第9回ゲンロンSF創作講座(2月20日)のための覚書

■近況

 パソコンが壊れたのでsurfaceを買った。今のところ快調。

 なかでも、顔認証が非常に快適。SF小説家になろうとしている人間が、最新のガジェットに触れるのがこれほど遅いのはどうかと思わなくもないのだが、あの「ニューロマンサー」だってパソコンではなくタイプライターで書かれたそうなので、そこは許してほしい。

 

■来年度の方針……?

 そろそろ、来年もSF創作講座を受講するかどうか決める必要がある。そんな気が早い、と思われるかもしれないのだが、昨年のゲンロンスクールのツイログを見ると、募集が始まっていたのが3月の末で、満員になったのが4月中旬、それで実際の締め切りが5月10日であった。あまり余裕がない。

 いまのところ、来年も続けることについてはやや否定的な気分だ。というのも、単純にしんどいからだ。しんどいというのは、自分がほかの実作を全部読むという目標を課して、自分でハードルを上げてしまったというのもあるし、シンプルに選ばれないからというのもある。梗概が選ばれるようになるまで努力するのが筋である、という考えもあって当然だと思うし、そういう風な選択をすることも考えてはいたのだが、そろそろ実際の公募に作品を出したい気持ちに傾きつつある。

 一年を通して多くのことを学んだ。自分がどういう方向で勝負をかけるべきかの方針が立ったし、多くの人が同時に指摘する欠点もわかった。ただ、これをもう一年やるとしたら、自分のやりたい方向を見失ってしまうのではないか、と恐れている。

 加えて、この講座には依存性がある。下手な梗概であれ、ほとんどの場合コメントがあるので、とりあえず書いてしまう。自分が、避けるべきだと思っている、勢いに任せた精神状態で。これは非常にまずいのではないか。それで、講座である程度反響があると、この状態を強化してしまうのだ。

 ただ、最後の梗概で選ばれたり、実作でまた点が入ったりしたら、気が変わってしまうかもしれない。まだかなりいい加減な段階だ。

 

■現時点での成果

 とはいえ、一年間ぶっ通しで書いてきた意義というのはいくつかある。具体的にどんな作品を作りたいかというビジョンもなしに書き続けても不毛であるという実感を得たことだ。どうも自分には、気分が行き詰まると長い文章を打ってしまう傾向があり、それ自体は悪いことではないのだが、頭の中でもやもやしていることを、うっかりそのまま小説の形にしてしまうことがある。ほかにも、その時自分の中でホットになっているトピックについて言及したり、知識を披露したりしてしまうこともある。これが、ストーリーを圧迫していては、面白い作品にはならない。

 もちろん、幾分かはその時に自分がはまっているというか、興味関心が向いている出来事について何か作品を書くというのは悪いことではない。というか、そうしないと作品が大体同じような傾向のものばかりになってしまう。程度問題だ。例えば、今頭を占拠しているのは、もしも今の記憶を持ったまま過去に戻ったら、という空想だ。

 ただ、その時自分の頭を占領している物事を、すべて小説の形にしなければならないかといえば、全然そうではない。そういう物事は小説ではなく、個人用のツイッターでつぶやいたり、匿名ブログに放流したりするようにして、住み分けができるようになった。言い換えるならば、ある程度自分が何をなぜ書いているか、について再考している。

 で、小説を投稿する場所でなくても、反応があるとやっぱりうれしい。小説で反応をもらったほうが嬉しいだろう、という考えには、それもそうだけれど、と思う。でも、小説のテーマにふさわしくないか、まだ熟していないものを披露する場があってもいいと思うし、なんであれ反応があると、やっぱりうれしいものだ。どっちが本流かを間違えなければ、とてもいい気分転換になる気がしている。

 講座やめて浮いた分の20万円あったらどっか旅行へ行けるし。

 

■梗概

できることなら、もう一度白夜の下で – 超・SF作家育成サイト

 この文章単体で語るべきことは少ない。こういう描写というか、断章を書くのは、個人的にはとても好きだ。

 ただし、この背後にどのような話があるかは、漠然としか決めていない。質問されたときに答えられるように、講座当日までには、大まかでいいのでストーリーを作っておくつもりだが、講座でのやり取り次第では、大胆に変更することもありうる。

 今のところ考えているのは、バーチャル空間の物語である、とだけ。

 

■実作

君の声は聞こえる。僕の返事は届いただろうか。 – 超・SF作家育成サイト

 前回の講座で、不穏な感じがいいといわれたので、このラストを付け加えたんだけれど、これでよかったのか。そもそも余計な付け足しだったのか、逆に、これよりもずっと邪悪な感じにするべきであったのか。

 さらに心配しているのは、やっぱりラストがセリフで説明しすぎている気がしないでもないことで、なんというか、すごく絵になる展開にはなっていない。それが最大の弱点だ。

 それと、ずっと登場人物に名前を付けることに苦戦している。今回はキリスト教の三つの徳である信仰、勇気、愛から名前が取られているが*1、いつまでもこんなことをやっているわけにはいかないのである。

 ところで、勇樹のゲイ描写もいい加減に思われてならない。未来世界だから、現代とは違う価値観が当然で、普通に何でもないこととして扱われている、という表現をしたい一方で、でも苦しさが全くないように書くのも何か違う気もする。しかし、深入りしすぎたり長い説明を入れると、今度はストーリーを圧迫してしまう。

 前回、設定はするけれど長く語らない、ってのがテクニックだとは聞いたのだが。

 

■最終回に向けて

 どの作品で点を取ったかということで伸ばしていた部分を、最大限に強調したい。もしもこの実作と次回の実作が全然評価されなかったら、あまりハードじゃないほうが有利、だということになる。

 自分の中の、ストーリーのストックがなくなっていくのをひしひしと感じられる。ラブストーリーとして使えるネタは、あまり持っていないのだ。

 あと、テーマがないと書けなくなりつつあるんじゃないかって、すっごく不安。

 

■いろいろ書いてはきたけれど

 ここまで書いてきて、やっぱりもうちょっとだけ続けたいと感じている自分もいる。ああどうしよう。また人数増えるしなあ、埋もれるんじゃないかなあ……。一年休んで再開するのはどうだろう? でも講座そのものがいつ終了するかもわからない。なんにせよ、次回と次々回の結果待ちだ。

 それにしても、この一年近くで本当に疲れてきた。プロの方はすごい。

 

■というか

 実作を投稿したらフォントがなんか違うんですけど?

 

■ひっそり追記

 既視感のある小説じゃダメなんだよ! うわーん!

*1:本当は希望だった気もする。

2019年度ゲンロンSF創作講座第8回(1月16日)受講後の感想、実作で僕がついた一つの嘘、それから野菜ジュース御馳走様です。

■自主提出で2点もぎ取ったぞ

 ばんざーい。

 

■実作でついた一つの重大な嘘について。

 すみません僕の知る限り岩屋と福良のレンタサイクル屋が提携しているという事実はありません。

 作中で主人公が北側の自転車を南に預けて別の島に行っていますが、多分現実にはそんなことはできません。虚構なのであしからずご了承ください。

 

■梗概について

君の声は聞こえるけれど、君には僕の声が聞こえない – 超・SF作家育成サイト

 講師陣より。

 ファーストコンタクトものをテーマに選んだとき、結構恋愛ものが来るかもしれないと期待していたが、予想よりもずっと少なかった。これはその数少ない例外。ただ、コンタクトに応えるかどうかを多数決によって決断するのにはがっかりした。加えて、ファーストコンタクトよりも恋愛が勝ってしまっている。

https://twitter.com/BloodScooper/status/1217016997327839232

スケールの大きな返事と、小さな返事が絡み合うのが意外性になっている。小さい側の留保が開放されて、連鎖して、大きい側の留保が開放される構造も心理的にスリルがある。大きな話へのつながりがちょーっと弱いかも。

https://twitter.com/gomzo__i/status/1217311943582609410?s=20

 

「優希」「勇希」名前に表記揺れがある。人間ドラマとSFがこのままだと並行して、関係ないのではないだろうか。

 確かに多数決ってのはストーリーとしてはちっともかっこよくない。なんでこんなことをしたのかというと、現実にファーストコンタクトが起きた場合、誰かの一存で返事をすべきかどう決断することはできないからだ。とはいえ、そこはもう少し理詰めで面白い話を作るといった、工夫が必要な個所であった。小説なので、思い切って事実から飛躍することも必要だ。

 恋愛がファーストコンタクトよりも前面に出てしまっているというのもその通り。たぶんこの話を、締め切り間際に思いついたときの自分がやりたかったのは、奇怪なエイリアンとの対話ではなくて、人間同士の感情のすれ違いの描写であったのだろう。確かにこのままでは恋愛が勝ってしまうし、マクロなドラマともつながってこない。どうしたらいいだろう。感情に干渉するエイリアンってのも、なんかハードSFっぽくないし、でもそもそも僕がハードSFに向いているかよくわからないし(後述)、で何かと迷う。宇宙人と結婚するとかそういう方向性ではない気がするし、第一たくさんの先行例がある。

 何らかの形でエイリアンの性質と、三人の感情のもつれをパラレルにするだけではなく、リンクさせたいのだが……。うーむ。何かの謎を解く話ってのは面白いと思うんだけれど、僕の場合には謎を理詰めで作るのが向いているのか、そこもはっきりしない。謎よりは、感情の揺らぎのほうが書いていて、説明ばかりにならなくていいのかもしれない。

 名前の表記ゆれはどうしよう。いっそカタカナ表記にしてしまうか。漢字にしたければそれを一斉に置換すればいいし。なんというか、素人が校正しているので絶対にどっかでミスる。

 

■実作

枯木伝 – 超・SF作家育成サイト

 全然SFじゃないけれど面白い。久しぶりにめんどくさい実家に帰ると伝承を聞かされて、それが全部でっちあげで、愛を訴えられてキモい、みたいな話だよね? その逆転が面白い。作中作もよくできている。ただ、途中まではいいのだけれど、もう少し飛躍させてもいいのかもしれない。話が段々とグロテスクになっていくとか、そのタイミングで種明かしをするとか。全体としてはよくまとまっている。新境地で、リーダビリティが高い。

 枠物語は、とっさになってでっち上げたのだけれど、枠物語の内部でもう一つの物語が語られる必然性とはなんだろう、と考えた結果こうなったので、有機的につながっているように評価してもらえたのはうれしかった。これは、合評会に参加したことの大きなメリットであったように思う。ただ、新境地ってのがどういうことかよくわからなかったのと、それでは今後どのような部分を伸ばせばいいのだろう、と気になったので、大森氏に帰り際に尋ねてみた。すると、以下のようなお返事をいただいた。

 今までは比較的わかりやすききれいな着地点を書いていたが、今回は不穏な感じがあり、そこが新鮮。変にきれいに作ろうとするよりもいいかもしれない。劇中劇もよくできている。もっと無茶をしてもいいかもしれない。加えて、君のSFでない文章を読んだのも初めてであったので新鮮。非SFにも適性があるのかもしれない。……ただ、どちらの道を選ぶにしても、SFの知識は役に立つだろう。

 それと、隣に座っていた中野伶理氏(野菜ジュース御馳走様です。金曜日のおやつにしました)との雑談でも、執筆歴は長そうだけれど、元々SFと非SFのどっちを書いていたのかと尋ねられた。細かい話の流れや意図は記憶していないのだけれど、そういうこともあり、自分の適性は本当にハードSFにふさわしいのか、と自問自答している。もともとは純文学も書き、ついでにSFも書くということをしていた。学部が理系だったため書いていて苦にはならないし、事実誤認をしそうなときは調べることができる。ただ、SFを書いていると過度に説明的な部分が顔を題してしまうことがあり、現に今回の講座でも背景設定の説明がストーリーを圧迫してしまった実作が多い。

 キャラクターについても、シリアスな人物を書いて滑るよりは、もっと今作みたいにどこか浮世離れした人物を主役にするのがいいのかもしれない*1

 読んでいる小説はハードSFと海外の純文学がメインなのだけれど、一般文芸に活路を見出すべきなのだろうか、その辺りもよくわからない。よくわかっていないジャンルに手を出すと火傷をするのはまず間違いない。でも、一般文芸の締め切りもちょっと調べておこう。

 大森氏から2点いただいたのは重い事実だと思うのだ。

 

■で、結局どうするの? 来年も受講するの?

 本当に来年をどうするかは苦しいところだ。相変わらずの愚痴になってしまうのだが、ゲンロンSF創作講座とそもそも自分が合っているのかを考える必要がる。講師のレクチャーはいつも面白いんだけれど、それは度外視する。これは、単純に梗概が選ばれないから逃げているという面だけではない。自分が、本当にSFというジャンルで勝負をかけるべきなのか、を検討することが要請されているのである。

 現に、この講座ではSFの賞でなら最終選考に行ける人材がごろごろしている。そこで勝負をするというのは大変に力を伸ばす。しかし、本当にSFに向けてすべてを振るのが適当かどうかはっきりしない。純文学では一次までしか行ったことがない。しかしながら、一般文芸に投稿したことはないので、試してみる価値がある可能性がある。ただし、自分のストーリーの弱さで落とされる可能性もなしとはしない。SFの成績が良かったのは、世界観構築能力を買われたということも十分にありうる。

 とはいえ、プロのコメントを毎回いただけるというのはそれだけで受講する値打ちがあるというのもまた事実だ。それと、単純に楽しいってのもある。規則的になりがちな日常ではなかなか得られない刺激になっている。

 現に、梗概を選ばれない中でも実作を書き講座を受けてきただけで、大まかに目指す方向がはっきりしてきた。当たり前だけれど、設定よりもキャラクターとストーリー。口でいうのは簡単だが、その知見が頭ではなく身体で理解されつつある。こうしたことは、書かないと得られないのだ。そして、執筆活動が本業と日常を圧迫してが苦になるペースはどれくらいかを、将来のデビューに備えて、自分で把握しておく必要がある。

 そうだ、他にも問題点があって、それは課題に沿った作品しか書けなくなるんじゃないか、という疑惑だ。自分の中から出てくるものじゃなくて、注文を受けたものしか書けなくなるんじゃないかって不安がある。

 で、そもそもなんで小説を書いているのか、をまた自問自答している。もしも、自分の書いた文章を読み返して、あのときあんな風に感じていたんだな、ってことを振り返る楽しみを得たいのだったら、日記のほうが効率的だし、気楽だ。十年くらい前なら、自分の感じていたことを素直に表現できなかったから、あえて小説というスタイルを選んだものだけれど、今はそんな段階は通り過ぎてしまっていて、だから昔と同じ姿勢では執筆できない。

 そうしたわけで、読者のことを考える必要がある。それも、具体的な読者像を持って、だ。どんな人に喜んでもらえるだろうか、を考えないと、宙に向かって言葉をひたすら叫んでいるみたいになる。それはそれで楽しいのだが、職業作家にはなれない。

 

■今月の講師陣名言集

  • 読者は、小説に描写された音楽そのものに感動するのではなく、その音楽を好むキャラクターで共感する。
  • 登場人物にとってこの物語は何か、を考えてほしい。そうすると、ご都合主義でキャラクターを動かしてしまうことが減る。たとえば、ストーリーの流れの上で必要だから離婚させる、といったことなどがなくなる。
  • みんな過去から未来に向かって一直線に書いているが、もっとあざとい手を考えるべきだ。
  • 長篇の美しさと短篇の美しさは違う。日本の短編の場合、切り取り方の美しさで魅せている。
  • 教室だからどの作品も最後まで読んでもらえるのだが、現実ではそうはいかない。広告だってよほどのことがなければスキップされる。
  • 一冊の小説を読んでもらったら読者にそれ以上のリワードを。それが他人の時間を使うということだ。
  • ここで作品を評価するときには、完成していないものを前提としているので難しい。次にこの人の作品を読みたいかどうか? も問題になる。
  • ファンを増やそう。
  • 毎回実作を書くと研鑽の効果がある。だが、そこから突き抜けるためにはどうしたらいいか? ひねるというよりは、さらに一歩踏み込むべきだ。
  • 誰に向かって作るのか。誰のために作るのか。
  • どういうことを聞いてほしいのか。
  • 楽しむことで長く続けられる。 

 

■追記。ツイッターでも書いたこと

 数をこなすことはできる。しかし、それだけでは十分ではない。数をこなすのではなく、何を書くか、自分にとって一番大切なテーマは何か、頭だけでは書けない主題を選んでいるか、再考する時が来た。自分が本当に書きたいテーマは何だろう。それは、知識の披歴ではないはずだ。なにか、感情を揺さぶるものでないといけない。それは十代・二十台に頃に感じていた、恋愛感情のもつれだろうか。それとも、年齢を重ねてきたことによる悲哀だろうか。旧友と再会したときに金の話ばかりになるせちがらさだろうか。まだわからない。なんであれ、自分の作家性とは何か、よく考えねばならない。

 一度、創元SF短編賞で、読みやすくなったが作家性が後退した、と指摘されたが、その意味をはっきりさせる必要がある。

 

 以上。

*1:このスタイルは書きやすいのだけれど、これって僕が浮世離れしてるってことか?

2019年度ゲンロン第8回SF創作講座「「取材」してお話を書こう」実作の感想、その2、それから正岡子規は「雑な創作をするくらいならへちまでも作ってろ」と述べたことについて

■変態呼ばわりだなんてひどくないですか

 今回の実作は、香木がテーマになっているのだけれど、作中でどのような香りであったかを具体的に表現しなかったのは、比較的素朴な古典の表現を意識していたからである。

 それはさておき、自分は比較的嗅覚に頼ることが多い。頼ると言わないまでも、場所の記憶は嗅覚とかなり強く結びついている。たぶん、それは他の人以上だと思う。それは食品だけじゃなくて、洗剤や消毒液、トイレのにおいに至るまでそうだ。トイレにいたっては、どんな風に不潔な香りだったかについても、いくばくか種類にわけて頭の中で認識している。

 人によってはそれを信じてくれないのだけれど、少なくとも、家族からは僕のそうした判断は信用できると思われている節があり、冷蔵庫の中から異臭がしているのかいないのかよくわからないので判断してほしい、と言われたことがある。

 こういうエピソードもある。マンションに住んでいると、前に乗っていた人の存在を感じることがままある。散歩帰りの濡れた犬の気配や、おじさんの使いがちな整髪料の痕跡などを、生々しく感じるのだ。あと、下の階には中学生くらいのお嬢さんがいて、だいたい同じ時間に出るのでしばしば一緒になるのだけれど、朝の支度に手間取ったときに、その人のシャンプーの香りだけがしていると、あ、先に行ってしまったのだと気づき、数分遅刻しているので電車に間に合うためには走らねばならないと考える。

 そんな話を、友人とのボドゲ合宿でしたのだが、真顔で「女子中学生の残り香に執着している変態みたいだからやめろ」と言われてしまった。自分としては、嗅覚が世界を見分けるための、視覚に劣らない手段だと訴えたかっただけなのに、悲しい。誰かの残り香は、こんな格好をした人とすれ違った、みたいな視覚情報と同じくらいの重さでしかないのに、だ。

 それはさておき、体臭というのは本当に人によって違っているし、年齢によっても随分変わる。それは成人男性のいわゆる加齢臭ばかりではない。これは整髪料やシャンプーのせいもあるのだろうけれど、たとえば十代の男の子のにおいとアラサー男性は近づいたときににおいが全然違う。ほかならぬ僕自身も体臭が変化しているのは実感している。ホルモンの関係だろうか。よくわからないが、調べたいとはあまり思わない。率直に言って、同性のにおいはあまり好きではないのだ*1

 

■やっぱり他の受講生の作品が面白いんだよ

 毎回実作を提出しているのだが、出来の良くない作品を量産してもしかたがないよな、本当に思う。

 最近、ドナルド・キーン著「百代の過客〈続〉 日記に見る日本人」*2を読んでいて、これがめっぽう面白いのだが、正岡子規の日記に、つまらぬ句を何個も投稿してくる人間に向けて、このようなことが書いてあるそうである。

 青空文庫から、前後を補って引用する。

 募集の俳句は句数に制限なければとて二十句三十句四十句五十句六十句七十句も出す人あり。出す人の心持はこれだけに多ければどれか一句はぬかれるであらうといふ事なり。故にこれを富鬮とみくじ的応募といふ。かやうなる句は初め四、五句読めば終まで読まずともその可否は分るなり。いな一句も読まざる内に佳句かくなき事は分るなり。およそ何の題にて俳句を作るも無造作に一題五、六十句作れるほどならば俳句は誰にでもたやすく作れる誠につまらぬ者なるべし。そんなつまらぬ俳句の作りやうを知らうより糸瓜へちまの作り方でも研究したがましなるべし。

 なんとも耳が痛い。実のところ、急いでたくさん作ったって、いいものが書けるわけじゃない、と学べたのが、この講座に参加した一番の収穫な気がする。

 講座が終わったら、数か月くらいかけて一つの作品をじっくりと形にしたい*3

 

■こんなこともやってみたい

 プルーストの質問票に回答する*4

 2019年面白かった映画*5の感想を公開する。

 など。

 

 以下感想。

 

■今野あきひろ「龍をつれた奥さん」

 今までで一番世界観が強固な気がする。なんというか、勢いだけで突っ走っているのではなく、背後に何らかの理屈がある手ごたえがある。

 ただし、ここでどうしてフィボナッチ数が出てくるのかがやっぱりわからない。おそらく、自然界のすべてを統御するシステム、カバラ的な一つの神秘として用いているのだろうな、と想像できる。そうなると、解剖される姿はどことなくゴーレムというか人造人間のイメージの反響なのだろうか。これは神秘主義の世界であり、そうなるとわざわざ具体的な数式を張り付ける必要性はないようにも思える*6

 ところで、中国ってカカオの栽培ができたっけ? そのせいで中国風スチームパンクだって気づかず、カカオに引きずられて「百年の孤独」を思い浮かべてしまった。マコンドではバナナ栽培だった気がするけど。

 

■よよ「シレナ」

 とてもいい線を行っている、と感じた。梗概の「シレナは、その打開策として親しまれていた占いの技法を取り入れる」というくだりを読んで、最初は「なんじゃそりゃ?」と思ったのだけれど、こうして実作になると、なるほど連想・比喩を利用して人びとを引き付けるのか、とすごく興味を引かれた。

 なので、途中で終わってしまっているのが、本当に、本当にもったいない。

 

■品川必需「ヒニョラと千夏の共犯関係」

 あれ? 「「何かを育てる物語」を書いてください」の実作なのでは?

 それはともかく、結局ヒニョラは善なのか悪なのかわからず、主人公が陥っている状況はヒニョラによる呪いなのか守護なのかははっきりしない。認知症になった祖母が守ろうとしてくれているのか、はたまた祖母が混沌の世界に引きずり込もうとしているのかもよくわからない。ただ、わからないことそのものが欠点になっているわけではない。そういうのを魅力として推していければいいと思う。

 ただ、現状だと何かが足りない気がする。なんだろう?

 

■九きゅあ「相とソウ」

 そもそもなんで相承は世界の間を渡り歩いているの、のような、自分がうまく読み取れなくて、浮かんでくる疑問点は多数あったのだけれど、この作者の作品の中では今までで一番センス・オブ・ワンダーを感じた。い種族の理解できない文化の存在に手ごたえがある。それに、無数の世界を移動し、その種族が生き残れるわずかな可能性が実現している世界についにたどり着く、なんてところもかっこいい。硬質で奇妙に論理的な会話は、参考文献となったBLからの影響なのだろうか、それとも著者の癖なのだろうか。ちょっと原作のBLを読んでみたいと思わせられる。

 メヴァの民、という名前はそこまでかっこよくはないけれど。

 

■宇露倫「Blue’s Song」

 メルヴィルの白に対して、青をぶつけてきたか。

 本当にこの人はどうやっているんだろうな、って思う。アクションが本当に飛びぬけてうまい。

 頭の中で実際に各人物がどこで何をしているのかを描けているのか、図を書いて考えているのかわからないが、僕には到底できないタイプの作劇法だ。毎回キャラクターの成長がきちんと書かれているし、エンタメの基本骨格がこの人の頭の中にはしっかりと定着しているんだろうな、って思う。

 いつもなら癖のある会話も、今回は抑え気味でちょうどいい。

 あえて言うならどこで経済や数学について調べたことが活かされているのかな、と。

 

■中野伶理「暗香疎影」

 すごくいい。

 この人も梗概段階から話を大きく作り替えたのだけれど、この方向に転換して大正解だった。著者の特質を考えると、秘められた家系の秘密がぶつかり合って大爆発! みたいなよりも、このように端正な描写で魅せるほうが合っているし、そうする技術もちゃんとある。実際に香会に参加したのだろうか、個々の文物の描写はやや説明的だが、それでもそれら一つ一つを丁寧に目の前に示してくれる感じは、僕は好き。

五十二種類の源氏香は、五十四帖の源氏物語の中で、初巻の『桐壺』と終巻の『夢浮橋』はない。だれも体感していない「最初」と、その後体感されることのない「最後」という状態は、香という概念に当てはまらないから外されたのだろう。

 というくだりもまたいい。

 無理に科学的に正確なSFに持って行かないほうが、のびのびと表現できるのかも。

 

 以上。

 あー正岡子規読みたい。

*1:体育会系と文化系でもにおいが違う気がするんだがあれは何でなんだろう。

*2:

 

百代の過客 〈続〉 日記にみる日本人 (講談社学術文庫)

百代の過客 〈続〉 日記にみる日本人 (講談社学術文庫)

 

 

*3:最優秀賞を取るのを諦めるなって? はい、頑張ります。

*4:プロになれていないのに、という照れはある。

*5:数は少ない。

*6:この人はこういうスタイルだからこれでいいという考えもある。

2019年度第8回ゲンロンSF創作講座「「取材」してお話を書こう」実作の感想、その1

■徒然思うこと

 こうしてツイッターやブログで受講生の発言を追っていると、みんな結構SF以外の文学・文芸を含めた諸々の芸術一般に触れていることがわかる。それは中国映画だったり、ルネサンス期の絵画・彫刻だったり、最新のJ-POPであったりと、様々なのだけれど、そういう情報が明らかになることは、自分の「◆◆を読んでいるのは自分くらいのものだろう」という傲慢さを打ち砕いてくれるので、たいそうありがたい。

 梗概がなかなか選ばれないのも、仕方がないと諦めている。単純に実力が不足しているのだ。うまくなるためにはひたすらに、自分がどれくらい下手なのかを直視する必要がある*1。愚痴を言ってもしょうがない。そもそもここにこんなことを書いても、とも思われる。はい、やめやめ。

 で、それとは別に、他の人とどんな本を読んだかを共有したら楽しそうなので、このブログに、2019年の月ごとに一番面白かった本を、短い感想とともに掲載するのはどだろう。こういうのをやってみたい、とふと感じたのだ。別に受講生向けにSlackでやってもいいのだが、来シーズンに受講したいと考えている人がいるかもしれないので、そうした人のことも考えて、ここにオープンにしておきたい。

 まあ、そもそも、本当にやるかどうかもわからないのだけれど。やってみたいというだけならタダだ。

 

 以下本題。

 

■藤田 青「Punk Punk Punk」

 洋楽の歴史に関しては無知なので、評価をするのが難しい。

 お話としてみると、周囲の人たちが主人公に概して好意的で、もうちょっと与えられる試練を厳しくしてもいいんじゃないか、って感じられた。

 それと、これは僕が原典となる映画「ブラザーズ・オブ・ザ・ヘッド」を観たことがないからだと思うのだけれど、やっぱり結合双生児を出す必然性が、弱く思われた。あと、実作ではアンドロイドだということは明記していないけれど、双子の名前がバリーとトムなのは、彼らの作り手が映画を知っていたことを暗示するし、だから面白い偶然だと言って「ザ・バンバン」と名づけるシーンの意味が弱まってしまう気がする。むしろ、ただの偶然の一致ではなく、作為だということがわかるシーンとして使えるんじゃないか。

 

■式さん「NO SUMOKING DIMENSION」

 果てしなくしょうもない*2

 SFの歴史については詳しくないけれど、該博な知識とこじつけの暴力で、こういうネタを大真面目にやっていた時期というのが確かに存在していたような気はするし、オカルトをジョークとして楽しめる読者は笑いながら謎の感動を覚えるのだけれど、かなり読者を選ぶうえに、わざわざ十の天界を巡るのを事細かに描写したのは、多分「神曲」をなぞることが自己目的化したのではないかとも感じられる。

 

■武見 倉森「死人のカンカンノウ」

 作中の、声の大きいやつがいると、明文化されたルールに乏しいコミュニティが崩壊するってのはその通りで、身に覚えがある。

 で、作品の個人的に感じられた問題点は、次の通り。アンドウが自ら死体になって演じたい理由が自分の中ではうまくつながらなかった。そのうえ、改作された「らくだ」を演じる理由もよくわからなかった。なぜ改作したのか、なぜ死んだのか、そこがもっと有機的に繋がったらさらに良くなると思う。たぶん描写がちょっと不足気味なのだ。

 ところで、これは古典落語だからいいのかもしれないけれど、「屑屋」ってのは何の注釈もなしに使っても大丈夫な言葉なんだっけ?

 

■揚羽はな「カタツムリの舟」

 梗概段階ではリライトされた「竹取物語」なのだけれど、実作段階で実の娘と養子の娘という二人に分けることで、単純な「竹取物語」のSF版になることを免れている。ただし、もし中性子だけで元の世界に帰れるんだったら、暴力団のトップや新興宗教の教祖になる以上にもっといい方法があるだろう。それに、シンクロトロンの学術的で細かい説明と、中性子を用いて帰還する謎理論との間に、厳密性の落差があるのは確かだ。だが、そこは個性だと思う。ついでに、著者はあまり悪人を出さず、どこか他人のいい人たちばかり出てくるのだが、これも個性なのだろう。善人だけでも、それぞれの正義がぶつかればドラマは作れるし。

 

 で、個人的には、単純な完成度ということで「カタツムリの舟」が金賞、インパクトで「NO SUMOKING DIMENSION」が銀賞、僅差で「Punk Punk Punk」が銅賞であると予想するが、果たしてどうなることやら。

 

 以下自主提出。

 

■稲田一声「変わったお名前ですね」

 梗概段階での、現代の命名に関する法律の抜け穴についてのレポートのような印象からは抜け出すことに成功しているのだが、今度は前世を持ち出してきて、ネタとしてかなり風呂敷が広がった感じだ。

 魂の使いまわしというか、別世界の記憶というネタで、もっと壮大な話を広げられるはずなのに、あえて名前を変えたいだけというミニマルなドラマに持って行ったことを、講師陣がどう評価するかどうか。正直わからない。

 

 以上。

*1:それか、ここと単純に合っていないかを率直に認めるか。

*2:褒めてる。

第8回ゲンロンSF創作講座(1月16日)のための覚書、ついでに「忘れえぬ女」などについて

 最近気づいたんだけれど、「SF創作講座 ブログ」と検索しても、このブログにたどり着かない。別にアクセス数を稼ぐためにやっているわけではないので全然構わないのだけれど、たとえば来シーズンの受講生が情報を求めてきたときに、何らかの助けになるといいな、と思うので、今回から記事のタイトルをマイナーチェンジする。ついでに、「SF創作講座」のカテゴリにもする。

 それと、皆勤賞が一人減ってしまった。ただ、皆勤賞よりも現実に点数を稼いでいるかのほうが、ずっと大事な問題なのだ。一回落としたくらいが何だというのだろう。

 

■梗概

君の声は聞こえるけれど、君には僕の声が聞こえない – 超・SF作家育成サイト

 前回の記事で予定していた内容とは大幅に変えた。一人称で一人の生涯を語ることの難しさもあるのだけれど、それよりもピンとくるストーリーが浮かんだからだ。

 アピール文で説明したとおり、これは三人の人物が片思いをしていて、それが円環になっている構造だ。かつて、学生の頃に四人でこの円環を構成している*1話を書いた覚えがあるのだけれど、五十枚に収めるには登場人物をひとり削る必要があるためにこうなった。一応、ナボコフ「賜物」の挿話に似たシチュエーションがあるけれど、それはメインのあらすじとは関係ない*2

 それはさておき、今回はあまり背景のSF設定を綿密に詰めていない。なんとも言えず真っ直ぐな、ファーストコンタクトものである。エイリアンからメッセージが届きました、さてどうしましょう、というタイプの話だ。しかも、それはあくまでも背景であって、メインのプロットは三人の登場人物の恋愛のもつれである。すごくシンプルだ。

 この講座でいろいろとコメントをいただいて思うのは、もちろんコメントなしのスルーも含めてだが、求められているのはSFの設定が合理的かというよりも、小説としての完成度がどうかであって、余程のツッコミどころがない限り、科学的な正確性はかなりゆるくてもかまわない、ということだ。僕らは設定ではなく物語を書かなければいけないのだ。メインディッシュは科学的事実ではない。ストーリーだ。そこを間違えてはいけない。

 そういうわけで、しばらくは舞台設定を考えてから、ここに住んでいるのはどんな人たちだろう、と考えるのではなく、ストーリーやキャラクターを決定したうえで、こんな物語に絡むのはどういうSF的舞台というソースだろう、という順に組み立てていこうと思う。

 

■実作

枯木伝 – 超・SF作家育成サイト

 一人称で書くと、手癖が出てくるのであまりよろしくない、と先月言った舌の根も乾かぬうちに、一人称の語りを含めてしまった。それも女性の。この試みがどういうふうに受け止められるかはわからない。ただ、そうせざるを得なかった事情がある。枠物語の外側と内側をしっかりと結びつけるためだ。

 最初に執筆したのは、枠物語の内側の部分、すなわち古文を現代語訳した体裁の部分だ。普段は使わないですます体を使うことはちょっと刺激になった。である体であっても、読者に物語を読んでもらう以上、ある程度情報が伝わりやすいように配慮するのだが、その配慮するポイントや量が変化するのを感じた。より丁寧に、そして登場人物や読者の心情に寄り添うようになったのである。

 そのうえで、僕は改めて枠物語の外側の部分を執筆した。つまり、大学院生の女性の話だ。こういうタイプの女性、文学部の大学院にはたまにいる気がするのだけれど、どうだろう。それはともかく、なんでこのようなキャラクター設定を必要としたのかというと、三人称の物語には聴き手が必要だと感じられたためだ。

 もともとは、この三人称の部分は、枠物語の外側の人物が発見する手記だとか、そんな設定にするつもりだった。ただ、感想交換会にて、いくらなんでも院生が旅行先で埋もれていた資料を発見するのは無理がある、と指摘され、深くうなずいたのだ。で、この物語を語る人物と聞く人物の両方がいるとしたらそれはどんな人物で、なぜそんな話をすることになったのか、を考えた。言い換えるなら、枠物語の外側と内側が、有機的に連携しなければならなかったのである。

 で、出てきた全体の構造が、「院生の女の子が、従兄から昔の片思いの気持ちを込められた、古典もどきの小説を読まされる羽目になる」というものだ。これだけだと従兄がただの変な人なので、片思いの気持ちがこもっているかどうかは明確にしないことにした。つまり、神経過敏になった主人公の思い込みの可能性を残してある。

 クリエイターを目指す人の、ちょっと痛々しい側面を自己批判する目的も、ないではない。

 問題は、校正があまりできなかったことで、これは外側の物語が具体的にどんなものになるかを考えるのに時間を取られたためだ。友人と年末にボドゲ三昧をしていたからではない。念のため。

 

■次の梗概

「20世紀までに作られた絵画・美術作品」のうちから一点を選び、文字で描写し、そのシーンをラストとして書いてください。 – 超・SF作家育成サイト

 あ、これ好きなやつだ。

 ただ、作品の選択には細心の注意が必要だ。もしも被ったら、前回のときみたいに評価が下がるんじゃないだろうか。場面転換がテーマのときに、パラレルワールドへの移動というネタが重なったとき、互いに巻き添えを食って梗概が選ばれなかったことがある。

 で、どの作品を選ぶかだ。自分は割と美術館に足を運ぶのが好きなほうなので、好きな画家は何人もいる。候補が多すぎて困ってしまうほどだ。

 たとえば、ヌードは外す、という条件を付けたらどうだろう。自分は、異性愛の男性なので、女性の身体はとても美しい、と素直に感じるのだけれど、その感じたときの気持ちを文章にしたときに、面白いものにできるかどうかは自信がない。なんというか、極めて凡庸で退屈になりそうなのだ。それに、僕のしつこく嘗め回すような文章を公開したところで、読者も喜ばないだろう。かえって、ヌードの魅力を貶めてしまうかもしれない。

 というわけで、着衣という条件からぱっと思いついたのは、イワン・クラムスコイ「忘れえぬ女」だ。

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/ce/Kramskoy_Portrait_of_a_Woman.jpg

 この作品は少なくとも二度来日しており、その二回ともみる機会があったのだけれど、自分の気分が変わったせいか、受けた印象がまるで異なっていた。最初に見たときは、傲然とした軽蔑の念を感じ取ったのだが、次に見たときにはどことなく悲哀と不安を感じた。なにか、味方や仲間を欲しがっている孤独な女性のように見えたのだ。

 イリヤ・レーピンの作品もいい。たぶん同じ展覧会で見た。

 

www.art-catalog.ru

 「ゴーゴリの『自殺』」という絵画は、未完成の「死せる魂」第二部の原稿を暖炉にくべている様子を描く。クリエイターが自分の作品を葬り去る場面というのは、ストーリーとしては使いやすいと思う。

 提出を求められているのはラストシーンだけだ。だが、忘れてはいけないのは、その背後にはあくまで主役となるストーリーがあるということだ。なので、どのような話の果てに、その絵画が出てくるかを考えてからではないと、具体的な描写方法や文体は決められないだろう。その場の気分でおどろおどろしい絵画の描写をしたはいいけれど、やっぱりイチャイチャラブストーリーを書きたい、ってことになったら、目も当てられない。

 

 以上。

*1:記憶が曖昧だが「ニーベルンゲンの歌」も、感情の方向が四人で円環を作っていたような。

*2:関係ないけれど、ナボコフを何冊か読んでみて思ったのは、僕はそこまでナボコフが好きじゃないかもしれないってことだった。

第7回の講座(12月26日)受講後の感想

 仕事納めだったせいだろう、帰りの電車が酔っ払いばっかりで疲れた。

 当日は、揚羽はな氏に、実作感想のお礼と、今回面白かった、という言葉をいただいたので感謝。

  斧田小夜氏から梗概への感想がも。感謝です。

SF創作講座を応援するダルラジに出演したよ~その2 - あたし、めりーさん。今、あなたが心の中にいるわ。

浄土真宗っぽい。帝のちからが強いので室町とかかね?かぐや姫がSFならまあSFなのだが、もうひとネタほしい。もっと宗教系のほうにいくとか、お寺のお説教のモチーフを使うとか

 岩森応氏からも! 感謝です。

 

 

■総評

  • 既存の価値観を疑おう!
  • アイディアは出尽くしている。それをどう組み合わせるか!
  • 新しい視点を得るために調べる!
  • 読者にどのようなものを読んでほしいか
  • 読者のことを考えよう!
  • 短篇は、説明に字数を割くことができない
  • 世界観を固めるのは大事だが、すべてを小説の中で書く必要はない
  • 書くことを楽しもう!
  • 短篇の場合、整理しすぎると、オチが読めてしまう
  • SFの知識をアップデートしよう。今時こんなロボットなんていない、とか、そもそもロボットに性別は必要か*1、とか。

 

■梗概

枯木伝 – 超・SF作家育成サイト

 このままでは説話としての教訓がわからない。書き手にも見えていないのだろう。それと、男の子があまりにもかわいそうだ。また、この物語がオリジナルであるとわかるような棘はなんだろうか。

 確かに男の子が言われてみれば不憫すぎる。

 締め切りが迫っているときに、論理ではなく直観でストーリーを組むと、作者の無意識の傾向がぽろりと顔を出すのだろう。

 あらすじをこのままに、ある程度男の子が報われる話にするにはどうすればいいのかを考えると、中国やインドの学問や仏道に目覚め、人々を導いた、というように、何らかの形で苦しみや悲しみに意義を与えることになるはずだ。現状、わけもわからないまますべてを失うオチなので、そこは改善する。

 説話として、この物語が伝えたいことは、何なのだろう。仏の道を究めることが、彼女との再会への道だ、みたいなことにすると、なんというか親鸞の見た夢のエピソードを連想させなくもないが、これは牽強付会*2。これを、仏の道に導かれたことに対する感謝と畏敬の念、とすると、より説話っぽくなる。

 枠物語も、適切に設定しなければならないだろう。最初のうち、愛が報われなかった人物*3により語られる、みたいな話にしようとも思ったのだが、なんというか生々しくなりそうで、やめる、かもしれない。

 

■実作

中性子過剰核生命体 – 超・SF作家育成サイト

 イーガンのようなハードなアイディアだけれど、地の文で説明をしすぎている読者が必要としていない情報も多い。説明ではなく、描写で示すべきだ。加えて、キャラクターに魅力があまりない。

 これが見せたいんだな、というポイントがなければ、評価しづらい。

  読者のことを考えよう! これに尽きる。

 ただ、そこに思い至るためには、一週間寝かせただけでは、足りない気がする。本当は一か月寝かせておきたいところだ。とはいえ、それが許されるのは長編だという気がする。

 

■雑感

 出力ってのは、単純に書ける文字数ではない。

 締め切りの中で改稿する能力であり、常に一定の水準をキープし続ける才能だ。

 来年も続けるかどうかは、非常に疑わしいのだが、やるとしたら実作読破マラソンはやらないと思う。それより、全梗概コメントのほうが、選ばれる可能性は高くなる、はず。

 極端な話、全部実作を書くのと、その実作に向けたエネルギーを、よい梗概を作ることにすべて向けるのと、果たしてどっちが賢明だったのか。それもわからなくなってきた。

 今年度は最後までやるつもりだけれどね*4

 以上。

 

■おまけ

 今回、初めて金賞予想を外したので悔しい。

*1:ロボットじゃないけどSiriやAlexaはどうして女性なの? みたいな。ペッパー君は男の子なの? みたいな。

*2:舞台となる時代は鎌倉仏教よりも遡ることを想定しているので、すごくふわふわしたものになりそうだ。

*3:たとえば、主人公に一方的に想いを寄せる親戚。

*4:今回落としたら笑ってください。

感想会でいただいたコメントまとめ

 「お前、手癖で書いてるだろ」
 もちろん、こんな直接的な言い方はしていない。
 ただ、そうだと見抜いてくれてうれしかったのは本当だ。
 それと、渡邉氏には、印刷した梗概に赤ペンで記入したものをいただいた。
 感謝感謝。

 

■梗概へのツッコミ

枯木伝 – 超・SF作家育成サイト

 誰のコメントであったのかあいまいだが、メモをそのまま記すとこうなる。

  • そもそも、これはSFなのか。
  • 枠物語という形式を採用する必要はあったのか。枠物語を導入する場合、その内側の物語を導入することで、その外側にも何らかの変化がないと、導入する意味がない。
  • 現状、著者が淡路島に行ってきた経験が生のまま出てきているだけだ。
  • 老人になる理屈がわからない。
  • 実作は敬体で書くのか。常体のほうが読みやすくないか。同じような文末になるので、リズムを取るのが難しくないか。
  • 異国とは、インドや中国と理解して構わないか。
  • ラストで全てが幻影であったことになるが、どこからが虚でどこからが実であるか、その辺をはっきりさせてほしい。
  • 今までの作風と比較したとき、ここまで幻想に振ったのは初めてなので、より幻想に寄せてほしい。
  • この場合、枠物語にすることで、どこからが本当の話なのか、曖昧にできる。
  • 読者がどこまで日本書紀の知識があるか、疑問。
  • 普通の旅行者や好事家が、専門家が見たことも聞いたこともない資料を見つける、という設定にはかなり無理がある。
  • たとえば、地元の神社の柱に何か挟まっていたとか、新しい絵巻を見つけたとか、何かしらの言い訳が必要。
  • それか、神社のところで何か夢を見るとか。
  • 枠物語の話とも関連するが、ただ、語り手が「新しい伝説を見つけました」で終わってしまっては、物足りない。
  • 実在する淡路島を舞台とする理由は何か。
  • 近畿地方の人間にとって、首都圏の人間に比べてかなりリアリティを持った存在になる。その重みは考えてほしい。
  • 明確な理由があるのなら、それで構わない。
  • 樹木を抱えていく、といったけれど、細い木である描写がなかったので驚いた。
  • 当然海を渡る描写が必要になってくる。
  • 自分が淡路島と明確にした理由。香木がたどり着いた地点の海流を、海上保安庁の図で確かめると、あまりこの辺には流れ着きそうな感じではなかった。
  • そういう謎解き的な要素があると、面白くなる。

■実作へのツッコミ

中性子過剰核生命体 – 超・SF作家育成サイト

 一人称で書くと、ついつい自分というものが出てくる。まるで自分が苦しんでいるかのように、大げさに綴ってしまう。それを避けるためだろうか、感情的にどこか突き放したような文章にしてしまうことがあって、それが淡々とした感じになってしまう、らしい。

  • いろいろ試している段階なのだと思う。ただ、この講座では、毎回違うことを試みるよりは、同じことを繰り返し練習する方がいいのではないか。つまり、レベル1からレベル7まで進んでいく、みたいな。毎回違うことをしていては、毎回レベル1からスタートすることにならないか。
  • 金と法律の話が、特に手癖で書いているような印象を受けた。この脱線は本筋のどこに位置づけても、話は特に破綻しない。つまり、ブロックとして遊離している。
  • 中性子星の構造を説明する辺りもかったるい。もっと簡潔にした方がいいい。言い訳が冗長で、無駄だけれど読み手を楽しませている感じがない。森見登美彦のような冗長な文体にはものすごく手間がかかっているし、しかもそれを感じさせない。非常にレベルの高いことをしている。
  • たくさん書けるのはいいが、新人が増産できるかどうかは見られていない。
  • 逆に、ウェブの連載なんかは、毎日書くことを求められることがあり、そういう場でなら評価されるかもしれない。
  • 得意分野は何か。ハードSFかファンタジーか。
  • 情報体がどういう姿をしているか今ひとつわからない。小川一水「天冥の標」が参考になるはず。あれは理解可能な異星人の癖にちゃんと異星人らしい。
  • バックアップがある描写なんかは好き。ポテンシャルはある。
  • 主人公が「中性子過剰核生命体」をがかっこわるいと言っているが、「エイリアン」のほうがかっこわるい。たぶんそういうギャグだとしても、語り手が天然なのか作者が天然なのかがわからない。
  • 未来のジェンダー観はいい。
  • 湖を水と海に分けるあたり、唐突な日本語への言及に戸惑った。
  • ルーディー・ラッカーあたりが参考になるか
  • みんな科学技術に金を渋る、というギャグは良かった。
  • 結局みんな金に困ってるんだな、って話だって分かると面白い。
  • 一人称は書きやすいってのは誤解。あれは手癖で書けてしまうのを、書きやすいと錯覚しているだけだ。

■個人的呟き

「ミュルラの子どもたち」の文章のほうが以前評判が良かった。
 設定を細かく語ると手癖の文体が出るようだ。

 

 以上。