2019年度ゲンロンSF創作講座第8回(1月16日)受講後の感想、実作で僕がついた一つの嘘、それから野菜ジュース御馳走様です。

■自主提出で2点もぎ取ったぞ

 ばんざーい。

 

■実作でついた一つの重大な嘘について。

 すみません僕の知る限り岩屋と福良のレンタサイクル屋が提携しているという事実はありません。

 作中で主人公が北側の自転車を南に預けて別の島に行っていますが、多分現実にはそんなことはできません。虚構なのであしからずご了承ください。

 

■梗概について

君の声は聞こえるけれど、君には僕の声が聞こえない – 超・SF作家育成サイト

 講師陣より。

 ファーストコンタクトものをテーマに選んだとき、結構恋愛ものが来るかもしれないと期待していたが、予想よりもずっと少なかった。これはその数少ない例外。ただ、コンタクトに応えるかどうかを多数決によって決断するのにはがっかりした。加えて、ファーストコンタクトよりも恋愛が勝ってしまっている。

https://twitter.com/BloodScooper/status/1217016997327839232

スケールの大きな返事と、小さな返事が絡み合うのが意外性になっている。小さい側の留保が開放されて、連鎖して、大きい側の留保が開放される構造も心理的にスリルがある。大きな話へのつながりがちょーっと弱いかも。

https://twitter.com/gomzo__i/status/1217311943582609410?s=20

 

「優希」「勇希」名前に表記揺れがある。人間ドラマとSFがこのままだと並行して、関係ないのではないだろうか。

 確かに多数決ってのはストーリーとしてはちっともかっこよくない。なんでこんなことをしたのかというと、現実にファーストコンタクトが起きた場合、誰かの一存で返事をすべきかどう決断することはできないからだ。とはいえ、そこはもう少し理詰めで面白い話を作るといった、工夫が必要な個所であった。小説なので、思い切って事実から飛躍することも必要だ。

 恋愛がファーストコンタクトよりも前面に出てしまっているというのもその通り。たぶんこの話を、締め切り間際に思いついたときの自分がやりたかったのは、奇怪なエイリアンとの対話ではなくて、人間同士の感情のすれ違いの描写であったのだろう。確かにこのままでは恋愛が勝ってしまうし、マクロなドラマともつながってこない。どうしたらいいだろう。感情に干渉するエイリアンってのも、なんかハードSFっぽくないし、でもそもそも僕がハードSFに向いているかよくわからないし(後述)、で何かと迷う。宇宙人と結婚するとかそういう方向性ではない気がするし、第一たくさんの先行例がある。

 何らかの形でエイリアンの性質と、三人の感情のもつれをパラレルにするだけではなく、リンクさせたいのだが……。うーむ。何かの謎を解く話ってのは面白いと思うんだけれど、僕の場合には謎を理詰めで作るのが向いているのか、そこもはっきりしない。謎よりは、感情の揺らぎのほうが書いていて、説明ばかりにならなくていいのかもしれない。

 名前の表記ゆれはどうしよう。いっそカタカナ表記にしてしまうか。漢字にしたければそれを一斉に置換すればいいし。なんというか、素人が校正しているので絶対にどっかでミスる。

 

■実作

枯木伝 – 超・SF作家育成サイト

 全然SFじゃないけれど面白い。久しぶりにめんどくさい実家に帰ると伝承を聞かされて、それが全部でっちあげで、愛を訴えられてキモい、みたいな話だよね? その逆転が面白い。作中作もよくできている。ただ、途中まではいいのだけれど、もう少し飛躍させてもいいのかもしれない。話が段々とグロテスクになっていくとか、そのタイミングで種明かしをするとか。全体としてはよくまとまっている。新境地で、リーダビリティが高い。

 枠物語は、とっさになってでっち上げたのだけれど、枠物語の内部でもう一つの物語が語られる必然性とはなんだろう、と考えた結果こうなったので、有機的につながっているように評価してもらえたのはうれしかった。これは、合評会に参加したことの大きなメリットであったように思う。ただ、新境地ってのがどういうことかよくわからなかったのと、それでは今後どのような部分を伸ばせばいいのだろう、と気になったので、大森氏に帰り際に尋ねてみた。すると、以下のようなお返事をいただいた。

 今までは比較的わかりやすききれいな着地点を書いていたが、今回は不穏な感じがあり、そこが新鮮。変にきれいに作ろうとするよりもいいかもしれない。劇中劇もよくできている。もっと無茶をしてもいいかもしれない。加えて、君のSFでない文章を読んだのも初めてであったので新鮮。非SFにも適性があるのかもしれない。……ただ、どちらの道を選ぶにしても、SFの知識は役に立つだろう。

 それと、隣に座っていた中野伶理氏(野菜ジュース御馳走様です。金曜日のおやつにしました)との雑談でも、執筆歴は長そうだけれど、元々SFと非SFのどっちを書いていたのかと尋ねられた。細かい話の流れや意図は記憶していないのだけれど、そういうこともあり、自分の適性は本当にハードSFにふさわしいのか、と自問自答している。もともとは純文学も書き、ついでにSFも書くということをしていた。学部が理系だったため書いていて苦にはならないし、事実誤認をしそうなときは調べることができる。ただ、SFを書いていると過度に説明的な部分が顔を題してしまうことがあり、現に今回の講座でも背景設定の説明がストーリーを圧迫してしまった実作が多い。

 キャラクターについても、シリアスな人物を書いて滑るよりは、もっと今作みたいにどこか浮世離れした人物を主役にするのがいいのかもしれない*1

 読んでいる小説はハードSFと海外の純文学がメインなのだけれど、一般文芸に活路を見出すべきなのだろうか、その辺りもよくわからない。よくわかっていないジャンルに手を出すと火傷をするのはまず間違いない。でも、一般文芸の締め切りもちょっと調べておこう。

 大森氏から2点いただいたのは重い事実だと思うのだ。

 

■で、結局どうするの? 来年も受講するの?

 本当に来年をどうするかは苦しいところだ。相変わらずの愚痴になってしまうのだが、ゲンロンSF創作講座とそもそも自分が合っているのかを考える必要がる。講師のレクチャーはいつも面白いんだけれど、それは度外視する。これは、単純に梗概が選ばれないから逃げているという面だけではない。自分が、本当にSFというジャンルで勝負をかけるべきなのか、を検討することが要請されているのである。

 現に、この講座ではSFの賞でなら最終選考に行ける人材がごろごろしている。そこで勝負をするというのは大変に力を伸ばす。しかし、本当にSFに向けてすべてを振るのが適当かどうかはっきりしない。純文学では一次までしか行ったことがない。しかしながら、一般文芸に投稿したことはないので、試してみる価値がある可能性がある。ただし、自分のストーリーの弱さで落とされる可能性もなしとはしない。SFの成績が良かったのは、世界観構築能力を買われたということも十分にありうる。

 とはいえ、プロのコメントを毎回いただけるというのはそれだけで受講する値打ちがあるというのもまた事実だ。それと、単純に楽しいってのもある。規則的になりがちな日常ではなかなか得られない刺激になっている。

 現に、梗概を選ばれない中でも実作を書き講座を受けてきただけで、大まかに目指す方向がはっきりしてきた。当たり前だけれど、設定よりもキャラクターとストーリー。口でいうのは簡単だが、その知見が頭ではなく身体で理解されつつある。こうしたことは、書かないと得られないのだ。そして、執筆活動が本業と日常を圧迫してが苦になるペースはどれくらいかを、将来のデビューに備えて、自分で把握しておく必要がある。

 そうだ、他にも問題点があって、それは課題に沿った作品しか書けなくなるんじゃないか、という疑惑だ。自分の中から出てくるものじゃなくて、注文を受けたものしか書けなくなるんじゃないかって不安がある。

 で、そもそもなんで小説を書いているのか、をまた自問自答している。もしも、自分の書いた文章を読み返して、あのときあんな風に感じていたんだな、ってことを振り返る楽しみを得たいのだったら、日記のほうが効率的だし、気楽だ。十年くらい前なら、自分の感じていたことを素直に表現できなかったから、あえて小説というスタイルを選んだものだけれど、今はそんな段階は通り過ぎてしまっていて、だから昔と同じ姿勢では執筆できない。

 そうしたわけで、読者のことを考える必要がある。それも、具体的な読者像を持って、だ。どんな人に喜んでもらえるだろうか、を考えないと、宙に向かって言葉をひたすら叫んでいるみたいになる。それはそれで楽しいのだが、職業作家にはなれない。

 

■今月の講師陣名言集

  • 読者は、小説に描写された音楽そのものに感動するのではなく、その音楽を好むキャラクターで共感する。
  • 登場人物にとってこの物語は何か、を考えてほしい。そうすると、ご都合主義でキャラクターを動かしてしまうことが減る。たとえば、ストーリーの流れの上で必要だから離婚させる、といったことなどがなくなる。
  • みんな過去から未来に向かって一直線に書いているが、もっとあざとい手を考えるべきだ。
  • 長篇の美しさと短篇の美しさは違う。日本の短編の場合、切り取り方の美しさで魅せている。
  • 教室だからどの作品も最後まで読んでもらえるのだが、現実ではそうはいかない。広告だってよほどのことがなければスキップされる。
  • 一冊の小説を読んでもらったら読者にそれ以上のリワードを。それが他人の時間を使うということだ。
  • ここで作品を評価するときには、完成していないものを前提としているので難しい。次にこの人の作品を読みたいかどうか? も問題になる。
  • ファンを増やそう。
  • 毎回実作を書くと研鑽の効果がある。だが、そこから突き抜けるためにはどうしたらいいか? ひねるというよりは、さらに一歩踏み込むべきだ。
  • 誰に向かって作るのか。誰のために作るのか。
  • どういうことを聞いてほしいのか。
  • 楽しむことで長く続けられる。 

 

■追記。ツイッターでも書いたこと

 数をこなすことはできる。しかし、それだけでは十分ではない。数をこなすのではなく、何を書くか、自分にとって一番大切なテーマは何か、頭だけでは書けない主題を選んでいるか、再考する時が来た。自分が本当に書きたいテーマは何だろう。それは、知識の披歴ではないはずだ。なにか、感情を揺さぶるものでないといけない。それは十代・二十台に頃に感じていた、恋愛感情のもつれだろうか。それとも、年齢を重ねてきたことによる悲哀だろうか。旧友と再会したときに金の話ばかりになるせちがらさだろうか。まだわからない。なんであれ、自分の作家性とは何か、よく考えねばならない。

 一度、創元SF短編賞で、読みやすくなったが作家性が後退した、と指摘されたが、その意味をはっきりさせる必要がある。

 

 以上。

*1:このスタイルは書きやすいのだけれど、これって僕が浮世離れしてるってことか?