僕は再始動するのか? それからゲンロンSF創作講座実作「ニルヴァーナの守護天使」振り返り

■春

気分が落ち着かない。

気温が上がっているせいかもしれない。それとも再び何かを書こうという鬱勃たる熱意が再び持ち上がりつつあるのだろうか。何を書きたいのかまるで思いつかないまま、気持ちだけが空回りをしている。ブチ切れて友人に小説執筆関係の本を全部譲ったのに、そんな浮気な心が兆している。

 

仕事中にぼんやりと考えてしまう。創元SF短編賞は締切が1月10日、ハヤカワSFコンテストは3月31日、今から準備をすれば十分に推敲した作品を送ることができる、と。現実逃避に過ぎないのかもしれない。ただし全く実現性のない空想でもない。創元SF短編賞もゲンロンSF創作講座も、厳しい評価をいただきつつも最終選考には残ったではないか。

 

毎回の応募者数を見ていると500人から600人だ。これは非常に乱暴な概算だが、最終選考に残るのは100人に1人、大賞を射止めるのは1000人に1人というオーダーだ。そして最終選考に何度か残るのは1つの実績だが、それは対象を取ることとは直結しない。散々学んだことだ。しかし再度挑戦する値打ちはある。

 

応募先については次のように考える。

過去に星新一賞にも出したが落選した。純文学の賞に3回出したが、1次選考を通過したのが1回だ。ハヤカワSFコンテストに数百枚の作品を出したが落選した*1。ましてやカクヨムのようにキャッチ―さが必要なのは向いていない。

よって、狙うのは実績のある創元SF短編賞だ。長さは恐らく原稿用紙50枚前後。以前は既定の100枚*2ぎりぎりまで書いていたが、それは気合で書けるだけ書いてページを埋めていたからだ。振り返ってみれば、もっと短くできる作品だった。よって、ゲンロンSF創作講座の50枚を基準としたい。

一方で、最終課題程度の長さを破綻なく書くこともできたので、100枚をちょっと超えるくらいの作品も書いてハヤカワSFコンテストにも出したい*3*4

 

ここまで目標を決めても、本当に新しく作品を書くかどうか、正直大変迷っている。

だが本棚から引っ張り出してきた昔の同人誌を読み返していると、いろいろな人から褒められた記憶がよみがえってくる。作風が幅広いだとか出力があるとか。一度だけ痛烈な批判を受けたからと言って、完全に書くのをやめてしまうのがいいことか、疑い始めている。書きたいけど書けない、書きたいけど書けない、と怨念のようにつぶやいたところで得るものはない。可能性があるのに、自らつぶしていいものか。

 

とはいえ何も考えずに書き始めたくはない。仮にそこに自分が認められたいという欲があるとも、自分を生のまま出せばいいものでもない。

よって、書くかどうかをそもそも決める前に、自分がかつてゲンロンSF創作講座で書いた作品すべてを再読し、率直な感想を記録したい。創元SF短編賞に応募したころは、SFを年に1度か2度しか書いていない。一方で講座の1年間は10作品書いている。これだけ書いた年は今までにない。何かが変わったはずだ。

自分と他人の感想を突き合わせ、欠点の大まかな方向性を見出すことで、今後の方針としたい。一般的なアドバイスしか載っていない書籍よりも役立つはずだ。

気長にやろう。1週間に最低でも1つの短編の感想を書くペースを目標とする。

 

ところで、ひょっとしたら非公開の原稿というか、落選した創元SF短編賞の作品についても書くかもしれないが、これに関しては未定だ。あまり過去の作品を振り返っても、感傷に浸るにはいいかもしれないが、欠点を乗り越えるのにどれくらい役立つかは疑わしい。

 

さて、今回扱う作品のリンクはこちら。

火星の守護天使 | 超・SF作家育成サイト

 

■あらすじ

パキスタン人の外交官が、インドの人工知能にテロから命を救われる。人工知能は、主人公の両親が開発した、現実世界とサイバー世界の関係を大きく変える、電脳成果からの帰還に関する知識を持っていた。主人公らは最終的に火星へと脱出し、死にそうな人工知能も助かる。実は最初から両親が見守っていたのだ。

 

■自分で読んだ感想

梗概段階からは主人公が英王室の末裔であるといった余計な設定を取り除こうとした。それでも作中に設定を盛り込みすぎている。長編ならともかく、ここまで世界情勢について云々しなくてもいい。これこそ禁じ手である世界観の過剰な説明だ*5

そして不慣れなアクションをやろうとしている。今後このジャンルで勝負したくない。思っていたほどひどくはなかったが、アクションのうまい人から見ればツッコミどころ満載だ。以前小浜氏から「全体として説明過多であり、特にアクションにおいてそれが顕著。アニメのコンテ割を口頭で説明しているようだ」と言われた通りで、これはSF創作講座を受講して痛感させられた。

今作で基本的にやりたかったことはAIやアップロードされた人格の連続性、つまるところポストヒューマンものらしい。これは、遠い未来で人類が複数の種に分裂しているというシチュエーションを好む自分の趣味が色濃く出ている。

だが人格の連続性などの設定に甘い個所がいくつかある。結末もすこし無理やりだ。両親が見守っていたというのはセンチメンタルだ。短編なら許されるのかもしれないが、それでももっと最初のうちに伏線を張っておくべきだ。あと、主人公はもう少し若くしたほうがいいのではないか*6

とはいえ拾い上げることのできる設定もなくはない。意識をアップロードした後の肉体の処理だとか、意識をサイバー空間から現実世界にダウンロードした後の、サイバー空間のオリジナルとの共同作業だとか、記憶の並列化だとか、地域によって異なるテクノロジーの得意分野だとか。これらは当時の自分は思いつけたが、今の自分は考えることができるだろうか。

なお、書いたときの感想に「字数制限とアクションという二つの条件を満たそうとした結果、余計なシーンや描写はどんどん削ろう、普段は5枚で書いているところを3枚で済まそう、みたいなことを考えなければならなかったので、勉強にはなった。」とあったので、このあたりから削ることを学び始めたのかも。

 

■第三者からの感想

梗概段階では次のことを言われた。

この世界が成立するまでの歴史・背景のロジックが不足しており、月面を舞台にした理由などに説得力がない。また、行動原理が弱い。もしかしたらとぼけた作品にしたほうが、新境地になるかもしれないが、いいものができるかもしれない*7

実作についてはブログに記載がない。おそらく触れられなかったのだろう。ツイッターでは褒められているコメントがある。引用すると、「淡々としているからいい」「どんでん返しの繰り返し」とのこと。

どうやら自分は、熱意を込めれば込めるほど滑るタイプのようだ。

 

■まとめ

  • 設定は詰めるべきだが、語らずに示そう。
  • アクションはやめておく。
  • 行動原理は明確に。
  • 年齢は比較的若いほうがよさそう。
  • 何でここを舞台にしたか? も理由がいる。

 

以上。

*1:冗長なため。

*2:正確には40字×40行換算で10~25枚だが概算。

*3:希望的観測。

*4:こうやってちょこちょこ注釈を挟むのが「言い訳がましい」と言われる遠因なのかもしれない。

*5:大森望氏曰く「人類100年間の歩みや、「100年後の世界はこうなっている」という説明を作中で披露することは、物語にとってはむしろマイナスになります。」

*6:両親との関係の再考というテーマは何歳でもいいと思う。ただ、この作品みたいな一方的な保護というのはもうちょっと年齢が下がるような。

*7:どこか浮世離れした女性を描いた「枯木伝」では実際に評価されている。