いまさらだけれども、「愛と友情を失い、異国の物語から慰めを得ようとした語り部の話」の背景について

■少し昔語りと言い訳をさせてほしい。

2020年8月、第4回ゲンロンSF新人賞の選考が行われた。

ここで自分は残念ながら落選し、評価も今一つだったのだが、当時は屈辱感が強くて何をやりたかったのかについて十分に説明できなかった。

よって、ここに自分はどういう意図でこの作品を書き、私小説としてはどのような背景があったかについて記録する。2年近く前の作品なので関心を持っている方も少ないだろうが、SF創作講座というキーワードで検索する方がいらっしゃるかもしれないし、読んでくださった奇特な方への説明責任(?)を果たしたい。また、当時いろいろ言われたコメントへの、遅まきながらの反論もある。

 

■あらすじ

school.genron.co.jp

【枠物語・外】

高良秀治はいまだに小説家になる夢を捨てきれない男である。今でも大学時代にサークルで文学論を戦わせたことを懐かしがっている。そこで、大学のサークル仲間の井場隆らと久しぶりに飲もうとしたがコロナ禍で果たせない。

アラビアンナイト風の小説を書きながら当時を想起していると、疎遠になった中山瑛理の近況を知る。彼女は小説家にはならず、女性向けメディアのライターになっていた。君の小説を読みたいと高良は中山に告げる。さらには当時の井場のハラスメントを防げなかったことを謝罪する。「もしかしたら井場の中傷と、僕のフォロー不足のせいで君は小説家になる夢をあきらめたのではないか」と。だが、中山からは高良が小説だけが崇高だと思って他の表現を見くだしているのだと喝破される。また、高良からかばってもらうほど自分は弱くないとも告げられる。中山との関係を壊してしまったことに失望しながら、高良は井場との縁を切る。しかし井場からは嘲笑をもって迎えられる。

【枠物語・内】

イスマーイールは大商人の息子である。彼の父は寛大で、異教徒であるキリスト教の巡礼者であっても親切にもてなす。兄のウマルはそれが気に入らない。ある日やってきた巡礼たちの娘ヒルデガルトと言葉は通じないながらも交流を持ち、人形を贈られる。巡礼者は去るが、ウマルは財布がなくなったのを彼らのせいではないかと疑う。

翌日からイスマーイールは恋の病に倒れる。長い時を経て巡礼者が再び屋敷を訪れるとイスマーイールは目を覚まし、改宗してでもヒルデガルトと結婚したいという。だが、父に激怒され人形を焼き捨てるよう命じられる。イスマーイールは一度それに従うも、火の中に手を突っ込んで人形を救い出す。父はその愛と異文化を理解しようとする熱意を見て、商人よりも学者向きではないかと考える。財布についても冤罪だった。ヒルデガルトとは別れねばならなかったが、心は通じ合い、将来再会することが暗示される。

 

■背景その1

在学中に所属していた文学サークルのバックナンバーを手に取ったとき、人形に関する連作があるのを見つけた。読んでみるととても面白かったので、自分も人形をモチーフにした作品を書きたくなった。ちょうどイスラームキリスト教偶像崇拝の禁止というテーマが気になっていたため、歴史小説を書こうと思い立った。これを思いついたのは2006年から07年のことだから、実は本作は構想してから10年以上経過している。

自分にとって小説を書くとはどういうことかをテーマにしようとしたとき、枠物語の内側として長くあたためてきたネタを使うときが来たように感じられた。

また、詩を書くのにもハマっていた。実はこれを七五調の恋愛詩にしようかとも思っていた。枠物語・メタフィクションという表現を選ばなかったら、僕はこの小説を詩という形にしていたのかもしれない。

 

■背景その2

実はこの小説は自己批判を目的とした側面がある。というのも、実際に井場や中山のような立場の後輩が当時の文学サークルにいたのだ。

この小説についていただいたコメントで、井場を指して、「スネ夫がそのまま大人になったような人物が出てきて不自然だ」とか、「いかにも作家が考えた評論家みたいだ」とか、「こんなやつを登場させる作者はヤバいやつなんじゃないか」とか、いろいろ言われたけれども、彼の発言はともかく、中山に取った態度はかなり実在のモデルを参考にしている。

当時そいつはかなりの読書量を誇り、自分のおおよそ倍の速度で本を読んでいた*1。付き合いの狭い自分にとっては自分のレベルを凌駕する読書家を目の当たりにしたのは初めてだったので、彼との会話は正直とても刺激になった。当時、自分よりもレベルの高い人間と付き合って自分を高めたいという少し歪んだ向上心を抱えていたためか、最初のうちは楽しい付き合いだった。

ただ、彼の女性嫌悪は甚だしかった。「こういうことを言う女はブス」とか「それは女のナルシシズムだ」とか、とにかく色々で、それは本人を前にしても変わらず、いつ居酒屋で隣の席とのトラブルに巻き込まれるかとひやひやしていた*2*3

余りにも激しい嫌悪だったので、僕は最初のうちそれはある種の冗談だとしか思えなかった。本気なんじゃないかとうすうす疑い始めたとしても、ここまでの強い悪意を目の当たりにしたことがなかったので、どうやって対処するべきか理解できなかった。現実として受け入れられず、現実を否認するような態度だった。この件については恥じている。

その場では「まあまあ、そのあたりにしておきなさい」と雰囲気を悪くしない程度にたしなめはしたものの、今にして思えば、もう少し強い調子で説教すべきであったと反省している。当時の自分にはサークルの先輩としての自覚が足りなかった。

だから昨秋で彼をモデルにした井場と決別したのは、自分の中でけじめをつけようという思いが出ていたのだろう。ただ、自分の中の罪悪感をこれで消したとしても、彼の言葉で傷ついた相手がいたことは変えられない*4

同じように、中山のモデルも実在する。とはいえ、本人に迷惑がかかるかもしれないので、名前は伏せる。

最近は全然ツイッターでも様子を見ていないが、数年前に見た時は元気でやっているらしく、イラストレーターをしつつ子育て日記を書いていた。そして、作中で中山からも説教されたのは、自分が女性に対して対等に立とうするのが苦手で、ついつい相手にすがろうとするか、逆に守ろうとするかしてしまう姿勢に対する自己批判というかツッコミだ。自分よりも弱い立場の人をかばおうとするのは悪くないが、相手がそれを必要としていなければ単なるおせっかいでしかなく、うっとうしい。

自分のこうした人間関係における稚拙さがそのまま作品に出てしまったから、作品そのものの評価が低かった面もあるのだろう。

 

■最後に

パラパラと読み返してみれば、確かに全体的に言い訳がましい小説になってしまっている。

1年間作品を書き続けてきたことに対する最終レポートという気持ちもあったのだろうが、これは小説であってレポートではない。

過去との決別をテーマにした結果、書いている方としては満足してしまったのだが、そういう結論ありきだったため、主人公が大きく変わったわけではないとみなされたらしい。井場との絶縁ができる、つまり優柔不断なやつから決断力のある人物にキャラが変化したと僕は思ったのだが、これだけでは不十分なようだ。

 

さて、ここ2年弱*5、小説は一文字たりとも書いていない。数千文字のエッセイなら書いたが、それもほんの数度だ。まったくの虚構を頭の中から取り出す方法を忘れかけている。そして、ほんの数千文字書いただけで褒められている、小説を書き始めた友人のことをうらやましく思っている。

さらに、一度小説家としてビューしながらも、あえてアマチュアの世界で書く友人に対しても(次の記事で書く)、屈折した思いを抱いている。

 

本当に虚構を作り上げたいのか、自分の日常の愚痴を聞いてほしいのか、単にバズって自己顕示欲を満たしたいのか、どうなのだろうと考えつつ過ごしている。

*1:失われた時を求めて」を読み始めたのは彼のほうが後だったが追い越された。

*2:そんな彼にも恋人がいたのが不思議なのだけれども、女性嫌悪を持つことと女性と性関係を持つことはまた独立したことらしいので、実は矛盾しないそうだ。

*3:その舌鋒は男性にも向けられることもあった。作中でも「ブスでもいいから女の子から好意を寄せられている自分のことが大好きなナルシスト」というセリフで引用した。

*4:困ったことに彼はすごくいい文章を書く。感傷的なものもメタフィクション的なのも。評論も本当に上手だった。今にして思えば、自分がメタフィクションを用いたのは彼に対して対抗するつもりもあったからなのかもしれない。

*5:書き上げたのは7月下旬だったはず。