■近況
昨日、気分が晴れなかったのと軽度の頭痛*1がしていたので、気晴らしに近所の公園で読書をしようとした。ところが、いざ公園についてページを開こうとしたら本を忘れていたことに気づいた。仕方がないので、その辺を二時間ほどうろうろして帰った。気分が晴れた。できるだけ、人の密集しているところを避けていると、歩いたことのないコースをたどることになり、新鮮だった。家の近所は山を切り開いたところなので坂道が多く、時折急な階段や思いがけない眺望に出会うことがあり、そこが楽しい。
それと、最近妹がテレワークで部屋に防音壁を設置するために部屋を整理したためだろうか、おおよそ三十年ほど前の子供向けの図鑑が出てきた。小さいころに夢中になって読んだものなのでとても懐かしい。今になってページをめくると、当時は未解決だった問題が今になって答えが得られているものも多々あり、学問の進歩を感じさせる。例えば、冥王星が太陽系唯一の未探査の惑星*2であることだとか、太陽から出てくるニュートリノが太陽の活動量から予測される数値と比較して少なすぎるので*3数百万年後には氷河期になるのではないのかとか、そうしたことだ。
似たようなことで、父方の祖父母の家にある戦前の天文学や化学の教科書を見るのも楽しい。探査機などはまだ夢の話であり、太陽がこれから巨大化するのか縮むのかさえ分かっていなかったそうである。科学用語も今とは異なり、アルゴンやキセノンの元素記号がAやXであったりする*4*5。他にも、族の名前が違うし、今の長周期表ではなく、いわゆる短周期表になっている、堆積岩も水成岩と呼ばれており、政治的な話になると、地学便覧に朝鮮半島や台湾の最高峰や河川の長さが掲載されているのである。
父親の使っていた地図を見ると、ソ連が健在であったり、サウジアラビアとイエメンの間の国境線が無かったりと、眺めているだけで楽しい。歴史を間近に見ている想いがする。
話を戻すと、学問の進歩というのは遅いようで着実にあるということだ。最近、新書で江戸時代に関する本を読んでいたところ、いわゆる慶安のお触書は典拠が怪しく、今の教科書には載せられていないそうだし、塾講師をしている友人によれば、僕らの頃は京浜工業地帯が生産額一位だったのが、今では中京工業地帯が一位だそうである。とっくに一世代が経過しているのであり、時折知識のアップデートをしないと、確実に発想の古い人間になっていくと、実感させられた*6。
以下、本題。
■安斉 樹「サノさんとウノちゃん」
かわいい。この安直にして親しみが持てるネーミングセンス。この人は、こういう適度に力の抜けた話を書いたら輝くんじゃないだろうか。
左脳=論理=男性、右脳=感性=女性という等号が、現代においてはほぼ確実に突っ込まれてしまうのだろうけども、突っ込んだら野暮になってしまうような雰囲気で書いたらなんとかなる、かもしれない*7。
右脳と左脳がどこまで分かれているものか、あるいは分離脳の研究だとか、いろいろとハードな理屈を持ってくることも可能ではあるけれど、どちらかといえば議論の精密さよりも、自分の中にいる別の二人によるドタバタを中心にして、そういう理屈はおまけ、くらいのウエイトでちょうどいい。それよりは、論理と感性の妥協点をどうやって見出すか、というプロセスを具体的に練るといい気がする。
■藤田 青「Time Flies」
いい話。ただし、芸を小説で表現するのは、音楽を表現しようとするよりも、かなりハードルが上がる気がする。しかも、語りによる芸である落語だ。小説とは別の言語システムをどのように描写するか、きっと難易度はすごく高い。でも、師匠と弟子をはじめとする周囲の人々の関係から表現していけば、素敵な作品になると思う。
ただ、この話のどこがSFなのだろう? ただ、師匠の芸によって幻想世界が出現する、というのを無理にやるよりは、今みたいにSF度が低いほうがいい話になる気もする。難しい。
■松山 徳子「手紙」
きれいにまとまっている。非常にいい梗概。起承転結がしっかりしており、一読しただけでどんな話にしたいかがよくわかり、設定もするりと飲み込める。
内容に関してもいい。人工的な死後の世界を作ったが、それすら永遠ではなかった。ならば、最初からそこに赴かなくてもかまわないのではないか、という問いかけである。
もちろん、欠点として、結局この技術ができる前に戻っただけじゃん、というのもあるけれども、それはこういう傾向の作品を作るうえでは避けられないので、気にしなくていい。それよりは、誰かを失うことの痛みを改めて思い出した人々が、生きていることの不思議さやかけがえのなさに改めて直面し、動揺し、苦痛を覚え、互いをいたわりあう情景を、表現するのが主眼のはずだ。
■東京ニトロ「僕らの時代」
いつものように勢いがある。たぶんプロットはこれで問題がない。
ただ、一読しただけではストーリーは追えたのだが、根幹の設定がよくわからなかった。タイムトラベルの原理は何か、どこからどこまでがフィクションの世界なのか、そもそもディープフェイクによってどのように世界が崩壊するのか、世界の終わりを画策する学生の行動原理は何か、そこが読み取れなかった。
ただ、作者の中ではたぶん明確なイメージが存在するので、実作についてはあまり心配していない。
■揚羽はな「赤い空の下にある希望」
人間の善意を信じているタイプの作者なので、こういう方向でいいと思う。
不謹慎かどうかははっきり言ってわからない。どんな表現であれテーマであれ、どれほど誠実に下調べをしたとしても、誰も絶対に不快にさせない表現ってのはない。それが社会的に容認されるように最善を尽くすのみだが、伝わらないときは伝わらない。
ただ、これは個人の考えでしかないのだが、一度これをテーマに書くと決めたのなら、まずは完成させてほしい。たぶんそういう覚悟で梗概を提出したのだろうと、僕は受け止めたからだ*8。
それと、タイトルが若干すっきりしないというかまどろっこしい気がする。
■遠野よあけ「木島館事件/恩寵事件」
あの「カンベイ未来事件」が帰ってきた!
か、どうかはさておいて。京アニ放火事件から着想を得た作品から、設定を流用していて、だからかなりの覚悟がある作品なのだな、と予感させる。設定を活かしきれていなかった「火子演算計算機」がどのような形で機能し、現実を改変してくのか、そこを見てみたい。人類が正義を手放す過程は、今度は描かれるのだろうか。
さらには、「何も書き出せずに朝になってしまう」という現代文学にありがちな後ろ向きの結末、これを納得できるようなラストとして表現できるか、そこも気になるところだ。
以上。全作品梗概感想終了。
*1:ゲームのやりすぎだったりして。
*2:もう惑星ではなくなったということと、さらには冥王星軌道周辺には似たようなのがごろごろしているのと、がよく知られている。
*4:それとは別に、名前さえ違っているのもあった気がするが、思い出せない。
*5:追記。思い出した。プロメチウムがイリニウムになっていたんだ。
*6:よく、年配の人の人権意識が希薄だといって腹を立てる人がいるし、その怒りは正当なものなのだけれど、よほど勉強している人でないと、今の若い人の感覚を知識ではなく身体で理解して行動に移すのは、かなり高い能力の持ち主でないと難しいのだろうな、とも思わされた。
*7:それか人によって右脳と左脳の性別はまちまちなのだけれど、この種事項の右脳と左脳はたまたま男女で別れていた、とお茶を濁すか。
*8:←何を偉そうに……。