異性のキャラを書くときに心がけていること

■はじめに

小説を書くときには、言うまでもなく自分とは別の立場にいる人の考えや気持ちを想定する。国籍、人種、年齢、宗教。そもそも人間でないキャラクターだって登場させられる。その中で一番の壁のひとつが、おそらくは性別だ。

自分は、基本的にはどんなものであっても表現していいと思っているが、それには自分の能力の及ぶ限り*1、書く対象のことを調べてからというただし書きが付く。それでお金をもらうつもりならばなおさらだ。人様の苦しみを描写して食べていくつもりなら、通すべき筋というものがあるだろう。

さて、以下にゲンロンSF創作講座で書いた作品のうち、比較的評判のよかったものと悪かったものを例にとって、自分が女性を書くときに心がけたことを説明する。我田引水ではあるが、そのときにどんなことを想定していたかを共有することで、講座の水準の底上げを図りたい。

なお、これは男性が女性を書くうえでの不完全なヒントとなることを想定しているが、女性が男性を描写する上での指針になることも期待している。

 

■女性と男性の差異を少ないものとして想定する

「枯木伝」に出てくる女性大生は、比較的硬い文章を書いていた自分の新境地だと評価されたし、割とリアルな女性だとも言われた。しかし、意外に思われるかもしれないが、自分はこのキャラクターを特に女性らしく表現しようとは思っていなかった。むしろ、これは男性である自分の生の感覚をほぼそのまま文章にしている。自転車に乗って疲れたとか、親戚の集まりがめんどくさいとか。

これは宇部詠一という人物の感覚が元から女性的なのであって、多くの男性にとってはあまり有効なアドバイスではない、という反論もあるかもしれない。しかし、女性と男性の差異は、多くの人が思っているよりも少ないのではないかという気もしている。基本的な身体構造はかなり共通しており、食事をし、排泄をし、睡眠をとるという本能も同じだ。恋人がいないのに交際相手の有無を聞かれたらうんざりするし、異性の身体についてふと素朴な疑問を持つこともあるだろう。あとは、女性あるいは男性ならではの事情を付け加えれば、それっぽくなるように思う。この時、ある種のふてぶてしさと言っては語弊があるが、異性にとって当たり前だと想定される感覚は、説明や言い訳をせず、当然のものとしてポンと放り出すとリアルだ。

ただし、この方法は、基本的には男性も女性もほぼ同じように育てられた世代にしか通用しない可能性がある。あるいは、自分は女性である、男性であるということに強烈な自負を持った肉食系のモテキャラを書く上では限界があるかもしれない。大体、自分が男性であることを意識するのはトイレに立つときくらいだという僕が、まあ大体同じようなゆるい考えの女性を書いたからそれっぽくなったというだけのことかもしれない。しかし、自分の異性バージョンを書いてみるのは、最初の第一歩としてはいい練習になるはずだ。

 

■男女差は少ないかもしれないけれども、時として決定的だ

上の項目で述べた方法が常にうまくいくとは限らない。現実に、女性が様々な面で不利な立場に置かれることは多く、それを全く表現しないのはリアリティがなくなる原因になる。炎上するしない以前に、面白くないものになる。「枯木伝」のなかでも、作品の主題でこそないものの、女性だから我慢しないといけない目にあわされていることをほんの少しにおわせている。男性を書くときにも、男性が社会の中で担ってほしい期待されがちな役割が何であるかをリストアップしておいて、通奏低音として流しておくとリアリティが出るだろう。なお、短編であるからこの程度の濃度でしか描写していないが、長編の場合プロットのレベルで組み込んでおく必要があると考えている。キャラクターがその属性ゆえに受ける扱いの差によって、ストーリーの進み方や主人公の選択は異なってくるはずだからだ。

もうひとつ書いておきたいのは、男女間の意識の違いだ。これは過度の一般化に陥ることがあるのであまりやりたくないのだが、マーガレット・アトウッドの言葉を引用しよう。「基本的に、女性は男性に殺されることを恐れている。一方、男性は女性に笑われることを恐れている」。これを日常の言葉に直すと、自分はこうなると考えている。「男性は、女性がどれほど男性の物理的な腕力を怖いと感じ、男性の心無い言葉で傷つくかを、忘れがちだ。女性は、男性が(特に男性としての)プライドをへし折られたときにどれほど屈辱感を感じ、特に女性に笑われたときに怒りを覚えるかを気づいていないことが多い」。世にあふれる男女のすれ違いを表現した言葉の中では、かなり的を射ていると思うのだがどうだろう。

もちろん、女性から男性への暴力もたくさんあるし*2、男性が女性の業績を軽んじて屈辱感を覚えさせる例も多々ある*3。当たり前のことだ。とはいえ、この一般的な傾向を覚えておくと、「このキャラはなぜここで腹を立てないのだろう」みたいな違和感は、作品からかなり減らせるように思う。

「愛と友情を失い、異国の物語から慰めを得ようとした語り部の話」のなかで、主人公に対してヒロインから残酷な拒絶の言葉を吐かせたのは、こういうところでリアリティを深めようとした意図もある。彼女の怒りは当然だが、その怒りの言葉で主人公をどれほど落ち込ませるかを、ヒロインは全く考えていない。

 

■よく観察しよう!

実のところ、これもリアリティ追求のため、これは自分の周囲を観察して起きたことを取り込んだものだ。正確ないきさつは違うし、主人公のように屈辱的な目に合ったわけではない。しかし、異性との感覚との違いに驚き、面白いと感じ、時としてぎょっとした経験というのは、誰にもあるもと思う*4。そうしたことを作品に取り込むと、キャラクターの実在感がぐっと増すはずだ。特に、不快感を覚えた事例は、作品に嫌なリアリティを持ち込むときに便利なので、異性から失礼なことをされたときは、社内コンプライアンスに報告すると同時に、クリエイターとしては頭の中のネタ帳に書き留めておくといい。

少し話がずれるが、自分はヒロインのキャラクターを作るときに、作者の自分が思わずイラっとする欠点を持ち込むことが多い。そうすることで、意図的に自分の理想とする女性にしてしまうことを防げるからだ。言い換えると、僕の願望を満たすお人形みたいなヒロインばかりを量産しなくて済む。それから、これはスクリプトドクターの本にも書かれていたが、作者が思わずイラつくキャラクターというのは、作中でひどい目に合わせても良心が痛まず、話を盛り上げやすいので好都合だ。

もちろん、この作戦がうまくいくとも限らない。「縮退宇宙」では我の強く口の悪いキャラクターを出したのだが、幾分やりすぎたようだ*5

 

■上記方法の限界

「縮退宇宙」の話が出たついでに書く。この小説のもう一つの欠点が、以前遠野よあけ氏からも指摘を受けたが、母と娘の確執の描写に難点があるということだった。確かにこの話はどちらかといえば父と娘、あるいは父と息子でやったほうがより適切であったようにも思う*6。遠未来だから男性・女性の対立軸が弱まっていることも想定できるが、それを読むのは現代の読者であり、納得できる形で提出する必要がある。

さて、自分が今までに述べてきた方法は、自分とはあまりにもキャラが違う異性を書く方法としては限界がある。また、いたずらに先進性を表現しようとして、無理に異性の視点から描こうとすると、これもまたコケやすい。まずは、魅力的な脇役として丁寧にキャラクターを作っていくことからスタートするのが賢明かもしれない。そのうえで、自分とは性格の違うキャラクターを書くテクニックと併用できる水準まで持っていけたら、素晴らしい。

また、何かいい方法があったら、メモしておこうと思う。

 

以上。

 

*1:そして締め切りに間に合うように。

*2:誰もが被害者になりうるし、意図せずに加害者にだってなるから、みんなの問題だ。お互いに気をつけよう。

*3:黒人女性の医師が、いつも助手と間違えられて悔しい思いをしているという例がある。

*4:温厚な男性がふと見せた荒っぽい面とか。

*5:数か月ぶりに小説を書いたため少しばかり力が入りすぎて、余計なフランスの俗語を入れたのも失敗だった

*6:関係ないけど、おとぎ話で倒すべき悪しき父親は物理的暴力を振るうことが多いが、悪しき母親は言葉による呪いを駆使することが多い印象がある。このあたりはきちんと調べておきたい。