2019年度ゲンロン第8回SF創作講座「「取材」してお話を書こう」実作の感想、その2、それから正岡子規は「雑な創作をするくらいならへちまでも作ってろ」と述べたことについて

■変態呼ばわりだなんてひどくないですか

 今回の実作は、香木がテーマになっているのだけれど、作中でどのような香りであったかを具体的に表現しなかったのは、比較的素朴な古典の表現を意識していたからである。

 それはさておき、自分は比較的嗅覚に頼ることが多い。頼ると言わないまでも、場所の記憶は嗅覚とかなり強く結びついている。たぶん、それは他の人以上だと思う。それは食品だけじゃなくて、洗剤や消毒液、トイレのにおいに至るまでそうだ。トイレにいたっては、どんな風に不潔な香りだったかについても、いくばくか種類にわけて頭の中で認識している。

 人によってはそれを信じてくれないのだけれど、少なくとも、家族からは僕のそうした判断は信用できると思われている節があり、冷蔵庫の中から異臭がしているのかいないのかよくわからないので判断してほしい、と言われたことがある。

 こういうエピソードもある。マンションに住んでいると、前に乗っていた人の存在を感じることがままある。散歩帰りの濡れた犬の気配や、おじさんの使いがちな整髪料の痕跡などを、生々しく感じるのだ。あと、下の階には中学生くらいのお嬢さんがいて、だいたい同じ時間に出るのでしばしば一緒になるのだけれど、朝の支度に手間取ったときに、その人のシャンプーの香りだけがしていると、あ、先に行ってしまったのだと気づき、数分遅刻しているので電車に間に合うためには走らねばならないと考える。

 そんな話を、友人とのボドゲ合宿でしたのだが、真顔で「女子中学生の残り香に執着している変態みたいだからやめろ」と言われてしまった。自分としては、嗅覚が世界を見分けるための、視覚に劣らない手段だと訴えたかっただけなのに、悲しい。誰かの残り香は、こんな格好をした人とすれ違った、みたいな視覚情報と同じくらいの重さでしかないのに、だ。

 それはさておき、体臭というのは本当に人によって違っているし、年齢によっても随分変わる。それは成人男性のいわゆる加齢臭ばかりではない。これは整髪料やシャンプーのせいもあるのだろうけれど、たとえば十代の男の子のにおいとアラサー男性は近づいたときににおいが全然違う。ほかならぬ僕自身も体臭が変化しているのは実感している。ホルモンの関係だろうか。よくわからないが、調べたいとはあまり思わない。率直に言って、同性のにおいはあまり好きではないのだ*1

 

■やっぱり他の受講生の作品が面白いんだよ

 毎回実作を提出しているのだが、出来の良くない作品を量産してもしかたがないよな、本当に思う。

 最近、ドナルド・キーン著「百代の過客〈続〉 日記に見る日本人」*2を読んでいて、これがめっぽう面白いのだが、正岡子規の日記に、つまらぬ句を何個も投稿してくる人間に向けて、このようなことが書いてあるそうである。

 青空文庫から、前後を補って引用する。

 募集の俳句は句数に制限なければとて二十句三十句四十句五十句六十句七十句も出す人あり。出す人の心持はこれだけに多ければどれか一句はぬかれるであらうといふ事なり。故にこれを富鬮とみくじ的応募といふ。かやうなる句は初め四、五句読めば終まで読まずともその可否は分るなり。いな一句も読まざる内に佳句かくなき事は分るなり。およそ何の題にて俳句を作るも無造作に一題五、六十句作れるほどならば俳句は誰にでもたやすく作れる誠につまらぬ者なるべし。そんなつまらぬ俳句の作りやうを知らうより糸瓜へちまの作り方でも研究したがましなるべし。

 なんとも耳が痛い。実のところ、急いでたくさん作ったって、いいものが書けるわけじゃない、と学べたのが、この講座に参加した一番の収穫な気がする。

 講座が終わったら、数か月くらいかけて一つの作品をじっくりと形にしたい*3

 

■こんなこともやってみたい

 プルーストの質問票に回答する*4

 2019年面白かった映画*5の感想を公開する。

 など。

 

 以下感想。

 

■今野あきひろ「龍をつれた奥さん」

 今までで一番世界観が強固な気がする。なんというか、勢いだけで突っ走っているのではなく、背後に何らかの理屈がある手ごたえがある。

 ただし、ここでどうしてフィボナッチ数が出てくるのかがやっぱりわからない。おそらく、自然界のすべてを統御するシステム、カバラ的な一つの神秘として用いているのだろうな、と想像できる。そうなると、解剖される姿はどことなくゴーレムというか人造人間のイメージの反響なのだろうか。これは神秘主義の世界であり、そうなるとわざわざ具体的な数式を張り付ける必要性はないようにも思える*6

 ところで、中国ってカカオの栽培ができたっけ? そのせいで中国風スチームパンクだって気づかず、カカオに引きずられて「百年の孤独」を思い浮かべてしまった。マコンドではバナナ栽培だった気がするけど。

 

■よよ「シレナ」

 とてもいい線を行っている、と感じた。梗概の「シレナは、その打開策として親しまれていた占いの技法を取り入れる」というくだりを読んで、最初は「なんじゃそりゃ?」と思ったのだけれど、こうして実作になると、なるほど連想・比喩を利用して人びとを引き付けるのか、とすごく興味を引かれた。

 なので、途中で終わってしまっているのが、本当に、本当にもったいない。

 

■品川必需「ヒニョラと千夏の共犯関係」

 あれ? 「「何かを育てる物語」を書いてください」の実作なのでは?

 それはともかく、結局ヒニョラは善なのか悪なのかわからず、主人公が陥っている状況はヒニョラによる呪いなのか守護なのかははっきりしない。認知症になった祖母が守ろうとしてくれているのか、はたまた祖母が混沌の世界に引きずり込もうとしているのかもよくわからない。ただ、わからないことそのものが欠点になっているわけではない。そういうのを魅力として推していければいいと思う。

 ただ、現状だと何かが足りない気がする。なんだろう?

 

■九きゅあ「相とソウ」

 そもそもなんで相承は世界の間を渡り歩いているの、のような、自分がうまく読み取れなくて、浮かんでくる疑問点は多数あったのだけれど、この作者の作品の中では今までで一番センス・オブ・ワンダーを感じた。い種族の理解できない文化の存在に手ごたえがある。それに、無数の世界を移動し、その種族が生き残れるわずかな可能性が実現している世界についにたどり着く、なんてところもかっこいい。硬質で奇妙に論理的な会話は、参考文献となったBLからの影響なのだろうか、それとも著者の癖なのだろうか。ちょっと原作のBLを読んでみたいと思わせられる。

 メヴァの民、という名前はそこまでかっこよくはないけれど。

 

■宇露倫「Blue’s Song」

 メルヴィルの白に対して、青をぶつけてきたか。

 本当にこの人はどうやっているんだろうな、って思う。アクションが本当に飛びぬけてうまい。

 頭の中で実際に各人物がどこで何をしているのかを描けているのか、図を書いて考えているのかわからないが、僕には到底できないタイプの作劇法だ。毎回キャラクターの成長がきちんと書かれているし、エンタメの基本骨格がこの人の頭の中にはしっかりと定着しているんだろうな、って思う。

 いつもなら癖のある会話も、今回は抑え気味でちょうどいい。

 あえて言うならどこで経済や数学について調べたことが活かされているのかな、と。

 

■中野伶理「暗香疎影」

 すごくいい。

 この人も梗概段階から話を大きく作り替えたのだけれど、この方向に転換して大正解だった。著者の特質を考えると、秘められた家系の秘密がぶつかり合って大爆発! みたいなよりも、このように端正な描写で魅せるほうが合っているし、そうする技術もちゃんとある。実際に香会に参加したのだろうか、個々の文物の描写はやや説明的だが、それでもそれら一つ一つを丁寧に目の前に示してくれる感じは、僕は好き。

五十二種類の源氏香は、五十四帖の源氏物語の中で、初巻の『桐壺』と終巻の『夢浮橋』はない。だれも体感していない「最初」と、その後体感されることのない「最後」という状態は、香という概念に当てはまらないから外されたのだろう。

 というくだりもまたいい。

 無理に科学的に正確なSFに持って行かないほうが、のびのびと表現できるのかも。

 

 以上。

 あー正岡子規読みたい。

*1:体育会系と文化系でもにおいが違う気がするんだがあれは何でなんだろう。

*2:

 

百代の過客 〈続〉 日記にみる日本人 (講談社学術文庫)

百代の過客 〈続〉 日記にみる日本人 (講談社学術文庫)

 

 

*3:最優秀賞を取るのを諦めるなって? はい、頑張ります。

*4:プロになれていないのに、という照れはある。

*5:数は少ない。

*6:この人はこういうスタイルだからこれでいいという考えもある。