ゲンロンSF創作講座実作「アムネジアの不動点」振り返り
■あらすじ
フィクションとフィクションの間を移動する能力を持つ主人公は追われていた。そこで、彼を助けようとするように見える二人の人物に出会う。一人は芽衣、もう一人は純、殺しあう二人に主人公は翻弄される。
最後に明らかになったのは、主人公は元来フィクションを自動的に生み出す、淳の自己満足のためのシステムの一部であった事実だ。戦いの果てに、主人公は純を倒して自由と自律を手に入れて旅に出る。
■自分で読んだ感想
設定が甘い。
円城塔氏のメタフィクション的なものに憧れて書いたようなのだが、なんで本を読むと世界を移動するのかがよくわからない。書物の中の書物、存在しないはずの書物などというイメージをやりたくて設定をしたものと思われる。
また主人公が世界を移動する能力は文章を読むことだけではなく、別世界をイメージすることでも発動すると気づくのが、行き当たりばったりの思いつきみたいだ。もう少し早い段階でこれに気づく伏線を張っておくべき*1。
そしてラストで主人公が主体性と創作の喜びに目覚めたかどうかがはっきりしない。身勝手な作者の純と、登場人物に救われてほしい読者の側にいる芽衣の両方から独立した考えを身に着けているとは思えない。これについても、主人公の成長と言うか変化を各場面で少しずつ準備しておかねばらならなかった。
それと主人公は作中で一度だけ奇跡を起こすことができるという設定も、「SAVE THE CAT」からの受け売りで面白くない。
全体的に世界観が散らかっているというか、思いついたもの全部詰め込んでいる感じ*2。
ちょっと面白かったのは、数千年後には技術革新が進みすぎていてほとんどのSFの技術が発達しすぎて夢を見る余地がなくなったことか。近過去フィクションの需要を考えるとちょっとだけ興味深い。
■第三者からの感想
梗概では次の通り。
「類似した作品が多く、どこを売りにするかを考える必要がある。また、ギミックとドラマが噛み合っていない。特に、ラストのクライマックスと成長のタイミングにずれが見られる。逆境に置かれた中での成長物語と、場面の切り替わりの仕組みに関連性が見られない。」
実作は講座では触れられず。
講座の外では「あからさまにヤバいことが起っているのに、語り手がどこか淡々としているのが面白い」というのと、「人物描写が極端に排除されているのと動作の描写が何故か非常に紋切り型かつ種類が少なく心理描写も少なめなので、その辺がこの物語の弱点になってる気がする。後半はセリフで説明しすぎ。最初がいいだけにもったいない」との感想をいただいた。
■まとめ
- ラストは説明するのではなく、絵で示す。
- 特に、台詞で説明しすぎない。
- アクションは紋切り型なのでやめておけ。
- メタフィクションもけっこうありがちなのかも。
- 最初と最後で主人公は成長しなければならない。
- どの場面にも意味・伏線を与える必要あり。
- 無駄な場面、趣味だけでやっている描写はあってはならない。
- 思いついたもの全部入れればいいわけじゃない。
- ラスト近くでの思いつき・気付きには入念な準備がいる。
- いかに思い付きだけで書いているか思い知らされた。
- ……それにしても、短編1本に1か月って伏線の張り方の準備や書き直しを考えると時間足りなくないか?
■そうそう
振り返りが終わったら点数だけじゃなくてツイッターでの言及数(ページの右上の数字)を比較してもいいかも。
以上。