ゲンロンSF創作講座実作「枯木伝」振り返り
■あらすじ
瀬戸内海の実家に帰省した主人公は、従兄から架空の「淡路国風土記」の物語を聞かされる。それは、少年が恋に破れ、仏道に入るまでの説話物語だった。しかしそれは偽書であり、実は従兄からの片思いを綴ったものだと主人公は気づき、居心地の悪さで実家から逃亡する。
■自分で読んだ感想
【枠物語外】
この文体、一体どこが評価されたんだろうなあ。確かに変な力が入っていないし、設定を延々と語ることもないのは事実だ。
力を抜いて書いたのが割と評価が良かったのはうれしい。(2点獲得!)ただ、最終実作の方向をああいうメタフィクション的なものにしたきっかけでもあり、間接的な敗因だ。ただ、あそこまでは言い訳がましくない。
読んでいるうちに淡路島に行ったのが楽しかったことを思い出したけれども、これって淡路島の南にある(架空の)島が実家な人の文章じゃないよね。淡路島に縁があるならもうちょっと土地勘があるんじゃなかろうか*1。
【枠物語内】
素朴な味わいはわざとなのか実力なのか。かなりひどい目に合っているのに主人公はめげないんだけれども、どうも選択肢を示されてどっちかを選ぶという経験に乏しい。状況に反応するものの、流されている面もある。
あと、設定も甘い。例えば身体の香りに争いを収める力があるというのなら、なぜそもそも女の子が連れ去られるようなことになったのか。それに、そうだとしたらその力が発揮されている場面もあらかじめ必要である。どうも伏線の張り方が貧弱である。
また、身体からその香りが失われるタイミングもかなり恣意的。
以下は全くの余談。「女の子がもぎ、男の子もそれに続きました。」というのは、エヴァが禁断の果実を食べ、アダムがそれに続いたことを意識していたのかも。
■第三者からのコメント
梗概段階では:
このままでは説話としての教訓がわからない。書き手にも見えていないのだろう。それと、男の子があまりにもかわいそうだ。また、この物語がオリジナルであるとわかるような棘はなんだろうか。
枠物語という形式を採用する必要はあったのか。枠物語を導入する場合、その内側の物語を導入することで、その外側にも何らかの変化がないと、導入する意味がない。
この場合、枠物語にすることで、どこからが本当の話なのか、曖昧にできる。
関西人にとって身近な場所なのでリアリティの問題がある。
実作段階では:
全然SFじゃないけれど面白い。久しぶりにめんどくさい実家に帰ると伝承を聞かされて、それが全部でっちあげで、愛を訴えられてキモい、みたいな話だよね? その逆転が面白い。作中作もよくできている。ただ、途中まではいいのだけれど、もう少し飛躍させてもいいのかもしれない。話が段々とグロテスクになっていくとか、そのタイミングで種明かしをするとか。全体としてはよくまとまっている。新境地で、リーダビリティが高い。
今までは比較的わかりやすききれいな着地点を書いていたが、今回は不穏な感じがあり、そこが新鮮。変にきれいに作ろうとするよりもいいかもしれない。劇中劇もよくできている。もっと無茶をしてもいいかもしれない。加えて、君のSFでない文章を読んだのも初めてであったので新鮮。非SFにも適性があるのかもしれない。……ただ、どちらの道を選ぶにしても、SFの知識は役に立つだろう。
■まとめ
- リーダビリティは高い。
- もっと飛躍させてもいいかも。
- 不穏な雰囲気にしてもいい。
- 劇中劇は中と外のやり取りが大切*2
たぶんSF濃度が濃いめの作品よりも評判が良かったのは説明が多すぎなかったからだ。とはいえSFなら説明がどうしても必須で、描写とのバランスを工夫しないといけない。
一度ほとんど説明をしない、けれども設定はハードな作品を書いてみるといいのかも。