宇部詠一(ubea1)のブログ

ゲンロンSF創作講座をはじめとする物事の覚え書き。

新年おめでとうございます、それから2020年の振り返り

■冬に彼女ができたよ

細かい経緯は省くが、この件を話したところ、旧友や後輩から祝福の言葉をいただいた。とてもうれしかった。同時に、もう小説を書く原動力がなくなったのでは、と半ば笑われた。それも、複数の人からだ。

当たらずとも遠からず、という気もする。読んでいただいた方にはすぐにわかっていただけると思うが、自分の小説の根底にあった要素の一つは、隣に誰かいてほしいという願いだった。どうしてうまくいかないのだろうという疎外感、あるいはずっと一人なのではないかという不安。

そうした願いが創作の原動力にあることは悪いことではない。孤独感は人間の最も深い感情の一つである。しかし、ここで自分が満足してしまったとしたら? 後輩は笑いながらこう言った。先輩はもう満たされてしまいましたね、と。

 

■小説を書くことについて、もう一度問う

どこかの記事で、高校生の頃に創作を始めたきっかけは、漠然と満たされない何かを埋めるためだと書いた。あるいは、過去に向き合うための手段だと考えていた。しかし、自分に向き合う方法は小説だけではない。小説という方法によって、直面したくないものを間接的に表現することで、自分自身と向き合う準備ができるのは確かだ。しかし、一番いいのは見たくないものをまっすぐに見ることである。言い換えるならば、自分にとって何が不快であり、何がつらかったかを、小説という安全な枠組みの中で表すのではなく直接口にしてしまうのが、小説という間接的な表現手段の次のステップなのではないか。こうしたごまかしは、思春期に女性に向かってかわいいと言えないばかりに、やたら難解な詩を書いてみせる態度と何が違うというのだろう。いじめを作中で表現するよりも、対人関係のトラブルは何が原因だったかを考えて、今後同様の事態を防ぐ自分なりのマニュアルを作ったほうが、有益なのではないか。

ところで、カウンセリングというものでも枠組みが大切だそうだ。決められた時間内に、決められた部屋で、決められたカウンセラーと対面することで安全な枠組みが作られるからこそ、クライアントは安心してに自分に向き合うことができる。どれほどつらい話をしても、あるいは自分をさらけ出したとしても、決まった時間が来ればそこで終わりになる。部屋を出れば日常が待っている。その安心感が重要である。自分は小説という安全な場の中で、自分の弱さを見つめようとしただけだったのかもしれない。

それとも、子どもが砂遊びというごっこ遊びの中で空想力を養い、社会性をはぐくんでいくみたいに、物語を語ることはいつか通り過ぎないといけない場所だったのだろうか。なぜ、物語の形でわざわざ表現するのか。つまるところ、自分の感情を表現することよりも、読者を喜ばせることをずっと強く意識しなければ、小説という形式を選び続ける必然性は、ない。

 

■文章を書くことについて、自己顕示欲についても問う

今年は、はてな匿名ダイアリーで記事を書くことにも挑戦した。内容は様々だが、例えばBLM運動と、銅像に対する破壊行為の合法性について自分なりに考えた記事があるが、これは170以上のブックマークがついた。昨年を通じてブックマークが1000を超えたのが1つ、500弱が1つ、300以上が3つほどあったように記憶している。悪くないせい成績だ。

大体、ほんの数千文字でレスポンスが帰ってくる匿名ダイアリーのほうが、数万文字書いてやっとコメントをもらえるかもしれない小説と比べれば、「効率」はいい。ありがたいことに、自分はよく説明が上手だと褒めてもらえるのだが、調べたことを説明したのが好評だったのも、それが理由かもしれない。こうしたことから、小説以外によって満たされる自己顕示欲についても再考を迫られた。プロの作家になる必要は、本当にあるのか。

しかし、この成績にもかかわらず、自分はブログのライターになろうとは思えなかった。数か月間、任意のテーマについて毎週必ず書くことを自分に課したのだが、これが思いのほか大変だったのからだ。好きなことについて好きなように数千文字(つまり原稿用紙数枚)書くだけのことなのに、テーマを選んだり調べごとをしたりするのが面倒だった。ましてや、関心のないことについても書かなければならないプロのライターはなおさらだ。

 

■今後

上に描いたような悲観的な考えは、自分の小説や文章を好きだと言ってくれる人の感情をないがしろにする、幾分失礼なものかもしれない。しかしながら、ゲンロンSF創作講座やはてな匿名ダイアリーで一定量の文章を出力し続けることによって、プロとして文章を書くことの難しさが、おぼろげながら理解できるようになってきた。これは大きな収穫だった。

文章だけで食べていくためには自分は何が足りていないのか。それを漠然とでも理解できた今、自分と同年代で作家やライターになった人間への根拠のない羨望は捨てることができた。まったく嫉妬しないわけではないが、彼ら/彼女らがどのような苦労を背負っているかを理解した以上、勝手な空想でうらやましがることはもはやない。今はすっかり落ち着いており、もしかしたら多少の議論が起こるかもしれない、男性のためのリアルな女性キャラの書き方的な覚書を(自分が以前褒められたので)共有しておこうかと思いもしたが、今は少し億劫である。

とりあえず、次にいつ小説という形で何かを伝えようとするかはわからない。将来、家庭を持ったとしたら小説に割ける時間はまた減るだろう。そのときにまた書くとすれば、今よりも我を離れ、読者を楽しませることにずっと注力していることだろう。

 

 

以上。