ゲンロンSF創作講座2019に申し込んだ

 なぜ自分は小説を書いているのだろう、と立ち止まってみた。

 というのも、先日ゲンロンSF創作講座2019に申し込んだからである。

 

 何で申し込んだのかと言うと、ここ数か月執筆の手を止めて、夜に静かな時間を過ごしていると、これはこれで幸せな時間なのではないか、と感じることが増えてきたからだ。もちろん、書くことだけが幸せではないのだけれど、自分の中で執筆を急き立てるような衝動が、薄れてしまっている。無関心になったのではないのだが、ただ、焦らなくなったのは事実だ。そういう意味では、自分を刺激する必要がそろそろ出てきたらしい。

 

 思うところはそればかりではないのだけれど、少し振り返ってみる。

 

 もともと、自分が創作を始めたのは中学か高校の頃だ。当時は携帯電話のメールやメモの機能を使って、詩を作ってみたり、断章を記してみたりしていただけだ。それでも、行き場のない強い感情に形を与えることができることを知ったのは、大きな喜びだった。よくわからない文章を作り、友人に送りつけたこともある。それが友人の間で回覧されたのも(さらし者にされたのも)、今となってはいい思い出である。

 

 もう少しきちんと小説の体をなすものを書き始めたのは大学に入ってからのことだ。当時の同人誌は今でも取ってある。未熟だが、読み返すことで自分がわずかなりとも進歩したことがわかるので、励まされるのだ。

 また、ここで感情に形を与えるだけではなく、自分のトラウマと向き合ってみることを覚えたのである。

 

 トラウマと呼ぶほど御大層なものではないかもしれないが、自分が何に傷つき、どのようなことに怒りや嫌悪を覚えるかを、あたかも第三者に起きた出来事のように突き放して書くことで、自分の経験したことは、世間的にはありふれたことなのだ、と納得しようとしたのだろう。自分の感情を、世間に聞いて理解してもらいたい、できることなら深く同情してもらいたい、という望みがないわけでもなかったが、そうした反応はあまり得られなかった。

 

 大学院を卒業した後にも、何かを表現したい、伝えたい、という気持ちは特におさまることはなかった。自分が創元SF短編賞の最終選考に名を連ねていたのは、こうした時期のことだ。僕の置かれていた状況については、また別の記事で書こうとは思っているが、一つだけ指摘しておくと、あの頃に僕の書いていた文章は、ストーリーが貧弱であり、小説というよりは素描に近いものだった。

 

 そういうわけで、ストーリーに起承転結を入れようと四苦八苦していたのだが、なかなか実を結ばず、執筆から離れた時期もあった。もちろん、編集の方からコメントをいただくことも多かったのだが、そのアドバイスをうまく生かすことができなかった。何がおかしいのかはわかるが、どう直せばいいのかがまだ分からない状態だ。

 

 焦燥感に促されて、ひたすら思いついたままのことを、そのまま長編にすることを何度か試みた。一番長い作品で原稿用紙八百枚。そこに、自分の日々感じている寂しさや切なさをベースに、さまざまな世界を描写して見せたのである。あるいは、中高生の頃に構想した作品のリメイクを。

 けれども、起承転結があいまいなままであったので可読性は低く、一次選考も通らないことが続いた。

 

 こと、ここに至って気づいたのだ。この方向は行き止まりである、と。というか、気が済んだ、というのが実情に近い。自分の気持ちを延々綴っただけでは、どこにもたどりつくことはないのだと、頭ではなく体で理解したわけだ。

 それはそうだろう、という声が聞こえるが、何かを納得するには時間がかかるもので、この遠回りは、僕にとっては必要なものだった。

 

 自分のことをひたすら聞いてもらいたい、という望みから離れても、まだ何か語りたいという思いが残っていたのは、幸いだったと思う。もしも、自分のトラウマを語り尽くして、それ以上は何も言いたくないのなら、トラウマを聞いてもらいたかったのだろう。そのあとになっても、まだ言い足りないことがたくさんあるのなら、その人は作家になりたいのだ。

 

 明確な答えではないのだが、これが今の気分である。