一日に原稿用紙五枚

 一日に、原稿用紙何枚分くらいを書き上げることができるだろうか。他人と比べても仕方がないのだが、気になっている人も多いことだろう。

 僕の場合、大体原稿用紙五枚がちょうどいいのではないかと思っている。

 

 もちろん、兼業作家の場合、夜に帰宅してからの作業になるので、物理的に専業作家と比べて時間が取れないのは事実だ。しかし、それ以上に、一日に創作できる文字数は、意外と限られているのではないか、というのがここ最近の実感なのだ。

 

 一度、一日に原稿用紙十枚を必ず執筆することに挑戦したことがある。現にそれは可能だったし、それなりの質の文章を書き続けることができた。これは、休日にジョギングをする習慣が身について以降のことなので、もしかしたら体力が底上げされたことも理由の一つなのかもしれない。しかし、もう一つ考えられるのは、自分語り系の純文学で、かなり感覚そのままで書いていたため、それが可能だったということだ。

 

 とはいえ、自分語りというのは、少し危険な手法であり、作品の素材そのものを切り売りしてしまうことに繋がりかねない。沙村広明は「シスタージェネレーター」のなかで、「クリエイターは経験を肥やしにして、作品という野菜を育てるのであり、肥やしを売り物にするべきではない。それに、肥やしを売り払ってしまった跡には、貧しい野菜しか育たない」という趣旨のことを述べている。おそらくその通りなのだろう。ときどき、身辺雑記を書き記したい誘惑にかられるのだが、それだけでは、作品としては未熟なものとなってしまうだろう。

 それに、著名人でもないのに、プライベートを事細かに書いても、読まされる読者の側にどれほど楽しんでもらえるかは疑問だ。

 

 この方法がうまくいかないな、と感じた理由はまだある。自分語りをもう一歩推し進めた作品を書いてみようとしたのだ。ありていに言えば、個人的な告白録に近いものだ。もちろん、かなりの虚構を含むが、素材は直接経験したことを流用した。すると、一日十五枚も可能な日もあった。しかし、作品の体をなさなくなってしまった。日々の雑感や愚痴などに紛れて、物語が前に進まなくなってしまったのである。そのうえ、自分の内面を見つめすぎたせいか、具合が悪くなる始末だった。

 

 そういうこともあるので、書けるだけ書くよりは、ここまで書いたらおしまいというラインを決めてしまうのも、一つのやり方なのではないか、と最近は考えている。後で破棄してしまう文字を大量に書き連ねるよりは、推敲に時間を書けた方がいい。

 何かを執筆するのは、どちらかといえば長距離走にも似ていて、ペースを乱さないことのほうが、量を書くよりも大事なのだろう。

 

【参考資料】

http://d.hatena.ne.jp/esu-kei/20090723/p1