■ばんざーい。
ダールグレンラジオ賞、ありがとうございます。自分が意識したポイントのほとんどを拾っていただけたので、結果がどうなっても、大満足です。
■ダールグレンラジオからいただいたコメントまとめ
SF要素は薄いが、今回の中では気に入った。リーダビリティが高く、とても読みやすかった。なんでこういう語り方をしなければいけないか、その理由に必然性がある。アラビアンナイトを真似たような物語そのものも、入れ子になって互いに影響を与え合っていて面白い。これをうまくやるには、文体を露骨に変えるのがコツだ。書体はあまり重要ではない。断章形式の中ではよく工夫されている。バランスがちょうどいい。
枠物語の文体はブログのものだろうか。ブログっぽくはある。私小説風でもある。ブログに見えたのは、著者がいつもブログでほかの人の作品の感想を書いていて、その文体に近いからだろう。著者の記事を追っている読者からはそう見えるのかもしれない。
典型的なブログ文体といえば、後輩のがそうだ。主人公は、そんな文章を書くようになった後輩に対して、おせっかいをするけれども、この作品ではブログ的・私小説的な文章に触れ、文体論に言及しているようにも見える。文体論のみならず、令和2年6月とから7月という時期を強く意識した作品だ。緊急事態宣言、在宅勤務、ブラック・ライブズ・マター問題なども出てくる。ちょっと前までバリバリに差別していたやつが、差別の禁止を声高に訴えるの、よくある気がする。風刺的だ。
書くことの倫理について言及しているのだが、そこもSNS的である。ちょっと前、代理出産についての記事が炎上したことがあったが、こうして文章が商業的に消費されていく要素も、直接語られていないが、意識しているのだろう。ただ、読者がSNSをやっていて、追っていないとわからない箇所もある。
イスラーム世界が舞台のパートは古風で、さらにその中でお話を語って何とかしようとする古臭さと、現代的な状態、一億層作家状態への目配せ、だからこそ成立する話だ。
だが、10年後には読みづらくなっているのかもしれない。
語り手は9.11がきっかけでイスラームに興味を持つけれども、政治的な対立についてはフェアというよりも、この人なりの距離感を取っている。ミーハーになりすぎないように、距離感を考えながら落とし込んでいる。
タイトルについては、意図がよくわからなかったが、説明的なのはアラビアンナイト風なのだろう。物語の構造や、なぜ、どんのように語るべきかについて強く意識している。SFっぽくはないが、テッド・チャンっぽい。作中でも触れられている。
あとは、批評・純文学が好きな人は面白く読むと思う。自覚的・自己言及的な文章だ。
最大の問題は、語り手の自意識が強いことだが、これは意識的に作っているようにも見える。これは作者の自意識ではなく、作者の考える自意識の強い人間像なのだろうか? ここに作者の自意識はないのかもしれない。悪友の井場も後輩もモデルケースみたいだ。小説を多少読む人の考える評論家のイメージ。普段ならあまり好きなキャラクター造形ではないが、これは面白く読んだ。
■友人からいただいたコメント
作中作を執筆しながら、現代の話も進んでいく構造に目をひかれた。
文体が柔らかく、とても読みやすい。今までの作品と比べると、頭にスムーズに入る。
作中最後で未来であることが明かされるが、それだけ歳月が経過していても宗教対立が続いているというオチに、苦笑させられた。
唐突に軌道エレベータが出てきたが、伏線はあったのか。過去の部分に存在しえない文物は出てきていたか。イスマーイールが見た夢も、未来の技術によるものか。単に、語り手が無理にハッピーエンドに舵を切ったから唐突になった、という演出か。考えるのが楽しかった。
個人的には、君の架空の話をもっと読みたい。というのも、君が現代社会の話を書くと、君の陰鬱さが出てきて、それが持ち味かもしれないが、自分の口には合わなかった。今回も幾分現代パートが暗い。話の要素としては必要なものであったのはわかる。
■やはり
- キャラが幾分紋切り型。
- だが、複雑な構成とリーダビリティの両立には成功している。
- 語り方、語る理由の必然性もある。
■明日すること
講師の方の講評と自分の感想と比較したい。つまり、いつものように楽しむ予定。
結果はどうあれ、講評を吸収して、熟考したい。この作品でやりたいことを思い切りやったので、次のネタを出すのに苦労している。
そんなときは、気軽に日記を書くと、幾分和らぐ。小説を書くことも楽しいが、それほど長くない文章を、徒然と綴るのも、また気持ちがいいものだ。明確なオチを意識しない気楽な会話が必要だ。論文やプレゼンテーションばかりだと疲れるのと同じだ。
以上。