下村智恵理という作家がいる。
まずは読んでほしい。
特にSF創作講座の面々に。
ここ数年で読んだ小説の中で一番面白かった。
電車を乗り過ごすなんて数年ぶりだ。
余りにも面白かったのでレビューも一気に書いてしまった。
以下、カクヨムに投稿したレビューを改変して(ネタバレを減らして)お送りする。
■ナクヨムWeb小説コンテスト殺人事件
SF創作講座の参加者の皆さんにも身に覚えはあるだろうけれども、自己表現したいと思う人には何らかの欠落を抱えた人が多いし*1、創作界隈には対人トラブルが起きがちだ。だからこういうWeb小説を舞台にしたサスペンスを描く余地が生まれる。
ここでは、創作クラスタの人間関係のもつれや、創作にすがらないと生きていけない人々の弱さが解像度高く描写されている。射貫くような表現は悪意さえこもっている。破滅に向かう加速に乗ったとき、ページをめくる手は止まらなくなる。
読んでいるうちに感じるのは「こういうやついるわ」みたいな既視感だ。あるいは、まるで自分のことを丸裸にされたような不愉快な痛快さだ。小説を書いたり読んだりするのはまるで弱さの証だと指さして笑われるような作品である。登場するのは、女性向けジャンルで執筆していたが、界隈特有の人間関係やルール、トラブルに疲れている碧月夜空。学業の挫折と親の過干渉で引きこもってしまい、閲覧数の伸びない小説を書くことと過去の選考結果だけを自分の支えにしている七尾ユウ。そして、一見すると円満な家庭を築いている元ラノベ作家、儀武一寸。
下村智恵理の得意とすることは、社会の暗部や対人トラブルの描写だ。ちょっと考えただけでもこの作品には引きこもり、家庭内暴力、女性の貧困、レイプドラッグなどが扱われている。また、同人誌界隈で起きがちなトラブルも、確かにこういうのをネットで読んだな、ということを連想させる。ネットの荒らしも、匿名による祭りも、嫌がらせも既視感がある。主役だけでなく脇役たちもそれぞれに身勝手で平然と他人から様々なものを奪っていく。相手を見くだし、嘲弄し、面白おかしく消費する。
創作者三人も行き過ぎた言葉で傷つけあい、一度ついた嘘で取り返しがつかなくなり、ちょっとした行き違いで破滅へと突き進んでいく。しかし、破滅してなお、何かにすがろうとして読まれる当てのない小説を書き続けてしまう。物書きの業の深さだ。
この業の深さを知っているから、SF創作講座の面々に読んでほしい。ただしダメージを受けて落ち込まないように。
■東京グレイハッカーズ
カクヨムのサイバーセキュリティ小説コンテストで星も閲覧数も1位になったが、ビターなエンディングのせいで大賞を逃したと思われる作品。
父から貰った開発者ツールでSNSをのぞき見する権限を得た羽原紅子は、その力を善用しようとする。第一話は学年一の美少女にまつわる噂の検証、第二話は児童買春の防止、第三話はいじめの告発がテーマだ。実在する技術に関する知識がしっかりしているので、確かに高校生でも(天才なら)こんなことできそうだというリアリティがある。高校生の天才が高校で起きる身近なトラブルを防ぐため奮闘するのもいい。
これは著者がわかってやっていることだが、非常に胸糞の悪いシーンが多い。特に閉鎖的な学校という場でのいじめや売春の描写が秀逸だ。高校生のクソガキどものリアリティが実に優れている。善意から「差別はよくない」と教えたところで、その善意さえ捻じ曲げて他人をからかう手段にしてしまう連中はどこにだっている。
善意が悪意に屈する瞬間の胸糞の悪さは研ぎ澄まされており、しばしば読者は限りない無力感に呆然とし、力を失う。しかし、これは前日譚だ。これは顔のないヒーロー、ブギーマン:ザ・フェイスレスが目覚めるきっかけとなる。
よって、この作品は時系列的には後の「ブギーマン:ザ・フェイスレス」の前に読むのをおすすめする。
■ブギーマン:ザ・フェイスレス
息をつかせぬエンタメ。書店で売っていないことに憤りすら覚える。とにかくこれだけは読んでほしい。社会派アメコミの日本へのローカライズとでも言うべきか*2。
視覚をあえて封じることで相手の気配を悟る無敵の格闘技という設定がかっこよく、ここ数年で読んだ小説の中で一番面白かった。よく新人作家の作品を手に取って見るのだが、これほど夢中になれるものはめったにお目にかかれない。最後に日常生活に支障が出るくらい小説に面白さを感じたのはいつだろう。
社会派でありながらも痛快さを損なわない作劇の腕前が化け物じみている。画面を閉じてとんでもないものを読んでしまったと息を吐く。夢中になったせいで電車は乗り過ごすし牛乳は買い忘れるし大変だった。
教師の見ていないところで起きるいじめ、裏通りで行われる暴力、自分よりも弱い者から容赦なく奪うやつら、そして社会の無関心。そんな連中に対して一切妥協せず罰を与える無敵のヒーローは崇高であり、己に課した厳しい倫理には姿勢を正したくなる。奪うこと、奪われること、これは下村智恵理の作品にある一貫したテーマだ。
作者は作中の悪にリアリティを与えるために、さぞかし多くの悪について学んだことだろう。いくつかは実際に目の当たりにしてきたのかもしれない。それでもなお人間性に絶望せず、善なるものを追う作者の姿は、ヒーローである憂井道哉と重なって見える。きっと作者は人間というものが好き、少なくとも強い関心がある。
硬派なくせに、浮ついた思春期の恋愛模様の描写だってうまい。高嶺の花のヒロイン片瀬怜奈が、どうすればこんなにかわいらしく書けるのか。青春小説、美少女ゲーム、漫画、その他いろいろの猛烈なインプットから生まれたに違いない。ヒロインのピンチは本当に読んでいて早く助けが来ないかともどかしかった。ハッキングでアクションのサポートにまわる「東京グレイハッカーズ」の主役、羽原紅子も頼りになりかっこいい。。
作者の勉強の幅の広さは人物描写に限らない。バイク、建築、ハッキング、化学、国際情勢と、確かな知識が物語を強固に支えている。
エンターテインメントとしてはまことに扱いにくい素材をいくつも扱っているにもかかわらず、娯楽大作に仕立て上げるこの腕前。アクションシーンも長いのに全くだれない。むしろもっと読ませてくれと求めてしまう。
そしてなによりも、ラストが素晴らしい。
僕はこれが商業作品でないことに怒りさえ覚える。「商業ではなかなかできないこと」がコンセプトとはいえ、これが広く読まれないことは、はっきり言って日本のエンタメにとっての損失であり、読者にとっての損失である。
憂井道哉、一生記憶に残るヒーローだった。
■蒸奇探偵・闢光
円谷英二×探偵物語×剣豪小説だ! たぶんSF創作講座のある世代の方には「懐かしい」という印象を与える。それでいて、全く新しい世界を見せてくれる。
七十年代の東京。異星人の代理戦争であった第二次世界大戦が終了し、空から墨田に「天樹」が調停のために降り立った。ここは異星人の技術でいびつにテクノロジーを発展させた世界。登場する人や物の一つ一つには必ず何かしらの参照元がある。光の巨人、敵陣に単騎突撃する宇宙戦艦、義手義足で軍属の少年少女、危機と共に駆けつけるバイク乗り*3。そんな祭りのような世界のなかで、異星人とのトラブルを解決する探偵伊瀬新九郎と翻訳者の少女早坂あかりが活躍する。地道で地に足の着いた探偵業と、スーパーロボットを駆使した剣豪アクション、そのどちらも楽しめる非常に贅沢な作品だ。剣豪と言えば、時代小説から抜け出てきたような遊郭の華やかな描写も見逃せないし、現代日本と違った発展を遂げた服飾文化(特に女学校の制服の着こなし)もユニーク。
チャプターごとに何か一つは必ずオリジナルがあるものが登場し、時々どこかで聞いたようなセリフが出てきて、それでいて元ネタから一ひねりも二ひねりもされている*4。このひねり具合が絶妙で、まるでおもちゃ箱をひっくり返したかのような作品世界に統一感を与えている。折に触れて登場する実在の和菓子屋や東京の地名もリアリティを与えている。
そして相変わらず総力戦がうまい。つまり登場人物が誰一人欠けても勝てないという状況で敵に立ち向かっていく。また、都市の被害を最小限にし、常に正義のための最善手を諦めない二人は、間違いなく下村智恵理のヒーローの系譜を継いでいる。
これは特撮やアニメの優れたパロディ・パスティーシュ小説だ。言い換えるなら日本のオタクのためのご褒美みたいな作品である。読了して思い出したのはメインカルチャー、サブカルチャーへの無数の言及を含む、東西分割された日本を舞台とした矢作俊彦の「あ・じゃ・ぱん!」で、これと同じくらい読者には元ネタを探る楽しみがある。もちろん元ネタなどわからなくてもまったく構わない。これは痛快なスーパーロボットが活躍する剣豪小説でもあるのだから。
■恋錠の駅で待ち合わせ
こちらは短編。
最高の青春を描いた短編だ。
作者が得意なのはサスペンスだ。報われない愛、インモラルな愛、それから終る愛。
そんな彼が清冽な青春小説を描く。まっすぐな恋愛を、抑えきれない好意を、好きという気持ちが昂るあまりすれ違ってしまう十代の恋を。芸風が広い作家・漫画家が最高だと思っているので、作者のことをもっと好きになった。
いや、サスペンスが得意だからこそ、本当に自分のことを好きなのかという宙ぶらりんにされた気持ちが書けるのだろうか。
それはさておき、もう彼氏が自分を愛していないんじゃないかという不安と対比させるような、五感で味わえそうなツーリング描写の爽やかさもいい。バイクに興味のなかった自分も思わず免許を取って聖地巡礼したくなった。
山道も、川沿いの道も、風のにおいも、まるで目の当たりにしているかのようだ。
コロナ禍で忘れかけていた旅をする喜びを思いだした。
折りに触れて読み返したくなる、愛すべき作品だ。
■以下、下村智恵理について
彼はかつてスーパーダッシュ文庫でデビューしたが、現在はカクヨムで執筆している。
本人曰く、「なるべく商業にはない方向性でやっていきたい」とのことだ。
例えば、「ブギーマン:ザ・フェイスレス」では最初の敵が在日コリアンなどの複雑な出自で、エンタメとして読んで百パーセントすっきりするというわけではない。あるいは、「蒸奇探偵・闢光」ではふんだんに取り込まれたパロディやオマージュが商業作品ではめったにお目にかかれない密度で織り込まれているし、小説では巨大ロボットは鬼門らしい。さらに、「東京グレイハッカーズ」でのように時々読者の快楽原則に逆らうような展開も見せる。
ただ、商業に乗せるのが難しいからと言って、この作品が読まれないのははっきり言って損失だと思わされる。それだけの力を持っている作家だと思うし、PVが伸びないのが我がことのようにもどかしい。
実は彼とは中学高校以来の友人なのだが、最近になってやっとオンラインで公開されている彼の作品を読んだ。彼がオンラインで書き始めた時期は、ちょうど自分の心身の調子がどん底だったので、リアルないじめや暴力の描写に耐えられなかったからだ。
しかし、いま改めて向き合った結果、ここ数年で読んだ小説の中で一番面白かった。
彼の文章には自分の持っていないものがすべてある。力強いプロット、生き生きといて洗練された会話、思わず応援したくなる魅力的なキャラクター、社会問題に対する高い関心、純粋な面白さ。
ここで勝手に宣伝して彼から怒られるんじゃないかって思うんだけれども、正直多くの人に彼の作品を読んでくれというメッセージが届いてほしい。正直僕の作品なんてどうでもいいレベルだ。
■それから……自分のコンプレックス(読まなくていいです)
正直なところ、彼の小説が読まれてほしいという思いの背景にはいろいろと屈折した思いがある。
「せっかくプロデビューしたのに(僕よりも先に夢をかなえたのに)なぜあえてアマチュアの世界で戦うのか」とか、「たしか君が小説を書き始めたのは僕の影響だったよな」とか、「この小説の登場人物のモデルは高校の時の○○先生だよな」とか、「このシーンは君の生い立ちに関係しているんだろうな」とか、「そんなに悩んでるんだったらどうして自分に相談しないんだよ」とか、「『お前は一生同人作家のままじゃ』と言われた僕の気持ちはどうしてくれる*5」とかそういう一方的な思いがぐつぐつと膨れ上がってくる。要するに嫉妬、敬意、疎外感、親しみ、劣等感、正確には勝手に理解者ぶっている感情*6などがないまぜになった感情で、これがいわゆるクソデカ感情というやつなのかといろいろ思うのである。
だからレビューを書いてすっきりさせる必要があった。
下村智恵理、次回作も楽しみにしている。