最終実作梗概、拡張版。

 これはメモ書きをアップロードしたものであり、今後改定する可能性がある(というか、実作を執筆しながらメモ代わりに使うかもしれない)。

 講評会で使うためにここに掲載する。講評会関係者以外にも閲覧可能な形にすることで、ほかの受講生、来期の受講生の参考になると考えている。

 取り消し線は元の梗概と異なる個所、下線は追記部分。

 

以下本文。

 

作品のテーマ:他者理解の難しさ、思い込み、記憶違い。

 

求めるべき傾向:ただ暗いだけの話にはしない。個人的な怨念を込めることもしない。ただうっすらとした悲哀が雰囲気としてただよっているくらいにする。場合によっては、箸休めとして適度な生活感を出す。モデルとなった人々と登場人物は、あくまで別人として扱う。

 

淡々とした一人称。普段の日記みたいな。

 

現代日本(枠物語)

 

登場人物紹介

 

主人公:高良秀治(こうら ひではる)

 普通の勤め人。極めて優秀というわけではないのだが、大きな失敗もすることはない。三十歳を目前にしているのだが、特につきあっている相手はいない。そのことでうっすらと焦燥感を感じている。学生時代は文芸サークルに所属していた。

 どうして文芸サークルに所属していたのか、そして、なぜ今も小説を執筆することがあるのか、を解き明かすことが、物語の一つの軸となる。基本的に読書が好きで、文章を書くのも好きである。長い日記を書くのが習慣になっていて、何も書かないと調子が悪くなるほどである。

 小説が書けないときも、ブログで読書日記をつけている。通勤時間中に書くこともある。

 彼にとって文学サークルは居心地が良かった。工学部卒。

 

ヒロイン:中山望美(なかやま のぞみ)

 高良の学生時代の文芸サークルの後輩。高良が卒業した後、サークルの雰囲気が合わなかったためにやめてしまう。現在、才藤映里香(さいとうえりか)の名前でライターをしている。内容は女性向けの文化批評が中心で、イラストも描いている。

 サークルをやめたきっかけは、事項に出てくる井場が彼女の作品を厳しく批判したためである。高良は中山の作品を気に入っており、それを彼女から聞いたときには惜しいと感じた。サークルをやめたいという話を、二人は夕飯を食べながらした。

 

悪友:井場隆(いば たかし)

 同じく学生時代の文芸サークルの仲間。途中から入ってきて、サークルの雰囲気をより文学批評的にした。現在は文学部で助手をしている傍ら、文学の批評も行っている。作家になるだけの才能はあったのだが、本人にその気はなかった。

 

あらすじ

 

 高良は普通の勤め人である。仕事が終わると小説の執筆をする趣味はあるのだが、今一つ成果が出ていない。一度最終選考まで通ったことはあるものの、それ以降は目立たない。SF風味のものを試みたり、ファンタジーを執筆したり、純文学に回帰したりと、安定しない。ときどき、サークル仲間の井場の書いた評論の載っている文芸誌を手に取ることもある。成果が出ないなかで、そもそもどうして自分は文章を書いているのだろう、と疑問に思うようになる。ときどき、学生時代に戻ることができたら、と空想している。

 久しぶりに大学のサークルの仲間で集まろうということになったのだが、残念ながら諸事情で中止になってしまった。高良は幹事である井場に、ほかの面々はどのように過ごしているのかを尋ねた。そのなかで、高良は中山の様子が知りたかった。

 中山からは返事が来ていない、と井場は答える。井場は、高良が中山のことが好きだったのではないか、とからかうが、高良はそれを特に否定することはない。でも、高良は当時すでに中山にはすでにつきあっている相手がいたことを知っていたのだし、恋愛対象としては諦めていた。それでも中山に好意は持ち続け、かわいらしい後輩として接し続けてきた。高良は中山の独特の感性にいつも心惹かれていた。自分には書けないタイプの文章だからだ。

 高良は、中山のことを思い出してセンチメンタルな気持ちになる。スマホに残った彼女からの年賀状のイラストを眺めているうちに、いくつもの思い出を想起し、それから今までのうまくいかなかった恋愛の数々を思い出す。というのも、先日また振られたばかりなのだ。その気持ちを整理するために、高良は久しぶりに小説を書くことにした。ちょうど文学賞が近い。ただし、過去に戻ってやりなおすテーマの作品は書きたくなかった。何かに負けた気がする、という奇妙な羞恥心のためだった(こうした羞恥心についても少し触れる)。代わりに、千夜一夜物語風のものを執筆し始める。構想はずっと前からあったものだ。

 

*(アラビアンナイト・前半)

 

 高良は、アラビアの風俗や、アラビアンナイトそのものについて調べるうちに、だんだんと疲れてくる。ガラン版のアラビアンナイトを探しているのだが、アマゾンで注文しても入荷待ち、書店も開いていない。そこで気晴らしに、何気なく彼女の名前で検索をする。それでも、古いSNSのアカウントが見つかるばかりである。もう何年も前から更新されていない。散歩をしたりネットをしたり、気分転換をしてからいろいろと試みているうちに、彼女の年賀状を画像検索してみた。すると、才藤映里香という名前のライターの記事が見つかった。文章の癖もイラストのタッチも中山のものであった。やっとのことで彼女を見つけたことでうれしくなってくる。

 彼女はすでに結婚していた。高良はその事実で打ちのめされることはない。一抹の寂しさはあるが、それは予想していたことだ。子育て日記を見ていると、むしろほのぼのとした気分になる。けれども、いくばくか残念な気分にもなる。というのも、女性向けの記事の内容が高良には凡庸に思えたからだ。彼女の非凡な感性はどこに行ってしまったのだろうか、と。

 井場に、中山が最近ライターをやっていることを知っていたのか、と尋ねてみる。彼は知っていた、と答える。そして軽蔑するように告げる。あんなもの誰でも書ける、と。あいつはきっと、編集者と寝て仕事を取ってきたに違いない。できちゃった婚だったしな。お前はまだあんなふわふわした女が好きなのか、彼女はできないのか、云々。高良は不快になる。彼女が同窓会に来るのを断ったのも、きっと井場がいるからなのだろう。考えてみれば。彼女の作品を井場はいつもけなしていた。記事を読んでいるうちに、井場のような女嫌いのタイプの男の取扱説明書、のような記事もあって、苦い思いが込み上げてきた。自分が彼女を守ってあげなかったから、彼女は小説ではなくこうしたありがちな記事を書いているのではないか、と。彼の気分を反映して、小説の内容も、だんだんと暗くなっていく。井場の言葉も耳に残っている。本当は彼女のことがまだ好きなのだろう、あきらめきれないのだろう、と。

 

*(アラビアンナイト・後半・バッドエンド)

 

 そして、高良は考えるようになる。彼女の豊かな才能をつぶしたのは井場なのではないか。ならば、自分は彼女を励ますべきなのではないか。中山は作家になるべき人間だったと思うし、自分は彼女のことをよく理解しているはずである、と。高良は、中山の業務用のメールアドレスに、自分の近況を伝え、久しぶりにお茶でも飲まないか、という話をする。思いがけないことに、彼女の家に招待された。

 中山の夫は子供を連れて出かけているらしい。高良は、土産物に二人でパフェを食べた店の菓子を持ってきた。直接会えないので、チャットによる会話をする。学生時代の様々な思い出話をするのだが、記憶の細部が噛み合わない。高良は切り出す。もう君は小説を書かないのか。才能があったのに、と。僕はいまだに書いているけれども、芽が出ない。君はどうだろう。中山は笑う。私は今の生活にとても満足している。私にとって小説を書くという行為は自分を励ますためであり、似た境遇の女の子を励ますためでもあった。私は、小説とは別の形でその願いをかなえている。それに、私のイラストをかわいいとほめてくれたのは先輩でしたよ、と。先輩は売れる作家になりたいんですか? それとも、自分の気持ちを文章にして誰かに伝えたいんですか? 世界観を表現したいんですか? その問いかけが心に響く。井場のことも、吹っ切れているようだった。私は先輩の書く、SFっぽい雰囲気の作品、理解できないなりに好きでしたよ、と。

 ライター業を小説執筆よりも下に置いていることをたしなめられたように感じる高良。あるいはそれは気のせいであったのかもしれない。そこで夫と子供が帰ってくる。高良も好感が持てる男性だった。夕飯も食べていくことも勧められたのだが断った。本当に幸せそうで、かすかに胸の痛みを感じながらも、彼女のいく先を祝福したいと感じた。そして、結末を書き換えることにする。好きな世界、幻想の世界に持っていく。

 自分の記憶違いのことを思いつつ高良は開き直る。自分が知りもしないイスラーム世界の正しい過去など描くことはできないのだから、舞台は実は遠い未来であったことにする。

 

アラビアンナイト・後編・グッドエンド:舞台は過去ではなく、遠い未来であったことを明らかにする)

 

 結論を書き換え、高良は改めて考える。自分は何のために小説を書いていたのだろう、と。ただ、学生時代の思い出を語りなおすためなのだろうか。それとも、青春の頃の熱気が忘れられないだけなのだろうか。結論は出ないままにも、まずは書いていて楽しかった、と彼は思う。

 

千夜一夜物語(劇中劇)

 

登場人物

 

イスマイール

 主人公。優しいが少し気が弱いところがある。まだ恋を知らない年齢だが、異性への関心は芽生えつつあり、それに対して気恥ずかしさを覚えている。高良が無意識に自分をモデルにしているのかもしれない。

 

サイイド

 イスマイールの兄。弟とはあまり似ていない(母が違うことも原因なのかもしれない。彼の母は亡き第一夫人だ)。自分の意見をしっかりと述べるが、意地の悪いところがあり、別の宗教に対しては容赦しない。特に、十字軍のマアッラ攻囲戦で行われたカニバリズムにより、異教徒を憎悪している井場がモデルになっている節がある。義理の母との折り合いはあまりよくない。

 

ハールーン

 イスマイールの父。博識であり、メッカを訪れたこともある名士でもある。他の宗教に対しては基本的には、礼儀を守っている限りは寛大。ただし、身内が改宗しようとすることに対しては、断固とした態度を取る。

 

マルヤム

 イスマイールの母。もともとコプト教徒(東方のキリスト教の一派)であったが、正式な妻になるためにイスラームに改宗した。ハールーンの第二夫人。実の子供ではないサイイドに対しても愛情を注いでいる。

 

エヴァ

 巡礼者の娘。キリスト教徒ではあるがカトリックであるため、マルヤムとは宗派が異なる(カトリックの十字軍は、コプト教徒に対しても、異端だと判断して冷淡であった)。人形遊びをしたり、絵を描いたりと、イスラーム世界では珍しいことを好む。中山が部分的なモデル。言葉は残念ながら通じない。

 

あらすじ

 

 文学サークルの青年高良が、片想いの相手を空想しながら、次のような物語を綴る……。

 

アラビアンナイト・前半)

 ムスリムの少年イスマイールは、聖地に巡礼に向かう少女エヴァに出会う。イスマイールの父ハールーンは疲れ切った彼女の一行を何日も屋敷に泊めてやり、物語を聞かせ(註:ここでもう一段階劇中劇が入る)、食料まで持たせる。兄、サイイドはそれが面白くない。なぜならば、キリスト教徒が聖地を巡礼できる現状を誤りだと考えているからだ。エヴァは別れ際に、お礼として聖母をかたどった人形を渡す。イスマイールはそれが何だかわからない。ただ少女の人形遊びに使うものだと思うばかりであった。

 

 高良はアラブ世界で人形遊びが可能なのかを疑いつつ続ける。

 

アラビアンナイト・後半・バッドエンド)

 それが宗教的なものであると教えてくれたのが母マルヤムだった。彼女は改宗してムスリムとなったため、キリスト教徒の風習についても理解があった。それでは、これはイスラームで禁じられている、神を具体的な形として表現する偶像崇拝ではないか、とイスマイールは困惑する。しかし、それを捨ててしまうことができない。なぜなら、いつの間にかイスマイールの心の中で、その像が彼女との大切な思い出の品になっていたからだ。彼は人形をいとおしげになでる。

 兄はそれを意地悪くも見つけ、取り上げようとする。もみ合っているうちに母が割り込んでくる。それでも喧嘩をやめないので父が威厳ある態度ででてくる。父親はサイイドが暴力をふるったことは叱責したが、イスマイールには人形は焼き捨てなければならないと諭す。それでも納得しないイスマイールに、改宗しようなどと愚かなことを考えるな、と怒りをあらわにする。

 たまらずに家を飛び出すイスマイール。するとそこには巡礼から帰る途中のエヴァたちがいた。丁重にお礼を言う巡礼の人々たち。いっそのことエヴァムスリムになってさえくれれば正式に結婚できる、と思うが兄に憫笑される。自分も改宗するわけにもいかない。それは死を意味する。そして、結婚がかなわないのなら、そして大切な品を焼いてしまうくらいならマリア像はいらない、とエヴァに返そうとするが、言葉が通じないせいか受け取ってもらえない。

 イスマイールは泣きながら火の中に聖母像を投げ込んでしまう。何が起きたかほかのキリスト教徒たちにはわからなかったし、エヴァは黙ったまま立ちすくむばかりだった。そして、所詮異教徒とは分かり合うことなどできない、と兄は笑うのだった。

 

 物語の書き手は、途中で時代背景を調べる苦労や、身の回りの出来事の愚痴を挟んできたが、ここでこんなラストは承服しがたいと考え、書き換える。

 

アラビアンナイト・後半・グッドエンド)

 だが、翌日になると火に投じられていたのはただの木切れだったことがわかる。母のマルヤムが気を効かせて、こっそりそれらしいものを渡していただけだった。聖母マリアは無事、エヴァのもとに返された。言葉は通じないままだが、旅の安全を願い、イスマイールはお守りを渡す。父親が巡礼者を再び歓待したのち(ここでも劇中劇が入る)、二人は別れる。彼女は「さよなら」と言って去る。それが彼女の知っているただ一つの言葉だった。(彼女が帰っていくロケットが、あるいは軌道エレベータが見える)。その数年後、聖地は再び戦場となる危機が訪れるが、成人したイスマイールによって防がれる、と歴史書は述べている。

 

 ご都合主義だ、と青年は自嘲するけれども、自分もまた慰められたように感じる。

 

父・ハールーンが語る話、すなわち劇中劇の中の劇

 

 長くなるので簡素に。一つ目の話は「デカメロン」や「賢者ナータン」に出てくる「三つの指輪」をベースにしたもの。すなわち、それぞれの宗教の教えは平等である、というテーマ。元の話では、聞き手がサラディンとなっている。二つ目の話は「デカメロン」の十日目の九回目の話の簡潔な再話。自分が帰れなかったら再婚してもいい、と告げて騎士は十字軍として出征した。彼は捕虜となるが、サラディンはかつての恩義のゆえに、捕虜ではあるが敬意をもって遇した。そして、妻が結婚してしまう約束の日に、サラディンが恩返しとして魔法で家に飛んで帰らせる。どちらも、サラディンが名君として出てくる話として知られる。

 

以下、個人的なアラビアンナイトにまつわる諸事情。あるいは、語り手の思い出。

 そもそも入れるべきかどうか、長くならないかがわからないため、いったん空欄。

 

 以上。

 

追記

 後輩とのやり取りはすべて妄想、というオチはどうだろうか?