はありません)。 https://t.co/IIkXBeS4k6
— 樋口恭介:『構造素子』『すべて名もなき未来』発売中 (@rrr_kgknk) 2020年8月14日
ちょっとわかるかもです。僕もSF創作講座の優秀者は、お話しや設定をしっかり作り込むひとのイメージだったので、こんな語りで勝負する人が登場するのは意外でした rt
— 伊藤元晴(イトウモ)/LOCUST所属 (@gomzo__i) 2020年8月14日
候補作全作含む、10数本読みました。宇部さんの作品が一番、小説の形式で書かれる必然性があると感じました。本戦でも高評価が得られるといいな、と応援しています
— 伊藤元晴(イトウモ)/LOCUST所属 (@gomzo__i) 2020年8月15日
ありがたいことに、小説という形式にすることでしかできないことができているようだ。その点は幾分狙っていたので純粋にうれしい。
自分の基本的な立場としては、メタフィクションだのポストモダンだのと難しい理論を振りかざす前に、小説はまず素直に読んで面白くないと意味がない、と考えているのだけれど、だからと言って、じゃあこの話は誰が語っているのか、みたいな疑問にまったく触れずに小説を書くのも何か違う気がしていて、だから、その点に気づいてもらったみたいで嬉しい。
以下はリンクとその内容のざっくりしたまとめ。
宇部詠一「愛と友情を失い、異国の物語から慰めを得ようとした語り部の話」の感想 - SF創作講座感想|古川桃流|note
語り口がわかりやすく、情報の与え方が適切。自己欺瞞とその崩壊が面白い*2。
ゲンロン大森望SF創作講座第四期:最終課題実作感想①|遠野よあけ|note
内省的な語り、異国や遠い時代を舞台とした小説があまり得意ではない。また、登場人物がステロタイプなのが問題。とはいえ、基本的には相性の問題だと思う。
文章がわかりやすい。それと、登場人物のリアリティや因果応報的なところがいい。けれど、コロナ禍以降のヴィジョンが少し足りない。それに、希望を見出すのがちょっと早すぎるかも。
■ツイッター経由で友人からいただいた感想
本文をそのまま転載するのもどうかと思うので、幾分パラフレーズする*3。
君の小説を長いこと読んできた身としては、井場が作者の人格から大分離れていて、そこが好印象。とはいえ、登場人物に比べて物語が幼く、年齢をマイナス5歳にしないと違和感がある。
また、ウェブでざっと読んだせいだろうか、劇中劇が入り込みすぎていて、高良にとっては、火に手を突っ込んでまでも何かを手に入れることが大切なのだ、ということくらいしかわからなかった。枠物語については、瑛理ちゃんあたりのプロットが又吉直樹「劇場」に酷似している。あれからリア充要素を抜き去るとこういう感じになるのだろうが、結論は「劇場」のほうが深刻だ。
一番気になる点。それは、ダイバーシティをテーマに据えているように見えるくせに、現代編の登場人物3人の誰も身に見える差別、構造化された差別の加害・被害のはっきりとした当事者でもないことである。日本人がイスラムの物語を書くことで、文化同士の力関係を表現する、加害・被害の当事者にする方法は、読者からすると共感しづらい。そして、作品自体が、テーマに対する単なる意識の高い語りに陥る。
さらに、イスラムの物語を書く動機が、高良の内面から生じたのではなく、テレビ見てたら危機感を持った、というだけなのが物足りない。また、後半ではなく冒頭で、井場との対決を決意するべきではなかったか。
、
■そういうわけで、今回の作品の大まかな傾向
- 文章は平易で分かりやすい
- 児童文学風の文体がいい
- 作品の構造もしっかりしている
- とはいえ、語り手がナイーブに過ぎる
- 物語も年齢相応ではない
- 登場人物が幾分ステロタイプ
- とはいえ、リアリティがまったくないわけではない
- 結論に至るのが早い、新しいヴィジョンを見せているところまでは行っていない
- 最後の、青空に軌道エレベータというのがよかった
■その他、個人的に感じたこと
自分の心理的な傾向として、本当にやりたいことよりも正しいことを優先してしまう、というのがある。なので、イスマーイールが火の中に手を突っ込んでまで人形を救い出すシーンは、そうしたことに対する抵抗のつもりで書いたのかもしれない。意識はしていなかったが、正しい教えを信じること、父の命令に従うこと、というのがその時点でのイスマーイールのすべきことであったが、彼が一番したかったのは、ヒルデガルトのそばにいること、彼女に謝罪することだった。彼はそれにまっすぐに向き合い、物語はハッピーエンドへと向かう。つまるところ、この小説もまた、自分の感情をもう少し優先できるようになるための、自己治療の試みなのかもしれない。他人から非難されてでも、または痛い目を見てでも、本当に望むものをつかみ取りたい、というとても個人的な願望。
もう一つ。今回の話を枠物語にしたのは、結果的にはよかったと思うのだけれども、動機として、一つには自分語り、もう一つには照れ隠しがあったように思う。個人的な感覚だが、クリエイターになるためには自意識を適切にコントロールできるようになる必要がある。自意識を出してはいけないとは思わないが、それは適量でなければならない。そうでないと読者の側としていては読んでいてつらい。一見、作者の日常をだらだら語っているようなパートも、読者にどう受け取られるかをしっかりと考えられているはずだ。しかし、今回は自分語りを大目にしてしてしまった。読みやすいと言ってもらえたけれども、いつまでも同じパターンを繰り返せるかどうか。
もう一つの照れ隠しは、素直に児童文学風の文体で語ることに対するためらい、みたいなものだ。とはいえ、今回この文体の評判が良かったので、今後は素直にこの手段を使ってみるのがいいだろう。いっそのこと、この文体でSFの新人賞を狙うというのはどうだろうか。現代や近未来の人間の描写がステロタイプ、という欠点を補えるかもしれない。「枯木伝」の、どこか浮世離れした女子大生の文体と合わせて、武器にしていけたらな、と考えている*4。
以上。