■劉慈欣「三体」から作家見習いが得られる教訓について
前回の記事で、「三体」では娯楽小説では本来やるべきではない長い説明パートがあるのにもかかわらずヒットしている、という講師の言葉を紹介した。自分なりに、長い説明部分をどのように物語に組み込んでいるかを、三つだけ取り出してみた。
まず、説明をするときには口だけではなく体も動かすこと。たとえば、物理法則の時間的・空間的並進性を説明する場面がある。要するに基本的に同じ実験をしたら違う時、別の場所であっても同じ結果になるはずだって話だ。これを二人の科学者である汪淼と丁儀がえっちらおっちらビリヤード台を運んでから玉突きをすることで示される。読者としても、机に座ってレクチャーを受ける場面を読むのは少々しんどい。
次に、動きがない場合には、登場人物同士の性格や関係が端的に示される。たとえば史強がスタントン大佐の葉巻を取り上げて作戦を説明する場面。彼の行為は当然怒りを買うが、それをものともしない彼の性格と、周囲とのぎすぎすした関係が浮き彫りになる。おかげで説明シーンの単調さから免れることになる。
それから、長い過去の回想に入る場合にも注意が必要だ。途中、汪淼が葉文潔の告白を聞くことになるのだが、そこに至るまでに彼は相当精神的に追い詰められている。言い換えるならば、読者が速くその先を知りたいと促すようなきっかけが必要なのだ。
ここまで書いてきて気づくことがある。それは、映画で退屈な説明パートをどれほど飽きさせないかを工夫する手段とよく似ているということだ。詳しくは「SAVE THE CAT」の「プールで泳ぐローマ教皇」を参照してほしい。この本は語り口がややうるさいが、大事なところはしつこいくらいに太字で強調されていて非常にわかりやすい。ちなみに、「スクリプトドクターの脚本教室」にも載っていた、まったく違うジャンルの話だけれど骨子は同じ、というストーリーのパターンもたくさんの映画を使って紹介しているので、長い話を書こうとする際には非常に役に立つと思う。できたらこの手の本の純文学ヴァージョンも欲しい。
最後に付け加えると、何が起こっているのかを正確に把握していない読者にもよくわかるような、イメージしやすい場面を付け加えるとなお良いだろう。それこそ古箏作戦のような。
■第2回実作について
お盆に予定があったので早めの提出となった。
今回もまた選考からは外れてしまったのだが、実作は書くことにした。書かなければ実力はつかないし、あれだけ講義で批判されたのだから、実際に作ってみたらどんな風になるのかを検証したかったってのもある。それと、講義が進むにつれて言及してもらえないことで心が折れる受講生が増えるだろうと踏んでいる。要するに自分の実力が上がっていくだけではなく候補が減っていくはずだから、選んでもらえる確率も上がるだろう、などとややセコいことを考えているわけだ。
とりあえずあの味気ない梗概に、その時の登場人物の心境だとか状況だとかを書き加えて、参照用の資料とした。続いて、「スクリプトドクターの脚本教室」にも載っていた質問票で、メインプロットがぶれることがないように対策した。その結果が現在の作品である。
実作にすることで、自立したがる娘と過保護な母の葛藤という面を前面に出すことができたような気がする。しかしながら、いざ実際に作品として仕上げてみると、やはり要素が少しばかり多かったようだ。宇宙の誕生と死、自由意志の有無、シミュレーション宇宙からの脱出。特に、おとめ座銀河団周辺で無理やりビッグクランチを起こす場面を、あそこまで簡略化したのは少し悔やまれる*1。
とはいえ、自由意思の有無とシミュレーション宇宙に囚われた娘というプロットが深く絡んでいたので、少なくともそこを切り離すのには忍びなかった。
あとは、自分にとっての挑戦だったのが、普段はあまり書かないタイプの人物を主役にした、ということか。
以下、質問票とプロットのメモ(梗概に書き足した程度のメモ)。
■第3回梗概について
表現の自由とは、みたいな話だ。ただ、あまり話を大げさにすると短篇では収まらなくなるので、元カレ元カノの関係にフォーカスしたい。
十八歳の裸体が合法で、それより一日でも若ければ即違法、となることの不思議さが扱われるので、法律の恣意性や、児童ポルノと表現の自由といった方向に議論を発展させることもできたはずだが、今回は見送った。優れた先行作品がいくつもあり、五十枚程度では議論の精密さで勝負にならないと判断したからだ。それよりは盗撮とかリベンジポルノとかそういう方向に舵を切った。それに繰り返すが、今回は道徳的な議論の細部には立ち入らず、元カレと元カノとの間の感傷を中心に描く。僕が書こうとしているのは、道徳的な価値基準を示す論文でもなければ行動指針でもない。まずはなによりも読者を楽しませるための短編だ。そして課題の基準を満たすために、ヒーローはかっこよくなければならない。
そうそう、未定のポイントが一つ。オリジナルの憲治の職業だ。映画監督か警察関係者かで迷っている。前者なら表現規制に反対する理由が明確になるし、後者ならコピー人格がサイバー空間上のいる理由がはっきりする。さて、どうしたものか。質問できる時間があったら聞いてみよう(元警察官の映画監督、は少し属性を盛り込みすぎか)。
以下、質問票とプロットのメモ。
■エゴサしてみた
https://twitter.com/akiru_harumi/status/1151753472393396224
https://twitter.com/fanzhong_m/status/1150198237904556032
https://twitter.com/11011_11010/status/1148236277424091136
https://twitter.com/11011_11010/status/1158213138199662592
https://twitter.com/fanzhong_m/status/1158184196893892608
多謝です。
今後ともよろしくお願いします。
*1:ただし、あのプロジェクトをきちんと描くには、母親視点の場面を増やさなければならず、回想の域を超えてしまう。そうなると、母の視点と娘の視点が交互に現れるように工夫するといった、小説全体の構造の見直しが必要になり、到底五十枚では収まらなかったことだろう