宇部詠一(ubea1)のブログ

ゲンロンSF創作講座をはじめとする物事の覚え書き。

2019年度ゲンロンSF創作講座第10回「「20世紀までに作られた絵画・美術作品」のうちから一点を選び、文字で描写し、そのシーンをラストとして書いてください。」実作の感想、その1。

 

■意外と少なかった実作

 今回は全部で十三作。二か月の猶予があったにしては少ない気がする。

 これが新型コロナウイルスに伴う社会のバタバタのせいなのか、単純に講座に疲れて心が折れてきたのか、最終実作に向けて充電しているのか、それはわからない。

 今回の課題が難しかった可能性もある。いつもよりも実作の平均文字数が明らかに少ないのだ。またもや番狂わせ、な気がしている。

 

■講座が終わったら、次はどんなものを書けばいいのだろう

 ツイッターかどこかで見かけたのだけれど、何を書いたらいいのかわからなくなった時には、自分が読みたいものを書くといいそうだ。いい言葉だと思う。自分にとっての理想が見えていれば、そちらに向かって歩いて行ける。

 十代の頃には、一つの作品があまりにも理想的で、自分のことをすべて説明してくれる、そんな風に思えるものなのだけれど、ある程度年齢を重ねていくと、好きだった作品の欠点も見えてくるし、作者の考えのうち自分と相いれないところがあるのにも気づく。でも、基本的にはそれはいいことで、それだけ自我が確立したということなのだろう。完璧に自分のための作品は自分でしか作ることができないし、本当に自分を癒す言葉は外からではなく、中から来る。他の人のかけてくれる優しい言葉はそのヒントであって、自分で納得するためには自分で肯定的な言葉を紡ぐ必要がある、ように思っている。だから創作する人も、一定数いるのではなかろうか。

 

以下本題。

 

■天王丸景虎「座敷封司の鬳」

 造語センスがいい。まず、SFでうまく漢字を使いこなせるというのは*1、それだけで世界観を表現するうえでの大きなアドバンテージだ。それでいて、ストーリーは複雑すぎないので、バランスが取れている。

 とはいえ、使いきれていない設定が不器用に投げされて過度に説明的な部分や、この表現は紋切り型過ぎてそのまま作中で使わないほうがいいのでは、と感じられる個所もあった。前者の例は「字空釜によって改変できる現実には三種類ある。/自意識とは別に存在している現実=実界。/それぞれの認識の中に存在する現実=意界。/虚構の中に存在する架空の現実=虚界」云々で、設定としてはかっこいいがストーリーやアクションの描写にあまり絡んでいない。そして、後者の「彼らに惑星の未来は託された」という個所は、梗概段階ならともかく、本文に入れるにはあまりにもテンプレ的な文章過ぎて、世界観が壊れかねない。

 アクションも説明としては理解できるが、具体的な動きは目に浮かびにくい。この辺は自分も苦手なのであまりアドバイスができないのだが、論理よりも五感を重んじるといいのかもしれない。世界観はかっこよかった。

 

■安斉 樹「Plutonic? Plastic!

 珍しいマイクロプラスチックSF。環境問題風刺ものとして面白い。

 問題点は、まじめな説明の後に、友達がラーメン食べたらプラスチック人形になっちゃいました、というオチが効果的かどうかだ。ホラーなのかブラックジョークなのか、焦点がぼやけている。一時間も環境問題について力説した恩師の話なんかは、ほのぼのした印象さえある。

 小説の中で情報を伝えるシーンとして、ブリーフィングや講義というのはすごく書きやすい一方で、作者が一方的に自分の言いたいことを言っておしまいにしてしまう危険な手段でもある。映画なんかだと、たとえば説明パートが退屈にならないように、スパイが潜入して聞いているとか、主人公は隣の席の女の子に夢中で話を全然聞いちゃいないとか、別の情報を並行して視聴者に与えるのだけれど、小説の場合それが難しい*2

 で、たぶんこの話をもっと面白くするには、読者に情報を与える順番を変えるといい気がする。たとえば、美玲ではなく生徒を主役にして、最初に「このお人形すごくきれい、あのフユコさんそっくり!」って導入から「え、あれってフユコさんの御遺体そのものだったの!」と落したほうが、オフィーリアみたいに怖くてきれいにならないだろうか。

 そうなると、幻想物語に寄せたほうがいい気がするので、マイクロプラスチックに関する議論をもっとあいまいにしたほうがいい気がする。ロジカルすぎると幻想にはなりにくい。

 

 さて、この二作の点数は大体同じになる気がする。ただし、ほかの実作にも面白いものが多く、その上実作提出者が少ないので、ほかの人にも意外とポイントが入るかもしれない。下手をすれば二点か三点を大きく超えて。これは、講座まで時間が十分にあり、大森氏以外の講師も読む時間が取れるからそう判断した。

 

以下、そのほかの作品。

 

■稲田一声「光子美食学」

 とても面白い設定。危険を知らせる酸味や苦みが早く戻ってくるとか、形状や色彩の変化がどう味覚に対応するとか、この設定で冒険小説が書けそうなほど面白い。ただ、タイトルと内容に齟齬がある気がする。このタイトルなら砂原が主人公なのがふさわしい。

 もう一つの問題はラストだ。せっかく主人公が成長したのに、事故で飛び降りて死んでしまうのはちょっと唐突だ。破滅エンドなら破滅に至るための明確な伏線が欲しい。その場合、成長したとしてもその過程で何か決定的に大切なものをなくしているはずだ。だから逆に、これは誰かが飛び降りるのを防ぐか、身代わりになってもう一度落下を味覚として味わうラストにするのが適切だったのではないか、とも思われる。

 ここまで他人の作品の内容にまで切り込んで改善案を出すのもどうかとは思うのだけれど、例えば主人公は目が見えていないと思っている人間の前で、見えているのと同じだけの能力を発揮して見せるとかっこいい。それは弟の飛び降りを防ぐ、でもいいかもしれないし、身内の犯罪を未然に防ぐ、でもいいかもしれない。

 

■今野あきひろ「気がついた時には溶岩が流れる火山の頂上でねていました、きみと。」

 この作品にはいくつか現実とは違うところがあるのだけれど、作品を解釈する上で役に立つかどうかはわからない。わざとやっている可能性があるが、一読して気づいた点を書いておく。

 例えば、そもそもグアテマラはそこまでクリケットが盛んな地域ではない。クリケットの人気が高いのは基本的にはかつて大英帝国に含まれていた土地、それから西インド諸島だ。そう聞くとグアテマラでも人気がありそうだが、調べてみると少なくとも国際クリケット評議会には参加していない。ホンジュラスエルサルバドルも同様だ。

 それと、寝言を言う人に話しかけてはいけないというのは、日本だけの迷信だと思うし、クリスマスにケンタッキーを食べる風習もそうだ。というか、アフリカ人とフライドチキンってモチーフは別のことを連想させる。スイカと並んで黒人の好物というステレオタイプがあり、そのことでさんざん嘲りの対象となってきた歴史もある。そういうわけでスイカをアフリカ人に送ることは侮辱となるのであり、「フルメタルジャケット」でハートマン軍曹がアフリカ系の新入りに「黒んぼ定食は出さん!」と言っているが、原文では「ここではフライドチキンもスイカも出ないぞ」という趣旨の言葉で、要するに人種的な嫌がらせをしているわけである。著者がここまでわかっているといいのだが。

 さて、製氷機の発明者の孫、「タイム・トゥ・セイ・グッドバイ」、「ラッキードラゴン」という名前の船、韓国のオンラインゲーム、このあたりで舞台の年代の特定をしようとするとずれが出るのだが、とりあえず「百年の孤独」が出てきた時点で放棄した。あれは正確な年代記ではなく、大国と独裁者に翻弄されたラテンアメリカの典型例を示しているのであり、具体的に対応する歴史的事件を探すこともできなくはないが、そこまで重大ではない。そう読むことにした。

 で、そもそもなんで活火山の前に地熱でもない発電所を作ったの、という作中最大の謎を突っ込もうと思ったが、そこについて論じようとすると重大な政治問題になるので長くなる*3。この辺の話がラッキードラゴンと絡んでくるのだろうが、じゃあなんでグアテマラなのか、それは作者にしかわからない。チョコレートが好きだからかな?

 この人の作品は壁に絵を描くとか病人の看護とかそういうモチーフが引き継がれているので、たぶん全体を通して解釈していくべきなのだろう。

 

■式くん「オシリス=ウシャブティのパピルス

 一発ネタだが、古典の翻訳のパロディとしての完成度が非常に高い。発想そのものはエジプト神話の有名なエピソードの翻案でありがちなのだが、再現度が高いので文句を言わせない。

 よって、本文だけで充分力強い。あとがきははっきり言って蛇足である。そもそも原住生物を捕獲して生体実験をするエイリアンってのがコテコテの設定なので、余計なことを言うとすぐに悪い意味でB級になる。だいたい、神々の正体がエイリアンってのはあまりにも使い古されたネタで、むしろパロディの対象だ。この作品のいいところは神話の文体模写であり、逆に言えばそれ以外のところに注意がそれたら負けだ。

 ついでに一つ。このエイリアンの世界では生物は腐敗しないとのことだが、それではいったいどういう生態系が栄えているのか。このあたりがすごく気になった。この設定だけで何か書けるんじゃないか*4

 

■渡邉 清文「美神像の誕生」

 ギリシア神話の世界観から大きく逸脱しておらず、わかっている人が書いたのだという安心感がある。アフロディーテの口が悪いのはご愛敬。清涼剤として機能している。

 不思議なのはアフロディーテの腕がヘファイストス*5の腕になる理屈で、そこがしっかりしているともっといい作品になった気がする。たとえば、今度浮気したら腕を醜くするとか美貌を奪うとか、そういう呪詛の言葉を吐いたみたいな感じでどうだろう*6*7

 

 以上。前半戦終わり。

*1:それも、日常では基本的に見ることはない漢字をだ。

*2:脚本術の本を読むとそんなことが書いてある。

*3:原子力の是非については、日本文化におけるリスク、安全と安心について話すには格好のテーマだ。それに、感覚的なリスクと実際のリスクの乖離については、新型コロナウイルスの騒動とも関係するので、言いたいこともいろいろあるのだが、この作品の感想はまったく関係ない自分語りになるので、端折る。

*4:ハンターやスカベンジャーが存在しない生態系ってのは、例えば繁殖に使えるエネルギー源と物質がめちゃくちゃ豊富で、遺体の分解や捕食よりも手っ取り早いってことなんだろうが、そういう世界ってグレイグーかグリーングーみたいになって、競争がないから知的生命体が発展する余地が少ない気がする。それか、いかに最大のスピードで繁殖するかに知性パラメタを全部振った生き物になるか。ご教授を乞う。

*5:個人的にはヘファイストスには悪い印象がない。チャラい神々しかいない中の生真面目なエンジニアというイメージがある。ああいう神様の中ではなんとなく生きづらそう。

*6:ステュクスに誓った言葉はオリュンポスの神々でさえ覆せないので、この辺のモチーフを絡めるとか。

*7:こういう提案はおこがましい気もするが。